マツノヤひと・もよう学研究所

独断と臆見による人文学研究と時評

伝説リバイバル考:オオクニヌシと抽象化される暴力

 

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 これの続き。

 

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 そしてこれとも多少関連してくる。

 

邪馬台国の位置がどうとかいう議論もそうだが、「出雲神話」という観念にとらわれては、神話――芸能と信仰の渾然一体としたもの――を一読者の視点からどうこう論評することにしかならない。

 国譲りとか出雲王朝とかを古墳時代奈良時代の実在の出来事に限って追究するスタイルも結構である。しかしながら、神話を伝えてきたメディアを考察すること抜きには、国家的な暴力と抑圧されてきた民衆、のような感傷的でありきたりな――いわば小市民的神話の――世界を脱することはない。

 おそらく、これらの神話伝承のアルカイックな形ははじめに「うわさ」の形で共有され、人びとを「動かす」ための――心理的にも、戦略的にも――圧力が加えられていった。その際に必要なのが、そこに表現される暴力の生々しさを捨象し、「理想像」としての聴衆の分身を紛れ込ませることである。兵藤裕己の本だったように思うが、近代の浪曲で表現される親分子分の関係、そして演ずる浪曲師たちの師匠弟子の関係、そして明治国家の天皇を頂とする家の関係が、アナロジー入れ子構造のように展開していた、という話を見たことがある。

 これと同じ考えを適用すれば、ヤクザ映画でクローズ・アップされた仁義などは、映画会社のプロデューサーと演者との、そして昭和のサラリーマンたちの会社への個人的な忠誠心を切り取ったものといえる。こういうエピステーメーのようなものが、古事記日本書紀として文字化される以前の「語り」に秘められているのではないか、というのが私の抱いている意見である。

 古代の農民とも兵士とも流浪者ともつかない「雲のような」、あるいは土着化しても反抗をつづける「蜘蛛のような」人びとの信仰世界を考える。おそらく義兄弟的関係を各地の人間と結び、相利共生を営まないとみずからが暴力にさらされるだろう。それでも大国主が求婚によって兄弟たちに妬まれ、謀殺されるところに、物資の運搬に従事した人夫の明日をも知れぬ生――富を得るにしても、死にいたるにしても――が投影されている。それは語り手とて同じだったと思う。少彦名とともに行った事業、医薬や国造り等々の成功にもかかわらず、天孫降臨により国譲りを行う一連の語りは、語り手や聴衆が直面している生業の意味であり意義をしめす起源譚なのである。

 そして人びとには起源譚を反芻することが求められた。各地のオオクニヌシスクナヒコナを祀る神社、そして出雲という地域に神聖さが与えられ、人びとは巡礼し生業を自覚するだろう。大黒様に商売繁盛を願うのもその一環といえる。さらに、オオクニヌシの受難やスクナヒコナとの国造りを再生する劇が演じられただろう。風土記などの多くの地名由来譚に二柱の神が現れるのは偶然ではない。ダイダラボッチなどとの関わりはよりオオクニヌシの偉大さや異能を「巨人」として強く具現させたものと見ている。

 ゆかりの深い京都の五条天神社の祭神がこの二柱であるように、弁慶と義経にまつわる芸能は、古代のオオクニヌシスクナヒコナ説話を部分的に受け継ぎ再生しているように感じられる。中世の動乱の中で兵士の理想像が投影された結果、オオクニヌシスクナヒコナは弁慶と義経の説話へと更新されたのだ。義経北行アイヌの英雄神オキクルミとサマユンクルを義経と弁慶に同一視する動向も、祖型としてのオオクニヌシスクナヒコナが強く意識されていたことに起因すると考える。

 怪力や巨人としての暴力と知恵にたけた策略のコントラストある組み合わせは、世界各地の説話に見受けられるので、人びとの統治システムとしてのこうした物語の再生行為がかなり広い範囲で求められ、交易路や信仰巡礼によって拡散が行われていたことを予期させる。