マツノヤひと・もよう学研究所

独断と臆見による人文学研究と時評

やまとうたの原像(景観から読み解く百人一首)

やまとうたの原像(景観から読み解く百人一首)人丸から猿丸へ――定家の和歌改造論 なぜ、読み人知らずの和歌を天智天皇の和歌としたのか? なぜ、俊成の和歌と猿丸大夫の和歌が似ているのか? なぜ、似た歌趣の和歌(特に難波江の和歌)が多いのか?百人一首…

ひと・もよう学序曲(治水と説話)

若尾五雄の独創的な着眼点は、巷間彼の業績として伝えられている「鉱山民俗学」や「河童は渦巻である」ではない。 若尾の説の分かりにくさ、とくに論証の弱さとしてとらえられた所は、そうした彼の思考の結節点に至る様々なプロセスが無視され、語呂合わせな…

「ひと・もよう学」巻頭言――2024年、若尾民俗学の継承

今をさかのぼること30年前、ある老人が大阪・岸和田でその生涯を終えた。 もと産婦人科医。生涯を懸けて「物質民俗学」なる学問をとなえ、岸和田の史跡研究から発展した「松浦佐用姫伝説は土木工事伝承」「鬼・修験は産鉄民」「河童は渦巻である」などの主張…

Now and Then、または或るバンドのデビュー・シングル

――61年前、デビュー・シングルのセッションを失敗した或るバンドがいた。 デモ・テープを作ったもののレコード会社を盥回しにされ、窮屈なバンに押し込められながらイングランド各地をギグして回る日々。やっとのことでコミックソング専門のレーベルに拾われ…

「ひと-もよう学」草稿

「ひと-もよう学」草稿●人間は動物的な「もよう」を殆ど帯びずに生まれ出る。それが自然においてどのような生存へと結びつくか。道具を使用し、表象することにより植物を育て、動物をてなずける、あるいは他の人間と強調したり、敵対することにつながってき…

言語研究:異=名辞(イメージ)と銘=政治(メッセージ)

古典教養が等閑視される時代になって久しい。 もっとも、それには古典教養の「形骸化」ともいうべき、何でも形而上学的美学や精神修練に結びつけるような論説が前段階にあり、やがてオカルトや階級対立、民衆的立場から教養を扱き下ろす風潮があって、全くも…

存在とかたり:古文化表象の分析

現代人ほど言語や存在に無関心でのうのうと生きている者はいない。 国語教育はたしかに国民全体の読み書きの浸透には益するもので、文明とか生活に恩恵をもたらすものである。しかしながら、言語や歴史学、哲学の取り扱いについては、きわめて凡庸で弛緩した…

言語と古文化表象学

またしても大きなブランクが空いてしまった。 現代のように、好きなときに好きなだけ書物が読めるという状況は極めてまれな事態である。衣食住にかかわるその他の行為も大体は季節や場所の制約があったものである。それが撤廃されたのは、ひとえに機械による…

言語文化と想起

書物文化、およびインターネット社会は、「書く」、および「読む」という行為を食事や排泄と同じくらい欠かせない反射的で、感覚的な行為として完成させた。しかも、それらは思考する「精神」の営為として理解される。民族や国家、あるいは民衆といったカテ…

複製情報時代の情報(複製芸術時代の芸術、ならぬ)

以前、といってもずっと前だが、このブログにて「学融機関」というアイデアを扱ったことがある。文化をSDGsなどに絡めてPRし、現在への投資に活かしたり、遠隔地の文化財や行事などのサービスを取りまとめて、観光や地域振興に活かす拠点として、「大学」や…

言語文化と信用:劇的な学問

人文学は、言語とその信用の歴史に向き合わなければならない。 「考える」という事象は、ともかくも「信用」を中心にした紐帯――言語が通用するところの共同体をふくめた連関――を基盤としている。学問はその連関の精髄であるが、むしろ精髄であるがゆえに、多…

言語表象文化――「たてる」哲学

歴史や言語は、「国家や民族、あるいはそれらに類した社会集団固有のもの」であるという、素朴な認識がある。 高等教育や専門的議論においても、もっと言うならおよそ言語を用いて社会活動を送る人間は、この「無意識の壁」によって守られながら、論理的に思…

ゴッドファーザーの失敗

ゴッドファーザーPart3を初めて観た。 Part1とPart2はだいぶ昔に観たことがあったが、Part3は初見だ。駄作という評判を前々から聞いていたので、蛇足な作品とばかり思っていた。が、今回BSで一挙放送されていたのを観て(Part1は見逃したし、Part3は前半見忘…

Let It Be偏向的総論:Can You Dig It?

まさかの半年ぶりの続編。 matsunoya.hatenablog.jp Let It Beというアルバムを、私はあんまり聴いてこなかった。コンセプトが適当で自然消滅したゲット・バック・セッションを、フィル・スペクターという変態プロデューサーがド派手なオーケストラでアレン…

創作落語「怪談・加州旅籠(ホテル・カリフォルニア)」

毎度ばかばかしい小噺を一つ。 時は70年代、エルヴィスがまだ生きていて、ジョンレノンがショーンの子守りをやっていたころ、まだベトナム戦争の爪痕の生々しいアメリカのお話でございます。ひとりの男が、暗い暗い砂漠の夜道を、バイクで風切って飛ばしてお…

ポスト・グローバルとパスト・グローバル

現代社会の政治や経済においても、「グローバル」という観点は非常にややこしい問題を孕んでいる。 経営者や政治家は、英語の公用語化や自由貿易などという、ときに荒唐無稽で、ときに皮相のみに終わる目標を掲げる。いままでの決まり事を総とっかえして、世…

言語文化の再構にむけて:工匠文化へのまなざし

人文学で取り扱う知識は、一般的に「教養」と呼ばれている。それらは、たとえば国家だったり民族だったり、あるいはもっと広範な「人類」を主体に、積み上げられてきた知を取り扱うことを建前としている。書店にならぶ「教養」の本をざっと見れば、驚くほど…

業務連絡

研究所(ブログ)開設から1年経ったのでそろそろ再始動します。

工匠文化論:火知りと日知り

貨幣や政治のシステム、そして文字によるリテラシー、宗教に至るまで、従来の国家と民族中心の歴史観は、いわゆるウェストファリア条約から、1750年代に始まり二度の大戦へと200年弱続く「長すぎる19世紀」において構築されたものである。この間は、王権や宗…

歴史の夢・ロマン・謎:信用ならない語り手にすぎない、歴史学の直視しがたい現実としての

歴史に夢とロマンと謎はつきものである。これはいい意味で言っているのではない。プロの研究者でもアマチュアの歴史家でも、知らず知らずのうちに、 ●自己投影、アナクロニズム ●勧善懲悪、陰謀史観 ●テーマの束縛、専門化 ●権威主義、タブーの無視 などとい…

人文探しの旅:大阪・奈良

かねてより人文探しの旅をしてみたかった。自分探しではなく、古本集めと古代史のフィールドワークを兼ね、国内を回り、現代の地域振興に役立つ情報を収集するれっきとしたプロジェクトである。 一日目 出発は大阪の天王寺。そこから阿倍野を下り、南田辺の…

歴史地理、物質民俗、音・光・香り……史学の新視点

これまでわたしは、「農耕社会の成立史」のように編集されてきた伝統的な史学から、鍛冶や鉱山師などの職人の歴史を抽出し、水銀朱や鉱石、岩石の加工と特有の信仰とのむすびつきを考えてきた。 「農耕社会の成立史」であるところの、理性や精神の発達史観か…

「蝦夷」、境域の民たち:西国との交易・文化的関係をかんがえる

蝦夷の歴史は「境域」の歴史と捉えるべきと思う。 明治以降の古代東国史研究は、蝦夷対和人という民族対立、支配や隷属という階級対立の歴史として考えられてきた。それは江戸時代から続くアイヌとの交易だったり、北海道の入植という内政問題とも密接にかか…

説話研究の意義

説話の研究は、じつに多面的な意義をもっている。 まず一つは、言語の構造の研究である。これまでの言語研究では自立して成立しうるかのような、文法的な側面がクローズ・アップされてきたが、言語は人と人とのあいだにはたらきかけ、あるいは生と死のあいだ…

研究、あるいは広げすぎた大風呂敷

雑多な分野に手を広げすぎたせいで、研究の全体像がぼやけてしまっている。 はじめは井本英一が記録したオリエントやヨーロッパのさまざまな伝承と、吉野裕子がまとめた陰陽五行説による農耕儀礼の比較検討が目的であった。犬をいけにえにしたり、死者の使い…

あらためて

今の今までだれも交差させなかった分野を混じり合わせることで、正しいとは言い切れないが、今までにない可能性を切り開くような人文学を欲している。 このブログで追究してきた、「文化の類型が広がる背景にはある種のグローバリズムが介在している」という…

次代のフォークロアのために

人と人が接し、何らかの表象や指示――いわゆるコミュニケーションが行われるとき、それらが明確に伝わり、実行されるかどうかは不確実である。そのため、コミュニケーションをより「均質的」に、誰でも同じように享受できる手続きないしシステムが整っている…

日本語の「語源」

「邪馬台国がどこにあったか」と同じくらい堂々巡りを続けているのが、「日本語はどこから来たのか」という問題である。考古学的成果やDNA解析などと重ね合わされ、有史以前以後の人類の移動と言語を推測する研究も見られるが、確答は得られていないようであ…

眼のシンボル、邪視と癒しと冶金文化

「産業革命、啓蒙革命によって失われたもの」というと、精神的な荒廃、そして公害や環境破壊というペシミスティックな側面が強調されがちである。これらを克服するために、例えば柳田国男は民俗的な伝承を守り伝えようと努力したし、南方熊楠は鎮守の森の保…

言語文化:生と死のあいだに……

このブログでは、伝統的かつアカデミックな言語学とは異なる「言語についての学問」を追究するべく努力してきた。 模範的な言語学では、たとえば「ピエールがポールを殴る」という文を、名詞や動詞、3人称現在や主格・対格という文法的な要素に分解し、同程…