マツノヤひと・もよう学研究所

独断と臆見による人文学研究と時評

伝説リバイバル考:十二支アイヌ語説

 畑中友次『古地名の謎(近畿アイヌ地名の研究)』(大阪市立大学新聞会)を読んでいる。

 昭和32年の本で、コロポックル先住民説や日ユ同祖論などが平然と出てくる。ともあれ、既存の近畿地名と北海道地名を対照させながら、そこに共通の地形的命名法を見いだす手法は評価されるべきだと思う。とくに「チャシ(交市、砦)」と「茶臼山」の類似は、わたしが長年気にかけていた問題でもあった。

 ただし、アイヌ語も日本語も、当然意味や音韻の変遷があって然るべきである。古代・中世の「地名」は、狩猟や漁労、鉱業と農耕といった、多彩な職能民の交点であった時代を物語る証拠と言うべきであって、特定の「民族」として括られる以前の、不定形で流動的な社会を映している。集団が交わるところには、その社会的関係に応じて雅語と俗語という括りが生まれるだろう。アイヌ語内でもそうした意識で言語が組み替えられてきたし、日本語でも規範によって猥雑から純粋へと言語が組み上げられていった。

 アマテラスやオオクニヌシスサノオなどの記紀の神々も、地名とおなじく口承ではさまざまなヴァリアントがあったのだろうし、外来文化としてとらえられてきた陰陽五行や道教なども、口伝いに融合して日本文化を形成しているという事実は揺るがない。こうした不明確かつ不純とされてきた要素を、排除せずに研究することはできないだろうか。

 アイヌのシャマニズムその雄渾な文化は、彼らが海洋に、また大地に繰り出していた古代中世時代の追跡を必要としている(漢字文化圏とのつながりは見逃してはならない)。その一仮説として、十二支のアイヌ語説(一部古語で代用)を試みに唱えてみようと思う。十二支は、植物の成長過程としてこじつけられてきたが、もとは木星の運行を表したものと考えられる。さらに言うならば、天空と海洋のアナロジーから、「海から陸、陸から海」というイメージがあったのではないか、と踏み込んでみよう。なお、ここのアイヌ語は前掲書の表記を借りたため、正しいかどうかは責任はとれない。

 

子 ね nay ナイ(川、古くは海)

丑 うし usi ウシ(湾)

寅 とら to ト(海) もしかしたら古語ト(門、港)

卯 う o オ(河口)

辰 たつ tap タップ(頂、岬) 砂州を指すのかもしれない

巳 み muy ムイ(静流)

午 うま ma マ(水溜まり) 湖沼?

未 ひつじ pis ピシ(浜) 古語ヒヂ(泥)も考えられる

申 さる shiri シリ(陸)

酉 とり tori トリ(水溜まり)

戌 いぬ wen ウェン(悪い) 埋立て地や河原などの悪所と考える

亥 い e エ(海) ここだけ上手くこじつけられなかった。古語ヰならば井戸から川までの広い流水をさす

 

どうだろうか。陰陽にできるだけ近づけて、海(陰)から陸(陽)へ向かい、陸から海へと還るメカニズムを描いてみた。日本の物語では上流から下流に神の子が降り、アイヌの霊魂観では下流から上流へ神が来訪する、という(『日本人の聖地』講談社学術文庫)イメージが頭の中にある。アマテラスの機小屋に馬を逆剥ぎにして投げ込んだ(水を逆流させ、村を水没させた?もとが水神だけに、津波のイメージが重なる)スサノオや、蒲の穂綿(kam 岩)によりウサギを助けた(河口を開拓した?)、そして猪にみせかけた熱せられた岩に一度殺される(川に身を投げるのはアドニスっぽいし、熱せられた岩は噴火を思わせる。火砕流か)オオクニヌシを通じて、シンボリズムを再考するきっかけになるともいえよう。