マツノヤ人文学研究所

独断と臆見による人文学研究と時評

「とりたて」と「列なり」、あるいは断絶と持続

「とりたて」表現がどのような形式で発現しているかの比較研究。

「こと」は、「もの」がいかなる関係におかれているかを指し示す。たとえば、文章とその主題のむすびつきのように。主題は、ただの主語と述語や、名詞や動詞の関係のみならず、より広範な想起をもとめる。

説話の型を、主題と同義にあつかっても構わない。そこには「カテゴリー」、アゴラで語られるような訴訟上の争点が示されている。責務ないし債務を発しているのだ。「とりたて」表現には代価として注意を払わなければならない。かたどられたものの対立や融和によって際立つ点こそが、社会や歴史上に人びとが求めるような過剰な欲望を表象している。「聖なるもの」、権威をうつすことが主題化の動機である。

ことばにおける、うつすという語のふくみーー遷移、変化、感染をじっさいに推進するのが、あらゆる模倣表現であり、遊びも法も主題の従属節として列なる。「例示」は、おそらく芸能、芸術、信仰といった模倣表現として、ことばの作用に身を委ねる意識を指し示している。

聖なるものが、まれな「乱れ」として見える事態は、あらゆる模倣行為における危機的状態であるといえる。本来ならば知識が応対する対象は「乱れ」であるが、知識は「常態」「慣習」「例示」を指向しているため、「乱れ」にたいしては極端なことわりへと向かってしまう。

「とりたて」と「つらなり」は、かくしてものごとを掴みとるスタイル、文章の階層秩序から空間、時間、人間的関係の移り変わりを律するシステムを成す。