マツノヤ人文学研究所

独断と臆見による人文学研究と時評

ずいひつ

モザイク的歴史叙述、キュビズム的歴史観

辰砂の歴史研究、などという大風呂敷を拡げてしまった。 日本については市毛勲『朱の考古学』や蒲池明弘『邪馬台国は朱の王国だった』、上垣外憲一『古代日本謎の四世紀』、そして何と言っても松田壽男の『丹生の研究』『古代の朱』ですべて出尽くした感があ…

学問への動機

歴史にかぎらず、学問は現代の鏡である。なにか「現代に通じるもの」を嗅ぎ取ったからこそ、深く掘り下げて研究が行われる。書籍や論文で浸透する学説、というものは、時代精神、時代の要請にかなったものだからこそ、その影響力を認めざるを得ない。そこに…

The Beatles(White Album)偏向的完全ガイド

ザ・ビートルズのザ・ビートルズ――通称ホワイト・アルバムは2枚組(アナログ盤では4枚組)のアルバムである。曲数がやたら多いせいで、1枚にまとめきれなかったのか、オレならこの曲を抜く、という議論がたびたび起こる。「ビートルズに捨て曲無し」の立場を…

#『市民ケーン』が最高の映画とかいう風潮に抗議します

もし大学の講師だったらこんな授業をすると思う。 www.businessinsider.jp 2020年になってもなお『市民ケーン』が史上最高の映画だそうだ。 こういう「映画通」の選ぶ映画というのは、ご多分に漏れず「懐古」や「思い出補正」が入っているし、最新の映画を推…

フォークロアの研究――いわゆる「都市伝説」「集団幻覚」から

「科学文明社会」を生きる人間においては、迷信におちいることは恥ずべきこととされている。その一方で、全体主義や都市伝説、疑似科学など、およそ現代人とは似ても似つかない迷信的な信仰をもつ人びとを、近現代の狂騒は生み出してきた。 現今の「コロナ禍…

自粛の黙示録(Apocalypse Nowadays)

出口の見えない自粛がつづく。テレビを見ていてもSNSを眺めていても、誰々はこうして我慢している、だからお前らも自粛しろだのとやせ我慢の見せ合いになってしまっている。あるいはお国のためにと見栄を張り、マスクやガウンづくりに精を出す。 すっかり戦…

ネオ河童駒引考:文明から文化圏へ

ステマとかじゃない不要不急な読書レビュー。 さいきん若尾五雄の「物質民俗学」にハマってしまった。日本各地のさまざまな伝承を、金属加工や治水技術と結びつけて研究するスタイルで、真弓常忠の「日本古代の鉄と神々」や、佐藤任がインド密教と錬金術を結…

生成と変容

「語源」「神話の類型」「心性」の研究は息が詰まるし、行き詰まる。なぜかというと、これらの起源をたどるという行為が、病的な収集癖、衒学、知識人の選民意識(アカデミズム)、オカルトといった近代活字文化の爛れた腐臭にまみれているからであり、その…

物語、隠喩、精神

「賢さ」にはまったく異なる二つの概念が内在する。事物に関する知識の豊富さを単に量る「賢さ」と、その知識がどれだけの事物と関連するかという総体の「賢さ」である。いくら科学の知識が発展したとしても、多方面の学問を別々に知らなければならないなら…

「染中」時代の自覚

新型コロナウイルス肺炎は、新時代の「戦争」を我われにもたらしつつあるように思う。 ここまで至る現代日本の前史として、第二次世界大戦「戦後」の時代は、バブル崩壊から阪神淡路大震災、東日本大震災を経由した「失われた20年」で一区切りを迎えた、と考…

「知性」学の現在のために

植民地時代、ヨーロッパの国々は陸上海上を問わず区画し、みずからの領土を拡大していった。「探検し、地図上に線を引く」冒険譚と地政学によって、国際政治が展開されることとなる。 その後の戦争、独立、グローバル化によって、地理上の国境はなくなるかの…

道化の権威学、さらけ出し、見られるということ

Youtubeなどの動画文化の潮流は、すっかり我が国の祭祀芸能の伝統と習合してしまったように思う。前時代のラジオやテレビは、農村儀礼としての「万歳」の来訪や、都市の芸能としての「芝居」とを、同じく都市化で希薄となりつつあった民俗を「大衆文化」なる…

来たるべき労働観の変化:「労働運動」から「労働運用」へ

新型コロナウイルスによって経済活動が大きく変貌しようとしている。しかも、学校行事や地域のイベント、そして「東京五輪」といったここ1年の動向だけではなく、テレワークや時差出勤など、今まで梃子でも動かなかった慣習的な働き方への見直しをもともなっ…

漢字とその文化圏の研究について――反起源論、そして後藤朝太郎

漢字の起源という学問分野に興味をもつ人間は多い。かくいう私も、白川静の「常用字解」や「字統」から起源に興味を持ち、藤堂明保の漢字家族論に惹かれたひとりである。その後西洋史学に進んだため、輓近の研究には触れられていないのだが、これらの漢字研…

男子の本買い 

どう学究につながるかを踏まえたうえで、徒然なるままに買った古書を振り返っていこうと思う。 哲学篇 千葉命吉『現象学大意と其の解明』(南光社、昭和3年) おそらくフッサール現象学に触れた最初期の日本人の著作。著者は大正教育八大主張なる講演会を行…

学融機関論――「学行」構想

これらの続き。 matsunoya.hatenablog.jp matsunoya.hatenablog.jp まえに「学財閥」という、学問的にも経営的にも厳しくなった大学を、地域や企業が銀行とともに再建に取り組み、学生の消費や就職を囲い込むようになるのではないか、という予測を述べた。今…

伝説リバイバル考:太子/大師信仰と劇、そして「ミトラス」

聖徳太子と秦氏の関係、そして秦の始皇帝やユダヤ教、ネストリウス派キリスト教との妖しげなかかわりについては、何冊もの本が著されてきたのでここではあえて論じない。いくら鎮護国家や律令国家、守護地頭といった体制が整えられたとはいえ、古代や中世に…

伝説リバイバル考:オオクニヌシと抽象化される暴力

matsunoya.hatenablog.jp これの続き。 matsunoya.hatenablog.jp そしてこれとも多少関連してくる。 邪馬台国の位置がどうとかいう議論もそうだが、「出雲神話」という観念にとらわれては、神話――芸能と信仰の渾然一体としたもの――を一読者の視点からどうこ…

学融資本論――客観性と観客性

これの続き。 matsunoya.hatenablog.jp 景気次第ではあるものの、この数年のうちに経営破綻、機能不全に陥る大学や大学院はおそらく国公立、私立を問わず増えるのではないか、と考えている。学生は学生で高校卒業世代が少なくなるだろうし、学費の負担も重く…

歴史総力戦主義について

表題は全くの造語で、歴史にたいするある種の硬直的で閉鎖的な態度、日本史は日本史として、東洋史は東洋史として、西洋史は西洋史として固定観念をもって歴史に取り組むことをさす。ありったけの文献や考古学史料、そして学生や研究者を総動員して、学問と…

英語力とはなにか

世の中には「英語力」ほど珍重されているものは他にないと思う。その事実こそがわが国の英語教育、ひいては言語教育観の貧しさを端的に示している。英語力なる得体の知れぬ力で英語は「話されている」のだろうか。この巷説の裏を返せば、日本語を使うのに日…

学融商品論ーー不可視の大学、または図書館

前まえから考えてきた学融機関について、少しずつ計画をはっきりさせていこうと思う。 matsunoya.hatenablog.jp 書籍がなぜ売れないのか、高校生や大学生のレベルがなぜ低いままなのか、人文学はなぜ社会の役に立たないのか……ほとんどの意見は文句を垂れ、問…

情報網と異文化交流、そして「実在性」

「実在性」を云々する書物が多く見られるようになった気がする。ヴァーチャル・リアリティなどで、現実と空想の境があやふやになっているからか、時間や世界の実在性を疑ってみたりするのが流行のようだ。このような論はたとえば「霊魂」のように何十年、何…

情報産業と人文学的知

いまのように漫然と人文学的知が利用されている状況を変えたい。 本が売れない、活字が読まれないという状況が何年も続いている。それは、社会がもはや欲望とか帝国とかいった理念を共有せずに細分化を重ねていった結果のようにも思える。本の形をとらなくて…

作品というまやかし

物語は古今東西どこにでもある現象である。あるできごとやものの由来、そして顛末についての知識を共有することは、共同体にとって不可欠な事柄だ。そうした知識を確かにし、共同体の在り方が安定することにより、物語自体を楽しむ、という生活様式が生まれ…

書くこと、欠くこと

おおよそ研究や論考というものは、文字で伝えざるを得ない。くわえて「教える」という現象は、現代ではほぼ文字を介して情報を受け取り、発信することに特化してしまっている。 文字をもたない文化が、はやく文字化されることが求められ、ソーシャルネットワ…

研究とその姿態(スタイル)

研究活動で重要なものは、参考文献である。その書式については、英文ではAPAやChicago Style、MLAが細かい作法を規定しているが、邦文での(とくに文系の)明確な基準は、寡聞にして知らない。 今までどの大学も研究機関も書式の統一に関心をもたなかったとす…

電車、欲望する空間

エセ環境心理学的なエセーを。 なぜ電車のなかには脱毛の広告が多いのか。フト揺られながら思う。辺りを見渡せば、ほかにも「ホテルのディナーショー」、「大学案内」など、ただ無作為に掲示されているとしか思えない広告がならぶ。 しかしあらためて考える…