マツノヤひと・もよう学研究所

独断と臆見による人文学研究と時評

げんご

「ひと-もよう学」草稿

「ひと-もよう学」草稿●人間は動物的な「もよう」を殆ど帯びずに生まれ出る。それが自然においてどのような生存へと結びつくか。道具を使用し、表象することにより植物を育て、動物をてなずける、あるいは他の人間と強調したり、敵対することにつながってき…

言語文化と信用:劇的な学問

人文学は、言語とその信用の歴史に向き合わなければならない。 「考える」という事象は、ともかくも「信用」を中心にした紐帯――言語が通用するところの共同体をふくめた連関――を基盤としている。学問はその連関の精髄であるが、むしろ精髄であるがゆえに、多…

説話研究の意義

説話の研究は、じつに多面的な意義をもっている。 まず一つは、言語の構造の研究である。これまでの言語研究では自立して成立しうるかのような、文法的な側面がクローズ・アップされてきたが、言語は人と人とのあいだにはたらきかけ、あるいは生と死のあいだ…

日本語の「語源」

「邪馬台国がどこにあったか」と同じくらい堂々巡りを続けているのが、「日本語はどこから来たのか」という問題である。考古学的成果やDNA解析などと重ね合わされ、有史以前以後の人類の移動と言語を推測する研究も見られるが、確答は得られていないようであ…

拡張する神話群――「物語る」言語の意味

神話学は、「国」「民族」「階級」といった閉域、そしてその比較にとどまってはならない。 「かたる」ことは、常に時間的・空間的に拡張していく性質をもっている。経緯をかたり、「かたる」という自らの行為自体を特権化することは、ひとえに閉じた領域を生…

マレビト補論:「説き語り」の系譜学

言語を研究するには、伝えるための文法構造と伝えてきた文化体系とを総合的に見ていかなければ、全体像をつかめない。 およそ世に行われている研究は、どちらかを間に合わせで補い成り立っている。科学という文化でも、政治経済という文化でも、それを伝えて…

言語:連想と合理的説明

言語は異なる境遇にある、異なる職能をもつ人びとを結び付ける紐帯である。社会とか歴史は言語の創作物として、人びとの共通観念として刻印される。これらの「物語」なるものは、記号と指示(行為と対象双方)を連関させるものとして、「連想」を不可欠とす…

空想から唯劇論へ:迷妄書き

世界的な交易路と説話のネットワークの研究 共同体が社会生活を営むにあたって、ものごとの「本質」を共有することが重要である。共同体そのものが、「本質」を渇望している。 いかなる空間(風土、社会)、そしていかなる時間(こよみ、歴史)を生きるか。…

生の終着としての道具と道具への執着としての生(フェティシズム)

「史実」とはいったい何を指すのだろうか。考古学的な発掘がすなわち歴史的な実在を証明するのだろうか。科学的な年代測定で有史以前の世界を描くことが出来るのだろうか。多くの論考は「史実」かどうかに拘るが、その拘りの淵源を追究する研究者はあまりに…

伝説リバイバル考:水神としての詩人と蛇神

ことばは境界をつくりだす。ことばによってかたどられた事象は、それが伝達、伝承されるかぎり永遠の記憶となりうる。ゆえにことばを用いる祭祀儀礼は(もともとは同調(Harmony)を必要とする労働が原型なのかもしれないが)共同体の中枢としてさまざまに活…

精神というフィクション――劇的詩学序説

言語はもともと集団の生、祭祀儀礼のためのもので、個の領域はその派-生である。 自然に適応するための労働や技術のために「詩」があり、そこから空間や時間のための思考、「風土」や「こよみ」の知識の蓄積も生じる。詩のリズムと表現物、そして社会的な関…

伝説リバイバル考:地名とオノマトペ

これまで「民族」「渡来」集団居住の証拠と捉えられてきた地名。しかし事情はむしろ逆で、気候条件や地形を「地名」として名乗る(その始まりはオノマトペ、擬声語や擬態語があったと思う)集団があり、伝承としてさまざまに分化を遂げた、と考えるのが自然…

伝説リバイバル考:十二支アイヌ語説

畑中友次『古地名の謎(近畿アイヌ地名の研究)』(大阪市立大学新聞会)を読んでいる。 昭和32年の本で、コロポックル先住民説や日ユ同祖論などが平然と出てくる。ともあれ、既存の近畿地名と北海道地名を対照させながら、そこに共通の地形的命名法を見いだす手…

文化のネットワークとしてのことば

これの続き。 matsunoya.hatenablog.jp わたしは「辞典」形式の語源研究にも、「作文」主体の文法教育にも納得していない。以前示した立場として、古典教養は劇や儀礼と密接に関係しており、「集団語」としての代名詞「われ」「なんじ」「それ」が、そうした…

隠喩と語源

語源は基本的に眉唾ものである。とくに即物的、明示的にかたられる「語源」は、たいていがこじつけである。地名などがその典型であろう。それを収集、検証し学問体系にまで昇華するのはまず稀有な大事業だ。言語というのは社会生活の根幹であるため、その正…

Personificationの神話学――唯劇論の歴史

神格そのものよりも、その神格に帰せられてきた物語のPersonification(擬人、人称化)によって神話を分析するべきではないかという考え。 農耕民族史観、渡来人史観、金属史観、終末論、王権……神話にはさまざまな解釈がある。「特定の社会的階層のための物…

漢字とその文化圏の研究について――反起源論、そして後藤朝太郎

漢字の起源という学問分野に興味をもつ人間は多い。かくいう私も、白川静の「常用字解」や「字統」から起源に興味を持ち、藤堂明保の漢字家族論に惹かれたひとりである。その後西洋史学に進んだため、輓近の研究には触れられていないのだが、これらの漢字研…

唯劇論――情報文化圏交渉比較言語人文学の立場で

情報文化圏交渉比較言語人文学という長ったらしい名前を冠して自らの専門領域としたのは、高度に専門化して周りを見渡せないほど多岐に分かれてしまった人文学のあり方へのささやかな抗議からであった。もっと簡明な仕組みですべてを把握できはしないか――そ…

分化する暴力:間名差し論

古来より哲学は渾然一体とした「一者」のようなものを根源として思考してきた。しかしながら、一がなぜ多に分かれるかについては、いまだに「悪」のような分化を仕向ける対向者を仕立て上げ、「一者」への回帰をうながすような筋立てに終始するものも少なく…

英語力とはなにか

世の中には「英語力」ほど珍重されているものは他にないと思う。その事実こそがわが国の英語教育、ひいては言語教育観の貧しさを端的に示している。英語力なる得体の知れぬ力で英語は「話されている」のだろうか。この巷説の裏を返せば、日本語を使うのに日…

ロゴスの探究ーー嗜劇性の人文学体系

ことばという行為によって運ばれる形式と質料については、それを訣ち考えることができない。元来ことばとは、書物に記されるまでもなく、また書字が一般的になっても何者かに効力を強いるために運用される劇的かつ呪術的であった。それを記号や理念型、属性…

客観的に仮構された時間としての歴史学

「構造」空間→時間→社会的関係群(社会集団、役職、共通尺度) 「意味」符合→強意→階層化および秩序化 古代や中世の歴史は解釈が困難である。それは物語と歴史が不可分であることも勿論ながら、そこに措かれている事象が多くの社会的関係群とかかわっているた…

言語研究ノート

ことばとは符合することである。そしてその発展として、さまざまな強意の形態がある。それらを列ね、束ねることによって、言語はあるスタイルと構造を獲得する。 個としての領域、主観としてのことばから、客観的な集合体のための言語を確立するには、共同体…

「とりたて」と「列なり」、あるいは断絶と持続

「とりたて」表現がどのような形式で発現しているかの比較研究。 「こと」は、「もの」がいかなる関係におかれているかを指し示す。たとえば、文章とその主題のむすびつきのように。主題は、ただの主語と述語や、名詞や動詞の関係のみならず、より広範な想起…

一即多(いっしょくた)ーー二元論への試み

前の記事で、どうやら言語というのはイメージ(異名辞)、「強意」のかたまりであることに思いいたった。 matsunoya.hatenablog.jp 驚異であり、脅威であるところの、「乱れ」。集合体内にまた別の集合体を見いだす「入れ子構造」。われわれは矛盾や反語をたや…

情報文化圏交渉比較環境言語人文学ーードラマトゥルギー序説

情報文化圏交渉比較環境言語人文学の取り扱う事柄についてメモ。 matsunoya.hatenablog.jp 「こよみ」時間知と「風土」空間知という前提 感覚から慣習という一定の流れ、構想 密な空間と疎な空間、山岳、丘陵からむらやまちへ向かう儀礼 密な時間と疎な時間…

同意を示すことへの小論

言語をかんがえるとき、「同意」という現象はあまりにも当たり前であるため取り立てて言及されることはまれである。 しかし、同一の意味、同一の意識、同一の意義が「ある」ことを表現しようとすることは、ある空間上、時間上、社会的歴史的関係上のまとまり…