マツノヤ人文学研究所

独断と臆見による人文学研究と時評

Personificationの神話学――唯劇論の歴史

 神格そのものよりも、その神格に帰せられてきた物語のPersonification(擬人、人称化)によって神話を分析するべきではないかという考え。

 

 農耕民族史観、渡来人史観、金属史観、終末論、王権……神話にはさまざまな解釈がある。「特定の社会的階層のための物語」として、神話を合理化しようとするこの近代の衝動は、神話への熱狂が失われた時代において、「学問のために」純粋な神話として保存される大義名分となった。しかしながら、特定の史観に与することは、近代以前の神話の混淆したありよう、全体像なしでさまざまな語り手によって共有されてきた「圏」としての神話をまったく反映していない。こうした多義をもつ人文学への無関心は、ただ一つのイデオロギーに扇動される学者の愚、および活字文化社会も相まって、多様な「語り」のあり方を破滅へと導くこととなった。経済政策や政治情勢の読み取りや、ビッグデータ人工知能の活用にしても、多義を許容する人文学的知の素養なしでは失敗に終わるだろう。

 

 デュメジル印欧語族神格三分イデオロギー、および吉田敦彦の行った日本神話への適用。祭司・戦士・農民それぞれの神や物語群に分類するという考えは、たとえ印欧語族という壁があっても、通商の関係で伝わりうる理にかなった説に思われる。しかしながら、近代の職業観念以前の社会的階層意識は、非常にマージナルなものであったことが予想される。耕す人、戦う人、祈る人は、「下剋上の時代」などとレッテルを貼らずとも、流動的であっただろう。民衆とエリートという区分も必要なくなる。重要なのは語り手と社会の距離を示すことば、すなわち「われ(ら)」「なんじ」「それ」の標示によって神話を考察することこそ、「圏」としての神話、そして歴史のあり方について道理ある説明を行う手立てになる。圏ということばで神話や歴史を語るのは、「公共圏」としての新聞やマス・コミニュケーションが1750年代の英仏ではじめて現れたものではなく、信仰や歴史語りという連綿たる物語の文脈や、うわさや俗説という通常ノイズとして学問的に排除される事象が複雑に組み合わさり生まれたものであることを勘案した上の呼称である。

 聖地や祭りという空間上、時間上の結節点において、人間は社会的に結合してきた。いわば時間、空間、人間のネットワークを再生するいとなみとして、文字化以前の「神話」なる圏が構築されてきたわけだが、そこには集合体をなすための「訣(わけ)」、すなわち契約のあり方が問われることになる。神聖娼婦、予言、およびそれらに付随する「歌垣」などの歌謡文化は、呪術や予祝などという儀礼の形をとって、人びとの社会的関係をその時々において結んできた。「われ」「なんじ」「それ」の立場は、そこに擬せられる人びとを頻繁に変容させながらーー扮する人びとの社会的階層も多様であるが、扮する役わりにおいても多岐にわたる――しだいに刻まれた「仮面」たるPersonalityを生み出してきた。

 それは、転々とする気候をうつすものでもあれば、場所にすみつく物の怪をうつすものでも、特定の王や貴族のすがたをうつすものでもあっただろう。ものごとどうしの結合に、ある価値を持たせた劇(ロゴス)である。こうした劇の多義性は、口伝によって語り伝えられることで、その社会におけることわりを保持してきた。口承がほろべば、新たな物語において似たようなことわりがリバイバルされ、展開してきただろう。禍福をもたらす「まれびと」は、かくして世界各地の文化に維持され、やがて神となった。(本サイトの伝承リバイバル論などを参照。)

 しかしながら、有史以降、文字による共有は、それに固有の時間、空間、人間なしで「普遍」なものとして物語を広めることを可能とした。同時に、「われ」「なんじ」「それ」は、祝祭における契約から、個人的な領域へとしだいに撤退してゆく。最小の「われ」「なんじ」「それ」へと教育が両者の結節点として新たに必要とされ、祝祭や聖地を政治経済の名のもとにあらたに編成しなおす作業が行われた。その過程においてかつての神話は、固有のものを忘却した(いわば類型的な)民話や奇譚として収集され、一定の政治経済圏をもつ国家の根源(騎士道や武士道の誕生、英雄と皇国史観または個人の病理エディプス・コンプレックス狐憑き)という、いわば転倒したかたちで基礎づけられることとなった。

 

 已上の幅広い問題が伏在するため、神話の解釈はけっして一筋縄ではいかないし、把握するためには学問分野の横断が必要となる。そして何よりも、「ことば」の研究を、「国語教育」「個人の言語獲得」などという幻影から解放し、マージナルにある人びとを許容する営みとしての「唯劇論」へと向かわせるべきである。