マツノヤ人文学研究所

独断と臆見による人文学研究と時評

情報操作概論――どうすれば有名になれるか、または「無識者(むーしきしゃ)」心得

 文系研究者は基本的に無名である。無名だと出版物を出そうにも出せない。研究者としての成功や科研費やなんだのやりくりのために、大学や学会のアカデミズムに歩調を合わせることとなる。そうすると内輪での評判はよくても、一般の知名度が皆無となる。これでは出版社も渋ってしまう。結果、文系学問は無益だと切り捨てられる。

 

 とにかく、このままでは情報化社会は活字文化社会と同じ道をたどりかねない。匿名で何でもありの雰囲気が消えうせ、自由な議論を謳いながら、心理的、社会的にものを言えなくするシステムが、このソーシャル・ネットワークの時代にもやってくる。だれもがヴォルテールのように相手が異なる立場で発言することを許してくれるわけではない。

 

 「情報操作」は、そのような不寛容な社会に取り入り、自らの意見を表明する地盤を整える手立てである。何もスパイや政治家のやるような汚い仕事ではなく、人間が普段から行っている「思い違い」や「腹芸」、「噂話」などの類から始まることであることを理解しなければならない。

 

 多くの研究者は、学んでいる学問領域が行ってきた「情報操作」の方法を、みずからに適用することができていない。経済学者が相場で成功することが難しい、と言われていることによく似ている。おのれの学問に染みついている欺瞞や裏を疑うことのない、というより気づかないような清廉で純粋な姿勢がそうさせるのであろうか?

 

 とりあえずまず、研究者が有名になる方法から「情報操作」の基本を考えてみよう。ここでは芸能人を例にとって考えてみる。

 

有名になる≠当たり障りのないコメンテーターになる

 「破滅型芸人」というのは、芸能界のサラリーマン化ともいうべき均一化によって、ほとんど見られなくなった現象である。芸能人はとかくコメンテーターや文化人になりたがる。下品な笑いでむしろ「笑われていた」お笑い芸人も、十数年後にはすまし顔で正論を言うようになってしまう。

 

 これはどのような心境の変化だろうか。芸能事務所があらかじめ確保していたワイドショー番組のポストを、司会者にはなれないがひな壇には物足りないタマにやらせるとか、テレビ局の知り合いが報道局に移転した伝手だとかいう事情はもちろんあるだろうが、芸人側にも一種の守りの姿勢、これ以上有名になっても笑われたくない、尊敬されたいという矜持が芽生えることが考えられる。若いころはどんなに恥知らずな芸風を確立していても、ある時期に結婚し、子育てをしてしまえば、ホームドラマや車のCMなどに起用され、好感度が高く上司や親にしたい芸能人として「出世」していく。

 

 昨今はツイッターで政治的発言をすることの是非が問われることとなった。一般人がふつうにツイートしていたハッシュタグをつけツイートをしたくらいで炎上するのはおかしい、と開き直るのである。しかしながらこれには重大な思い違いがある。すくなくとも芸名を名乗って活動をする以上、芸能人は芸能事務所の「商品」である。そして出演番組やCMを通じ、スポンサーとなる会社の商品のイメージ・キャラクターとして活動しているのである。特定の政治思想と商品が結びつくことは、多くの場合スポンサー企業の利益の追求と反する。そのため降板や引退といった措置が講じられてきたのであるが、近ごろはスポンサーの撤退、テレビ業界の衰退などで不祥事と復帰のスパンが早くなり、またクレームや不買運動を先回りしてこうした対応が行われるようになったため、「芸能人の不祥事」というものが形骸化してしまったのである。

 

 多くのサラリーマン化した芸能人にとって、自分が「商品」として扱われている意識は希薄だ。ステルス・マーケティング騒動からだろうか、ツイッターや動画サイト上のインフルエンサーとの垣根は低く、自らを「流行を拡散させること」をノブレス・オブリージュとした貴族かなにかと勘違いしている。彼らにとっては「炎上」は優雅な生活に終止符をもたらしかねない没落であり、一所懸命頑張ってお茶の間の正論を代弁し、文化人として自らの趣味を高めようとする。しかしながら、それはみずからの「有名」を食いつぶし、世間から忘れ去られ埋没する一歩手前の悪あがきにすぎない。

有名になる=不快になる、社会現象になる

 売れるまでの「不快さ」の増幅こそがタレントの本質である。有名になるには不快さを売りにしなければならない。マンガやアニメの「陰険な関西弁キャラ」が、人気者としての関西芸人の東京蹂躙の予兆であったように、コメンテーターやYoutuberの多くも、世間知らず(古市憲寿の変貌!)だったり、子どもにはまねさせたくないような不快な言動から注目を集め、まるでセレブリティのようになっていく。根暗、オタク(岡田斗司夫)や意識高い系(ホリエモンキンコン西野)、昨今は陰キャやチー牛など、不快なライフスタイルはいつしか共有され、さながら「時代精神」であったかのように改変、懐古されていく。

 

 思うに、研究者が大成するには、若いうちから不快な言動をとるほかないのではないだろうか。私のようなコネもなく無職でどこの研究機関にも拾ってもらえないようなモグリの研究者はとくにである。それは意見を聞いてもらえるまでの時間稼ぎとしての効用もある。「どうしてそのような恥さらしで不快な行動をとるのか」という問いと興味が、芸能人の有名になるメカニズムの根底にあるからだ。

 

 私はこのことを踏まえ、不快に生きる新しい研究者のスタイルを「無識者(むーしきしゃ)」と名付けることにした。無職と有識者のカバン語である。仮に職を得たとしても、研究者としての職がないのなら無識者である。どうせ有識者も知識としては微々たる違いにすぎない。

 

そして、共通の敵をつくる

 NHKから何とか党や令和何とか組とかいう、芸能人に片足突っ込んだ泡沫政治集団がなぜ流行るのかを考えてみたとき、かれらが「共通の敵」を作っていることに気づかされる。なにも自民党やかつての民主党とて、共通の敵をつくることで選挙に勝利してきた。ネーム・バリューとは自分の名前ではなく、敵である人間の名前が重要なのである。これと「不快になる」を組み合わせると、自らの支持者にはさながら現状打破の救世主のように映り、敵対者にはお尋ね者、つまはじき者のような扱いを受けるようになり、さらに影響力を拡げることができる。「ユダヤ人」を敵視したナチス、「共産主義」を狩ったアメリカ、「フェミニストや不謹慎厨」を敵に回したナインティナイン岡村などにみられる現象である。

 

 私が昨日知域総合人文学研究所の設立宣言で、名指しで乗っ取ると発言したのは京大人文研と日文研である。これには正直失敗した。いくら文系学問の体たらく、カネにならない孤立主義の元凶とはいえ、共通の敵として挙げるには小物なのである。

 

 視聴率主義と奇をてらうゲージツ主義に堕したNHKやマンガ、雑誌出版社などの反知性を訴えるか、「就職活動は学生運動を抑え込み、政府と電通、そしてリクルートの陰謀である」とでっちあげて不快にふるまうか……ここはしばし熟考を要する。

6・1知域総合人文学研究所設立宣言

ブログご愛読者の皆様へ

 いつもご声援とご愛顧を賜りまして誠に感謝いたします。

 マツノヤ人文学研究所は、この度11月11日の設立より半年と20日くらいを迎え、より研究内容の深化と発展を期すべく、2020年6月1日付けで名称をマツノヤ財団 知域総合人文学研究所に改称し、研究方針の明確化のために設立宣言を発表します。

 

 グローバル化の退潮と孤立主義の台頭のさなか、人文系学問は食えない、実生活の役に立たないという烙印を押されています。書店には売れるマンガとゴシップ雑誌、有名人のゴーストライター新書本しか置いておらず、人文教養がかつて果たしていた社会的統合、知の普遍化というから役わりからは遠のくばかりです。

 

 大学生はろくに勉強をせず安価な労働力、安易な購買力として利用されるにすぎず、地方自治体や就活参加企業は大学の知的資源を長期的に活用する視点に欠けています。

 

 これについては、大学当局も文部科学行政も就活予備校化を進め、文系学問のイノベーションなど眼中にないようなので仕方がありません。我われマツノヤ財団 知域総合人文学研究所(以下、知人研)はこのような文系冷遇の危機的状況を打破するために2019年11月11日、マツノヤ人文学研究所を前身として設立されました。

 

活動には以下の6つを予定しています。

  1. 歴史学・哲学・語学・文学など、人文学の知識の総合的研究と成果の共有。(研究部)
  2. 研究成果を地域活性化に応用するためのブレーンストーミング活動。(知域連携部)
  3. 以上1及び2の広報活動として、メディアミックスの模索。(企画広報部)
  4. 政治経済情報などの収集。(情報部)
  5. 学問の枠を融かし、成果をフィードバックする「学融」システムの構築。(学融部)
  6. 言語コミュニケーションについての研究。(情報文化圏交渉比較言語人文学部

 知人研は、文系学問を通じて人を知り、地域、学域を越えた知人のネットワークを広げる、という願いのもと命名されました。知人からやがては同じ釜の飯を食った「学融」へという望みもまた込められています。

 

 テレワークによりリカレント教育の機運も高まると予想される昨今において、フィールドワークを盛んに行い、地域にフィードバックするというフィールドバックの精神を目標に活動していく所存であります。たとえば学習塾は、フィールドバックを取り入れ、学生だけでなく働く人の情報共有の場や、地方創生の窓口となっていくでしょう。

 

 そしてゆくゆくは、人文学衰退の現状に手をこまねいている京大人文研や日文研などを乗っ取り、幅広い学問の意見交換の場として、「知人研の京都」を実現することを目指します。

 

 なお、当ブログ、およびnoteにおける別館のブログ名は変えるのがめんどくさいのでそのままとします。変わらぬご声援とご愛顧のほどをよろしくお願いいたします。

 

2020年6月1日 吹田江坂 麺や636緊急総会により採択

知人研所長兼研究部部長兼知域連携部部長兼企画広報部部長兼情報部部長兼学融部部長兼情報文化圏交渉比較言語人文学部部長

松屋id:matsunoyabums

 

『妹の力』私見

 私のスタンスは、国語とか民族語とかいう概念は近現代の虚構である、という立場である。従来古語とされるようなやまとことば、さらに縄文語や弥生語とされるような再建も、まったく国民国家の便のためにあるようなもので、古典教養がコミュニケーションとして機能していた時代の実情というのは知られえないものだとつくづく思うのである。

 

 だから、戦後よく議論された日本語何とか語起源説というのは、戦前の大日本帝国大東亜共栄圏の版図の域を越えず、その時代の時代認識、地域認識を映す以上のものではない(いわゆる「南島イデオロギー」というものであろうか)。特に厄介なのは、戦後の経済的秩序、政治的秩序による境界線にとらわれていることを、当の言語学者歴史学者はあまり自省していない点である。

 

 しかしながら、印欧語とかセム語、ウラル・アルタイ語などの祖語の研究も似たり寄ったりであるから仕方がない。近代の植民地支配の伸長、現代の冷戦構造に翻弄された上での学説であることを踏まえたうえで、交易関係や影響を考える必要がある。

 

 おそらく時代区分も地図上の境界線や矢印も、さらには学問の領域も、消えてしまうのがこれからの人文学であると思う。マインドマップ上に、それぞれのつながりをナットワークとして鮮やかに具現化することのできる力量が問われていくだろう。

 

 

 という訳で、柳田国男の『妹の力』を、我流に読み解いていこうと考えている。ベースとなるのは若尾五雄の物質民俗学、金属地名的な読み方と、「十二支アイヌ語説」を発展させた試験的な地名伝承の解釈法である。農耕社会の先駆としての狩猟・漁撈文化、鍛冶文化、天文治水文化、遊牧交易文化などが、いかに農耕共同体的に読み替えられていったかが、この本に端的に現れていると考えている。近代西欧文明の流入とともに狭められていった「農耕社会」を問い直すことになるであろう。

 

 若尾五雄の「物質民俗学」説や、吉野裕の「鉄王神話」観では、多くの地名がたたらや鉱山、治水設備と結びついているとされる。大国主=オオナムチがナ(鉄の採掘地および加工地)を持っていた神であったり、稲荷の由来に出てくる白鳥が、たんに稲ではなく「いネ(鉄)」を背負っていたとするのは、大いに納得できる。

 

 それに後続する奈良・平安の行基空海の伝説とも符合するからである。彼らが井戸や池を掘り、山に分け入って修行したのは、丹となる辰砂を捜索し、確保する一環であった。そしてその目的は、不老長寿や即身仏は二の次であって、腐食しにくいメッキ加工や、金の探索のための水銀確保にあったと考える。そのために、狩猟や交易、採掘を事とした先行の神祇との習合を図る必要があった。結果的に井戸や集住環境が整備されたことにより、農耕共同体や門前町が形成され、雨乞いなどの農耕のための祭祀や、抽象的で現世的なご利益をもたらすと考えられるようになったのである。

 

 十二支アイヌ語説とは、ほんらい天文観察の成果であった十二支が、陰陽思想や五行説に取り入れられ、さらに日本で(これも奈良時代から平安時代期だと思う)海から川へ、湖沼から湿原へ、といった自然環境と結びつけられたのではないか、というほとんど妄想に近い仮説である。海洋交易民と農耕民の共通の符牒として利用され、一部はアイヌ語の地名、一部は本州以南の地名にも残っているため、近代に「アイヌ語地名起源説」が盛んに唱えられたのではないか、と私は考えている。

 

以下、メモ

 

 「妹」について。イモもそれに対応するセ(背)も、金属にゆかりのある名称ではないか?「万葉集は日本の心のふるさと」として従来読まれてきたが、その実当時の最新知識を援用して書かれた詩ではないか、というのが私の持論である。女性主体の呪術的とされる世界観には、金属を精錬して美しい鏡や剣が生まれるように、あなたと私の魂の本質が触れ合うのです……といった、「君の瞳は一万ボルト」とか、「ダイヤル回して手を止めた」とか、「DNA検査で俺の子じゃないとわかった」とかと本質的に変わらない世界が描かれているのではないかと思うのである。

 

 八幡信仰は、イモ(巫女)とセ(神的な来訪者)の関係に対する母と子の関係である。宇佐(うサ)という地名も然ることながら、子守という性質から、壬生や丹生といった朱の文化とも通じそうである。これらが山にて祀られた結果、山姥と金太郎のような神の子の民話が生まれることとなった(金太郎は赤く表象される)。宇佐という地名と、詩経とかに出てくる于差などの祈祷との関連も気になるところであるし、インドやギリシア、エジプトにイベリア半島など紅海・地中海交易圏の海伝いにある女神崇拝、たとえばイシスやアナーヒター、カーリーに黒いマリア信仰と結びつけられるのではないか、とも考えている。キリスト教が伝来してきた経路とも重なるのではないか(ただし、ポルトガルはイタリア・アラブ商人のルートを避け、アフリカ経由で渡ってきた)。

 

 道場法師はオオクニヌシの系譜を引くダイダラボッチと養蚕のネットワーク上の桑原・雷神信仰のハイブリッドに見える。たたら鍛冶と養蚕が重なる背景には、雷と火花のアナロジー、交易上の必要性、そして農耕共同体の雨乞い儀礼としての両者の混淆など、さまざまな要因が考えられる。

 

 松とムチ、マンジなどの呪術師の関係性。オオナムチ、ヒルメムチ。小野小町などもこの系譜に連なると思う。松王や松浦佐用姫は人柱として著名であったとされるが、造船や築堤の要として「松浦」「佐用(塞)」という用語があったことは若尾五雄の指摘する通り。しかし松という木材のもつ有用性が、まず擬人化して人柱伝説として現れ、呪術師や神の名に用いられたのか、どれが先か順序はわからない。

 

 虎という尼が変じたという虎ヶ石伝説や虎姫という地名について。これは瀞とかトーという淀んだ水の傍らの弁財天祭祀が、のち遊女宿へと変じていったことが反映されているのではないか。柳田国男のいう京都の虎石町の近くには、西陣京極という遊郭があった。

 

研究方針:神話学と錬金術、あるいは家電の説明書はなぜ長く読みづらいか

 現在わたしが取り組んでいる研究を端的に言えば、「西洋錬金術道教煉丹術、および日本神話の比較と、その言語的表象の研究」である。

 

 ここ半年の実験的な原稿から、やっとこさ何か成果ができそうになった。基本的には以下の記事を膨らませたものである。どこか大学で勉強できる環境があればいいのだが、たぶんどこでも受け付けてくれないのではないかと思う。

 

matsunoya.hatenablog.jp

 

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 従来、錬金術や煉丹術は吉田光邦錬金術』(中公新書)におけるように、単なる絵空事とか荒唐無稽な虚構のようにかんがえられている。一応、前者は化学元素の発見や実験器具の発明に先鞭をつけ、後者はルネサンスの三大発明(火薬、羅針盤活版印刷)に必要な鉱物や植物の知識を用意したという功績が認められてはいる。

 

 しかしながら、古代文明の理知的な学問体系のなかに突如として現れる、黄金錬成や長寿獲得にたいする不可解な欲望と非合理な伝説は、近代精神の勃興の時代にしばしばステレオタイプなイメージをもって受容された。科学とはまったく対極の、迷信である。

 

 そんな中で好意的な評価を与えたのはK. ユングであろうか。個人の意識の向こうにある集団固有の構造、「集合的無意識」は、精神医学の基本として現代思想に見逃すことのできない影響をもたらした。河合隼雄や吉田敦彦は、これらを援用して日本神話を「日本人の精神構造の元型」のように解釈した。

 

 「古代や中世の一見荒唐無稽な伝承は、民族、国家、ひいては人類共通の根源的で精神的なイメージに起因する」とする立場は、これはこれで完成しきった学問の体系である。それでも、私はこの考えが本末転倒というか、何か重大なはき違えをしているように思うのである。

 

 錬金術や煉丹術、そしてその思想的基盤となったグノーシス道教の神話群は、別のパズルの断片なのではないか――そう考え、オリエント、ギリシア=ローマを中心とした西洋古典教養、インド、中国を中心とした東洋古典教養の再解釈を、「ポスト・オリエント学」とか、「情報文化圏交渉比較環境人文学」と称して、資料収集に努めてきた。社会思想史、宗教文化史、交易経済史などが複雑に分化して、全体像が見えづらくなっている現状への反抗という側面もあった。

 

 根本の主張はこうである:錬金術、煉丹術そして日本神話は、水銀と硫黄の化合物、辰砂を用いたメッキ技術を伝承するための説明体系だった。

 

 天平時代、東大寺の大仏はエジプトでも使われていたというこの伝統的なメッキ技術により、黄金で覆われていた。そして平安末期に平清盛によって焼損されたのち、再建されたときも、同じように金でメッキされたという。私はこの技術がいかに伝達、伝承されたのか、という過程に興味関心がある。

 

 その過程でメディアとなったのが「神話」である。かつて「騎馬民族征服王朝説」が脚光を浴びたように、日本神話はスキタイやケルト、オセットなどの遊牧民神話ときわめてよく似ているという。「世界神話学」を持ち出さずとも、大航海時代以前の古代中世もグローバルな交易が繰り広げられていたのである程度は宜うことができる。しかし、わざわざ似たような構造が見られるということは、同じ技術――鏡、ベルトや刀剣の耐腐食にも必要なメッキ技術を伝えるものだったのではないか。

 

 昭和時代の正倉院展などに代表されるシルクロード美術ブーム、日ユ同祖論や黒魔術などのオカルト超古代ブーム、そしてインドやチベット密教、タントラやタオイズムなどの精神世界ブームは、近代西欧文明にはない「エキゾチック」な他者として求められ、学問に深く食い込むことはなかったように思われる。これらはかつては日本文化と溶け込んでいたものであったにもかかわらず。

 

 また昭和的な様式、たとえば温泉街の秘宝館の卑猥な展示物なども、サブカルチャー的な関心から見直されてはいるが、なぜこうした習俗が形成されたか、という問いが見過ごされていることに危惧を覚えている。江戸の春画もそうだが、ただ「民衆の素朴な心性、想像力」で片づけられるものであろうか。それが彫刻ないし図像として残されてきた経緯に、ある種の理知が関与していることは否めない。

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 農耕共同体を中心に語られ、冶金や狩猟、祭祀など、しばし禁忌とみなされる行為を行う人びとがアウトサイダー、アウトカーストと見なされる社会観は、大幅な見直しを求められるだろう。道具作りや集住環境の選定を含めた、「広義の」農耕社会を営むために、農耕民の目に映る異人たちは「先駆者」として必要不可欠な存在であった。

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  その畏敬が、一方では「マレビト」がもたらす恵み、他方では禁忌を犯す脅威として記憶された。近代的な社会秩序は、これらを一瞥して「差別」という枠組みに組み入れた。

 

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 さて、表題に掲げた「家電の説明書」の長さ、読みづらさであるが、おそらくそれは、家電製品開発者とユーザーの距離感、圧倒的説明不足が溝を作るという点で、神話と現代を生きる我われとの関係に似ている。遠い遠い未来の研究者は家電の説明書を見て、描かれている技術を理解できるのだろうか。民衆の精神の発露とか、「集合的無意識」で読み解いたりして。

 

ノート

 イザナギイザナミは鐸(さなき)の神?( 福士幸次郎『原日本考』より)

 

 多賀(たが、イザナギの在所)と熊野(ゆや、イザナミの墓)……水銀と硫黄の産地

 多賀には「丹生」が存在。

 

 融通王(弓月王)、熊、祝融、蚩尤……機織り、とくに染織に硫黄が必要と推理

 

 菊理媛(白山)……鉛?陶器の釉薬皿屋敷の「お菊」は九枚しか数えられない。

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 タガの系譜、愛宕・嵯峨・高野

  ヤマト「タケル」、鬼の高丸

 

 金属腐食を防ぐメッキ技術は、西洋では金の錬成、東洋では不老長寿として解釈された。……辰砂を鳥居に塗り、外丹として服用することの流行。

 鉄 サヒ(松浦佐用姫)

 

 セ(伊勢、風、もともとは自然風を利用して鍛冶が行われていたことに由来)

 道祖神塞の神……猿田彦青面金剛歓喜天(リンガ)

 

 イモ(鋳物、イモアライ)

 

 月待、庚申待(夜通しの精錬作業に由来?)

 

 ナ(オオクニヌシ……大名持、大穴持/スクナヒコナ)ネ(根、稲荷)

 カニ、カネ、カメの伝説

 白鳥崇拝

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 クラ(稚桜、クラ谷)

 

農耕祭祀としての再編

 田は、広く場所を指していた⇒のちに、イネを育てる田に限定

  「土中の生成物」としてのネ、ナから根、稲への変化

 五行十干十二支思想、天文学から植物の生成のサイクルへ

 

 アナロジー、「穀霊」の誕生

 

 雨乞い⇒目病み、片目

  ニフツヒメとミヅハノメの習合、水の神としての竜神、夕立

 

 

 丹生、壬生⇒御傅、子守、隠来(子守)……子育てをする女神

 

 洞窟、河と女神(蛇女)祭祀

  龍退治伝説

 

 水神崇拝

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 雷神、蚕、桑、馬頭観音信仰

  丹塗りの矢による妊娠

 

 ミトラ崇拝、太子信仰……渡守などの労働と、契約

  片岡伝説…死者がダルマ、菩薩など聖人に(黄金変成譚の変形?)

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 弁慶と義経……武士の宗教性

  蹴抜の塔による仮死と再生の儀礼、九人の侍を殺し九体仏(蹴上)建立

   九日を射抜いた羿、ヤマトタケル説話「日々並べて夜には九夜 日には十日を」

 

西洋の錬金術史、中国の道教史、インド・チベット密教史および比較神話学については、まとめ切れていないので後述。

理想の文化‐文法事典

 ことばが具象的な表象から抽象的な表現に移行する過程を、一冊の本にまとめてみたい。

 

 神話上の神格や怪物が、卑俗な昔話、迷信を経由して、日常的な科学知識や現象に移行する過程は、文法の大衆化、文語から口語への選好の変化と軌を一にする。長いスパンの変化を記憶するための文法から、より瞬間的な表現法への移り変わりは、たとえば並列的に確実性の所在をあきらかにする接続法や仮定法が失われつつあり、より単純で直列的な、過去・現在・未来の系列へと再編される傾向によって見て取ることができる。

 

 これは、事象が「ある」こと、またその対極として「ない」とされることについての性質の変化とも見なせる。この言語上の特質を考慮に入れずして、たとえば哲学上の「存在」に関する学説の「誤り」をあげつらうことはできない。翻訳の過程や、已上に挙げた言語の通時的な変化によって、事物の名称を取り巻く環境は容易に変化してしまうからだ。

 

 また、洒落や擬音語、擬態語による連想も、これを幼稚なものとか原始的なものとは一概にいいきれない。言語におけるこれらの連想は、きわめて強力に物事を説き語る原動力となりうる。幼児が「ブーブー」や「わんわん」に関する体験を親と体験したいときや、酒席での駄洒落、さらに下痢止めの薬を「ゴロピタン」と名付ける意図など、これらの本来の作用は、文脈が語り手と受け手に共有されるときにしか成功しない「説き語り」なのであるといえる。

 

 これらのときには荒唐無稽な言語のつながりが、宗教や通商関係を介した話型などの往来を説明し、(たとえば貴種流離譚の大元は仏教説話であって、そこに聖徳太子や俊徳丸、北条時頼水戸黄門などそれぞれの時代的条件のもとローカライズされたのだろう)その規範がやがて宗教的タブーや起源譚と結びつけられ、あるいは積もり積もって「文法化」するのだ。

 

 文法構造と文化体系の比較研究……外国語を文字の種類や単語の並びという、記録媒体に依存する事項ばかりを見て「異なる」と即断するのは時代遅れの手法である。それは漢字やヒエログリフをその形象から判断し、あるいは逐語的に置き換え、解釈したと思い込んでいたルネサンスの神秘家と同じ轍を踏んでいる。その言語が何によって伝わり、何を伝えてきたのかを総合的に勘案することによって、翻訳の精度もさることながら、異文化理解を深めることができる。

マレビト補論:「説き語り」の系譜学

 言語を研究するには、伝えるための文法構造と伝えてきた文化体系とを総合的に見ていかなければ、全体像をつかめない。

 およそ世に行われている研究は、どちらかを間に合わせで補い成り立っている。科学という文化でも、政治経済という文化でも、それを伝えてきたことばの構造は、翻訳の過程で有耶無耶にされてしまう。対して、文法や概念の構造などを考える哲学的な分野においても、他領域の文化知は「通説」の段階にとどまるように見える。

 否、翻訳までもがないがしろにされつつある。生硬な文体、未消化の外来語によるジャーゴンが罷り通る学問を、はたして「受容した」と言えるだろうか。さまざまな社会集団がアクセスすることが可能で、異なる文化の間で通用する言語に置き換えることができなければ、どのような器用な技術を発明したとしても、閉塞的な環境において無用の長物と化してしまう。

 かつての「ラテン語」ないし「英語」、アジアにおける「漢文」には、文法の変化、借用語流入こそはあれ、それを爆発的に広めるだけのシステムと影響力が存在した。軍事力や政治力もさることながら、明確に規範化された「文語文法」が存在していたため、書物などのメディアにおいて他の言語を圧倒することに足る「純粋性」を獲得したのである。話者人口が多いとか、経済成長が著しいという素朴な理由で「国際語(Lingua Franca)」が決まるわけではない。英語文化圏と英文法のように、なにが異質でなにが本質かという境界をきちんと自らの言語で説明できる体系こそが、次代の国際語となりえる。

 

 しかしながら、新しく概念を作りださずとも、この体系化は可能である。そのためにこれまで行われてきた説話を「説き語る」行為を見ていくことが求められる。迷信や悪習かはともかく、「説き語る」行為はその共同体に一貫した信用性を付与するものである。「アウシュビッツの後には」という成句を引用せずともいい。歴史という物語で保証される「伝統」は、共同体の成員に自信を与え、どのような愚かしい蛮行をも行わせることができる。

 身振り手振りを含んだ言語による「劇的な説き語り」が、目に見えない長時間の「変化(へんげ)」をきわめて一瞬で示すことにより、その場を共有する人びとの注目をあつめ、信頼を維持することが可能である。親しい人の間の「ここだけの内緒話」、巨額のオレオレ詐欺、どっきりカメラ、フラッシュモブといった現代の卑俗な事象から、古来より伝わる集団陶酔的な仮面劇や祭祀儀礼にいたるまで、「ヌミノーゼ」とか「遂行的言語行為」「単純接触効果」とかいう術語を持ち出さずとも我われが現実に体験するところである。社会的な労働や、戦争、売春にいたるまで、何らかの人称(Person)、役わり(Performative)を持った人間は、互いに接し合い、広義的な「家族的類似」のもとでまとまっていく。

 説き語りは数多の「神話」を生み出してきた。「なぜ」社会的な行為を行うのか、という問いを、「なにが」社会的な行為を行わせるのか、と移しかえながら。前者に漂っていたぼんやりとした時間性は、鮮明な空間性へと切り替えられていくだろう。「異形」かつ「場違い」なトリックスターが、共同体社会の「先駆者」としてあがめられるのだ。洒落などの連想も契機となって、目が一つだったり、羽や角が生えていたり、太陽や動物から生まれた人間が「マレビト」としてあらゆる知恵をもたらす。自然現象や、剣や杖や竪琴や臼など、特定の階層を象徴し、動植物に生死をもたらす「道具」も説き語りの格好の題材である。

 文法的構造としては、ダイダラボッチや道場法師といった説話群に見られるように、もともと「星」とか「法師」の類の敬称だったものが、いつの間にか「ボウズ」や「坊ちゃん」といった愛称、得体のしれないものへの蔑称に変化し、「金坊」のように指小辞(diminutive)や単に特定のモノを指す冠詞的な働きへと変化していく過程と捉えることができる。

 それらが神格化され、道徳的模範や共同体の起源として一定の信用を与えられることは、その集団に「禁忌」をもたらす。神が夜這いを行ったさいに途中で鳥が鳴いたから、そこの村では鳥を飼わないという信仰に端的に現れた価値観や、「ことわざ」「慣用句」「故事成語」として一般化された表現、さらにいわゆる「差別語」「卑語」のタブーまで、その「神格化」の方向性はともあれ(俗語化したり、差別的な表現は一見して「負の」神聖化に見える)、表現の発出にさまざまな制約を加えるのだ。

 「マレビト」による「マレビト」の模倣的な説き語りは、多方面に伸長する権威を生成しようという目論見のもとでおこなわれる。得てして、その企みは成就され、「伝統」という虚構のもとに、広域への「伝達」次代への「伝承」がなされていく。

 

 動物もある位置を指し示したり、因果関係を理解して道具を使用することができる。それでも時間を圧縮して空間として思考し、表現する技術がなくては記号的な関係を操っていても言語とはいえない。それを踏まえて、祭祀芸能にみられる様態の変化(へんげ)、そして数学的な微積分や群論などによる物理現象の理解は、古代中世の説話的語りが高度に抽象化され、政治経済上の変動を経験しながら積み重なっていた文化というべきである。

歌謡発生の後景――男子の本買いと、そこからの着想

今回の男子の本買い

古橋信孝『万葉歌の成立』、講談社学術文庫、1993年(原著1985年)

アンドレ・ヨレス『メールヒェンの起源』、講談社学術文庫、1999年

 

 やはり講談社学術文庫ちくま文庫は、古書に限る。

 

 『万葉歌の成立』は、万葉集の歌を沖縄の神謡や古代中国の詩経と比較しながら、その独自のジャンル性を忘れずに解説した書である。なんで今まで手に取らなかったんだろう?と思ってしまうくらい、現在の研究に役立ちそうな本だ。とくに「生産叙事」のアイデアは、農耕や巡行、歌垣など、万葉文化の表出としてのうた、かたりという立場を思い出させてくれる。

 その文化は、現代を生きるわれわれと隔絶している、とは書かれてはいるが、日本語を話しているからには向き合わなければならないし、解釈によってわれわれとの類似性を見出すことのできる多義性をもっている。

 

 『メールヒェンの起源』は、そのタイトルにそぐわず言語とドイツの民俗伝承全般にスポットを当てた書である。しかもドイツ文化だけではなく、ギリシア・ラテン古典との比較も行われているのだ。1929年の初版であって、印欧語学や古典学、そして法学の成果が積み重なった1冊である。原題を直訳した『単純形式』のほうがしっくりくるのだが、どう考えても売れないのでしょうがない。

 解説に引用されていたW.カイザーの『言語芸術作品』や、より後のポイカートの『中世後期のドイツ民間信仰』と併せて読んでみると面白いだろう。

 

 文学的テクストの解釈を、「精神」や「哲学」といった後付けの理念にあてはめるのではなく、語られていた共同体の民俗文化や他文化との共時性に踏み込んで考察する態度が、この両書には共通している。一目見ただけでは理解しがたい「文法構造」と「文化体系」から、いかに「拒絶」しえない’(迷信や野蛮、狂気といった他者でひとくくりにしない)現われを説き語るか、といった点で極めて示唆に富んでいる。

 

本題

 メールヒェンはMARK(標)と同源である。しるしづけられた一区画であるマーケット、道祖神、治癒神のような役割を果たしていたメルクリウス(ギリシアにおけるヘルメス⇒ヘルメノイティクという連関も分かりやすい)、境界付けられた前線まで謡いながら行進するマーチとも多分同じである。境域上の都市に侵入するさまざまな階層の人びとをまとめあげるために、市場でも、劇場でも、戦場でも、共同体の「融き‐象り」として「解き語り」が行われていたことは想像に難くない。

 

 死者の再生とか、若返り、錬金術による富の獲得といった非現実的なことも、「解き語り」の世界では可能である。本来不可逆であるはずの「時間」を操作するという発想は、現実の技術、腐食を止める香料やメッキなどのアナロジーで生まれたものにちがいない。「まつる」ことは、「待つ」ことに費やした時間の可視化である。

 

 万葉集の編まれた奈良時代末期を考えてみる。法や歴史が編まれ、律令国家として朝廷は始動した。大仏を建立するという一大スペクタクルが終わり、労役を行っていた人間や使用された技術の存続が問題となっていただろう。プロジェクトを推進した立役者である行基はすでにこの世になく、農村の流動や戦乱が影を落とす(まさしく、正倉院展のバックグラウンドである)。

 

 メッキや顔料に使われる硫化水銀(辰砂、丹)は道教の養生術としても有用と考えられた。行基のような私度僧や、狩人や修験者たちといった畏怖すべき「山師」たちは、金銀銅鉄や鉛などの価値ある金属を探す傍ら、こうした鉱脈、水脈を求めて全国を巡っていたのだと思う。都市に集められた辰砂は、魔よけに利用され、「あをによし」奈良の風景を作り出すこととなった。

 

 彼ら農耕文化の先駆者たちの行動は農耕民によって伝説化され、はじめは「風土記」や「古事記」のなかのオオクニヌシスクナヒコナの事績として語られた。それに取って変わったのが行基などの遊行僧であり、かれらは人びとを教化しながら、農耕や鉱山の設備を整備していった。中には道教のように政権の中枢に食い込み、失脚したことで好奇の目にさらされたものもいた。しかし巷説に流布した女帝との「愛欲」の伝承は、やはりかれらが実践したメッキや養生の技術とも連関させて考えるべきだと思う。金精信仰のように、豊穣儀礼として読み替えられながら、祭祀として記憶されていった。

 

 こうした万葉から平安の混乱期にあって、近代的には鎮護国家の新たな精神的支柱と考えられてきたが、鉱物、水資源の安定的供給による農耕共同体の再建といった実際的使命を帯びながら、伝教大師弘法大師が唐にわたっていった。(密教の「成就」においては、水銀による作業が悟りの完遂に見立てられた)比叡山、吉野、熊野、高野山といった場所が、神仏習合の新たな潮流を作り出していった――ミトラ教ゾロアスター教の痕跡は弥勒摩多羅神阿弥陀如来として、「彼岸」という新たな異界の出現をもたらしたのであった。

 

 太子や大師に帰せられてきた、温泉や湧き水を掘り当てる技術は、しかしながら、日本神話ばかりでなく中国、インド、ペルシアの古典とは無縁ではない。高貴な人物が流浪の果てに巡り合う、アナーヒターとか西王母とか、その他水の女神との秘儀的な恋愛(ロマンス)である。その背景には、先駆者たちが資源を探ることが、山中で酸欠や栄養失調などの死(ヒダル神やミサキ神による祟りとも考えられた)と隣り合わせとなりながらも、農耕共同体や王権の基盤として欠かせなかったし、起源譚として必要であったことが考えられる。農耕行事の規範として、また禁忌として、共同体の成員一人一人の生に根差した「マツリゴト(生‐政治という言葉を使っていいように思う)」が表現されるのだ。

 

 川や温泉地の近くに、市場、芝居小屋や遊郭などの悪場所が「古典教養再生装置」として、そして寺社の特権とともに近代まで残存したのは、こうした意味があってのことである。そしてマンガやアニメ、アイドルといった現代「クール・ジャパン」的大衆文化まで脈々と連なる物語の歴史を描いていく。死者への記憶、時間への沈痛な思索とともに。

 

 ヨーロッパでも、古代の異教崇拝とキリスト教的聖人崇拝のあいだに、必ずやこの系統の農耕共同体の祭祀とその先駆者の記憶が存在するはずだ。

 

この論を考えたきっかけ

 この論は、このご時世に京都を放浪して得た古書と、ある問い――神社の水には、なぜ決まって「飲用不可」と書かれているのかという疑問から生まれたとりとめのない歌謡発生論である。もちろん井戸水の汚染などの衛生上の問題もあるだろう。しかしこうした聖域の水というのは、もしかしたら農耕共同体の先駆者がわざわざ選んだだけあって、水銀や硫黄、鉱物が多量に含まれているため、飲用に適さないと(現代的には)考えられているのではないか?という仮説からひねり出したものである。ある思想体系によって、なんらかの功徳、治癒効果が認められていたのだ。

 だがこうした類の考察は、昭和時代の公害などで有機水銀と無機水銀がごっちゃに理解されたり、スピリチュアルなエコロジー疑似科学などに陥る危険から、半ばタブーとされてきたのだと思う。寺町への移転や戦災、買収による強制疎開のように、移転することで証拠がなくなってしまったこともあるだろう。特に最近は寺社の敷地にマンションが建ち、土壌の汚染などで失われてしまう水脈もあるにちがいない。これは南方熊楠の神社合祀、鎮守の森保全なみに本腰を入れて取り組まなければならない課題である。

 さて、そんな中 「全国水文環境データベース」なるものを見つけた。これや鉱山、温泉の所在をマッピングすることで、寺社仏閣などの聖地と古代中世の技術との関係に、なんらか資するものができるのではないか。

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