とりあえず、ブログ開設以降の思考をまとめてみる。
ポスト・オリエントの二つの交易路
オリエント・ペルシア・インド北部・チベット・中国北部・朝鮮(シルクロード)
ケルト・ゲルマニア・エジプト・アフリカ・ギリシア・ローマ・インド南部・東南アジア・中国南部・朝鮮(海上交易の可能性)
アフリカの説話も、オリエントやエジプトの神話の影響を受けているではないだろうか。
共有される情報(神話で表現されうるもの、隠喩)
農業、狩猟・漁撈、養蚕(絹糸)、金属精錬(錬金術)、祭祀芸能、酒造、政治・宗教
大黒天=オオクニヌシについて
純粋な神道や仏教といったフィクションではない「神仏習合」の実態を調査。「インドの知識は僧侶などエリートのもの」という先入見を脱し、海上交易などによる信仰のグローバル化をかんがえる。
大己貴(オホナムチ・ダイコキ)という名称から展開されたであろう神話の推測。シヴァ神との習合は、たんなる語呂合わせではなく、医術神、マツロワヌ神、来訪神(まれびと)としての性格を考慮したものと考える。密教的な隠喩のネットワーク(たとえば南インドの医術など)が、道教を経由して(文字を介さず)広まっていた可能性。たとえば、万歳(オオナムチとスクナヒコナという組み合わせは、太夫と才蔵の原型に思う)や巫女(イチ、イタコ、「コマチ」もそうかもしれない)、唱聞師(大黒)といった芸能による伝達があった。
奈良・平安時代の「グローバル社会」と、仏教説話について。行基(ギョウキ)や空海(クウカイ)の井戸掘りや宣教は、大国主(クズ、コシ)大己貴(ダイコキ)による国造りが「リバイバル」されたものなのではないだろうか。狩人や漁民といった非農耕民との交易や対立の記憶が、やがて「鬼」への畏敬へと変貌する。
「角大師」。アレクサンドロスの「角」にまつわる説話や、モーセの「角」のような伝承は、ただの神格化や読み間違いではなく、遊行する「狩りの神」のような神話の習合を想起させる。医薬の神でもあった神々の悪魔への頽落は、性的乱倫などの象徴となる(魔女狩りの前段階)。
天神
賀茂氏や秦氏の「雷神」と、菅原道真の「天神」の関係。「松王」という従者と、春日明神の「影向の松」。マツやモチの依り代としての役割。雷光と蛇。来迎や頼光の説話も考察すべし。
太子信仰
仏教は広義の太子信仰である。王子が流浪して真理を得るというすじがきが、北インドにローカライズされ、シルクロードと海上交易の知を統合する。さらに、対州(単なる向こう岸から、彼岸)への渡し守への畏敬。旅は地獄という異界の隠喩となる。葬儀にかんする「清め」も考えられる。清める過程は、例えば金の採掘や砂金採りなどと重ね合わされ、「死体の黄金への変化」という説話を拡散する。錬金術への展開。四大元素とエーテル、虚空などの概念を整えながら、「地獄」という精錬設備を形作っていく。中国土着の葬儀体系「儒学」、錬成体系「道教」との相克。
「化かし」考
狐狸にかんする崇拝。伯夷・叔斉、稲荷、玉藻の前、ルナール(ライナールト)狐、狐憑き。江戸時代の稲荷説話の原型を、ある種の国際的信仰と(絹交易に起因すると)考える。
サルにかんする崇拝。説話で出てくる「孫」はまごではなく、猴猻(さる)としての祭祀芸能者を指すのではないか。申楽、えてこ、いたこ……電光としての神(申)。河童駒引考のように、サルと水神、馬の組み合わせは多い。
蛇崇拝と、川に身を投げる詩人や巫女。屈原、柿本人麻呂、李白は、ある程度合理化された川への崇拝である。ディオニュソス、スサノオ以来の詩と酒との関連。
陰陽五行説
農耕祭祀と結びついた五行。起源は戦国時代以前にもさかのぼりうるのではないか。土をQuintessenceと考えれば、水、木(風)、火、金(地)は四大元素とほぼ一致する。北辰(北極星)信仰との連関。天文学と方位である十二支との習合。それは、農耕と交易がこよみや風土への感覚を鋭敏とした結果である。
十二支の動物と地形を結び付ける考え方もあったと思われる。虎御前や牛尾山といった地名は、アイヌ語にも保存されているのではないか、という考えを以前まとめた。(アイヌ語「起源」ではない)
「ことわざ」や「慣用句」は、古代の信仰がこうむった変化であるし、古代中世の恋愛や戦闘を詩に表す潮流は、密教などの錬金術と切り離して考えることはできない。「西遊記」や「八犬伝」は中野美代子や高田衛による研究があったように思う。「平家物語」や「太平記」などを、こうした方面から研究できないだろうか。
古代篇
叙事篇
ホメーロスとヘシオドス
聖書
神話群
抒情篇
ギリシア・ローマの恋愛詩
詩経と予言詩
叙景篇
歌枕と枕詞
万葉から古今、新古今へ
中世篇
叙事篇
軍記物語
変容する神話と信仰
抒情篇
吟遊詩人と恋愛詩
道教神仙譚
叙景篇
驚異・奇跡譚
伝奇