マツノヤひと・もよう学研究所

独断と臆見による人文学研究と時評

漢字とその文化圏の研究について――反起源論、そして後藤朝太郎

 漢字の起源という学問分野に興味をもつ人間は多い。かくいう私も、白川静の「常用字解」や「字統」から起源に興味を持ち、藤堂明保の漢字家族論に惹かれたひとりである。その後西洋史学に進んだため、輓近の研究には触れられていないのだが、これらの漢字研究は多くが50年以上前のものであり、アップデートの必要があるのかもしれない。けれどもこの両者以上の鮮烈な論は管見では見受けられない。

 しかし、ここで問題となるのが、「日本人には漢字は他者の文字であり、そのやまとことばへの受容には葛藤があった(だろう)」という論である。維新、戦後の漢字廃止論などの精神的支柱としてのこの漢字コンプレックス。漢字研究は多かれ少なかれこうした視座に影響されている(「文字ありき」に拘るような日本の古代史研究にも影響していると思う)。漢籍、あるいは発掘成果重視のセクト化した研究では、有史以降の漢字文化の全体像は把握できない。カールグレン以来の外国の、たとえばBaxterなどの漢字研究(おそらく音声言語的な、チベットビルマ等との縁戚関係の推定)も気になるところである。

 江戸時代の国学者による韻書の再発見、そして殷墟での龍骨発掘ラッシュにはじまった、白川・藤堂の甲骨文字や上古・中古音の再建による「起源」の追究は、その生涯をかけた研究をもってしてもなお、現在通用している字形や音義のずれを引き起こし、築き上げた定説が覆されようとしている。

 殷代の祭祀用、統治用記号である甲骨文字群と、すくなくとも説文解字以来の「漢字」のネットワークの断裂は、漢字の存在意義を崩しかねない深刻な問題のように思う。同じ形をしていても、全く違う意味や転義のなされている文字は「起源」といえるのだろうか。「爾雅」などの方言や異民族から移入された語彙は「起源」なのか。通常話す、書くよりも特殊な環境ともいえる詩の韻は古代の発音を伝えうるのか。象形・指事・会意・形声・仮借・転注の六書という漢代に仮想された「起源」に縛られてはいないか……連綿たるコンテクストの伝統のある中国文学は、その数千年かわらず伝達・伝承を支えてきたところの「文字」の禍、過剰な執着によって数多の問題点から目を背けてきたと言わざるを得ない。

 この際、「漢字は殷由来、漢民族のもの」という神話は捨て去り、アジアを席巻した文化現象としての「漢字」、その意味と伝達・伝承の変化について考えてみたらどうだろうか。漢字はその成立以降、字形が簡略化され、他の文字と合流し、偏や旁などの部首、声符などの部位に分けて把握されてきた。詩や歴史、さまざまな情報の伝達と芸能の伝承を可能にし、その文化圏は朝鮮、ベトナム中央アジア、そして日本と広がりを見せて、時代や地域を越えた幅広い意味の体系を共存させている。そうした漢字の「現在」を支える原理として、甲骨文字からの遺産、説文からのレガシー、六経の訓詁学、他の漢字圏の文学からの知見を組み合わせ、あるいは各地各時代の音の対比を考察する、そうした漢字研究の交流を、心待ちにしているのである。

 

 余論。白川静藤堂明保・加藤常賢の三大家以前に、「後藤朝太郎(1881-1945)」という漢字研究者が存在した。手許に「男子の本買い」の成果で数冊がある。漢字の音読みによる分類、音韻・甲骨研究、他言語との類縁考察など、かなり踏み込んだ研究をしており、なかでも字音転換の法則は、たとえば「妙、少」のようなM-Sのグループ、「産、薩」のan-atの通用など、10の法則で説明するオリジナリティあふれる所見を載せている。惜しむらくは、その中国通ゆえに戦中にスパイの嫌疑をかけられ、終戦を見ぬまま事故死(暗殺説もあるらしい!)してしまったことだ。

 かれの漢字研究は今日まったく顧みられていないが、国会図書館デジタルコレクションでPDFがDLし放題であることを付記したうえで、その未知数なる学問的価値をここに顕彰する。

 

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