マツノヤひと・もよう学研究所

独断と臆見による人文学研究と時評

集合体をかんがえる

言語のはたらきを考えるにあたって、前回の論考では、占いや呪術といった思考方法が「見通し」を作り出すことを取り上げました。

 

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この見通し行為は、ものごとをひとつの集合体として思いなします。集合体のなかにふくまれるものごともひとつの集合体と考えられますので、丁度入れ子構造になっているのです。

これらの見通しが考え貫かれる「場」として、与えられるべき「スキーマ」が、時間、空間、人間それぞれの関係として合わせられる……そういう在り方にたいして、「間合う」とか「場合う」という動詞を「間に合わせて」よびたい。

物語や記号も、見通しを伝達、伝承する「劇的なかたり」にしたがって、境界や向きをもつと考えられます。それらの「場合う」場が、法とかあそびとかいう理の場と言ってよいでしょう。

 

今更ながら折口信夫を繙いているので、ポスト・オリエント学も若干の追加が迫られるでしょう。しかし根本的な「劇」「語り」「儀礼」の塊が、さまざまな間合や場合によって解釈され、伝達、伝承されるといった姿勢はかわらないと思います。

 

小林登志子古代オリエントの神々』(2019)からメモ。

太陽/契約/法

黄泉下り/遊び/豊穣

樹木と再生

母子神、童子

天候は「逆らう」。はじめと終わりをもたらすためにに儀礼を必要とする。