マツノヤ人文学研究所

独断と臆見による人文学研究と時評

電車、欲望する空間

エセ環境心理学的なエセーを。

なぜ電車のなかには脱毛の広告が多いのか。フト揺られながら思う。辺りを見渡せば、ほかにも「ホテルのディナーショー」、「大学案内」など、ただ無作為に掲示されているとしか思えない広告がならぶ。

しかしあらためて考えると、電車という過密な空間だからこそ、これらの広告群は映えるのである。電車は遅延、圧迫、五感の不快感をとおして、つねにストレスを生成する。われわれはこれらを耐えながら目的地を目指さなければならない。

そうした事情の「埋め合わせ」として、「逃走経路」として、コンプレックスをわざと刺激し、快を約束する広告が多いのも道理である。通学には「進学」のプレッシャーを、通勤には「身体」へのプレッシャーを、高齢者には「余生」のプレッシャーをかけることによって、ただ地理上の目的地へと運ぶだけでなく、時間上の目標へと人を運ぶ。公共交通機関はそのようなはたらきをもっているのだと思う。けだし週刊誌の中吊り広告も、ゴシップに関心をもつことでストレスを抑える「効能」があるのかもしれない。

これらはスマホの普及の結果傾向として先鋭化したのだろうか。それとも往昔から惰性で行われたものの帰結だろうか。ともかく、パブリックな空間のための緩衝として機能しているのは確かである。現代の呪術といってもいいのではなかろうか。