マツノヤひと・もよう学研究所

独断と臆見による人文学研究と時評

歴史総力戦主義について

表題は全くの造語で、歴史にたいするある種の硬直的で閉鎖的な態度、日本史は日本史として、東洋史東洋史として、西洋史西洋史として固定観念をもって歴史に取り組むことをさす。ありったけの文献や考古学史料、そして学生や研究者を総動員して、学問としての歴史の株を守ることに終始する。

高等教育においてひとつの教科のエキスパートとなって、次世代の研究者の教育をしなければならないという使命があることはしかたがないことである。郷土史家や歴史小説家としてある国、ある地域の偉人を顕彰するということも歴史の共同体における役割の一つである。

しかし、歴史はある観念「ありき」で編纂されるべきではなくて、その時々において、人びとがどのような文化を積み重ねてきたかという探究に主眼がおかれるべきである。東西交渉史や口承文化史は――すでにこのことばを用いることである種の過剰を負うことになるのであるが――「歴史総力戦主義」から生み出される研究成果では分断され、不可視に近いものである。

「歴史総力戦」的な態度は、事物の起源を主な関心とすることで、国民の教育、統合を企図する近代の国民国家帝国主義社会の副産物である。ジャーナリズム的興味による歴史叙述も(公共圏などがかかわってくるだろうが)そうした意識に寄与してきた。それが現代の人文学への無関心によってプロフェッショナルの「歴史学」やアマチュアの「歴史小説」「郷土史」コミュニティへと小さくまとまり、相互交流もままならなくなっている。

もちろん、乱暴な比較やオカルトやエスノセントリズムによる統合はもってのほかである。ただし、「古代人中世人の心性」や「お国柄」、「野蛮、無知、進歩」ということばで片づけるような歴史はまっぴら御免だ。苟も万人が協調するグローバル社会というスローガンを政治的に推進するのであれば、それ相応の人文学を用意しなければならない。日本ローカルに限定すると、地方創生を推進するならば、である。歴史総力戦の成果は、差別などをつうじていち共同体に窮屈な孤立主義を負わせる。行き過ぎた一極集中と周縁の疲弊が再来しているが、巨視的な歴史を軽視し、矮小化せしめた二度の大戦に学ばなかったのだろうか?

無知を恐れずに言えば、たとえば邪馬台国卑弥呼などは六朝時代の人びとが共有してきた異国認識のぼんやりとした総体にすぎないと思うし、忍者は「武士道」につながっていくような儒教知識人の道徳でとらえきれなかった、農民であり傭兵であり宗教者でも技術者でもあった武士の実像であると私は考えている。これらの知的関心を、前者は「ゲルマーニア」、後者は西洋騎士、中世都市の傭兵などと比較研究したら面白いと思う。こうした視点一つひとつをテーマとして、ユーラシア、アフリカに拡げて、また自然科学や社会科学を包摂して研究していきたい。

これからの歴史学は、いままで明確なイメージを提供してきた文献や考古学的史料から読み取りうる、西洋史学的なことばでは「境域」や「限界リテラシー」として表現されるような、輪郭線を明確に引けないような事象を対象にしなければならなくなるだろう。そしてそれは、境界線を引けない現代を生きる人々に資する知識を提供するだろうと、私は信ずる。