マツノヤ人文学研究所

独断と臆見による人文学研究と時評

伝説リバイバル考:水神としての詩人と蛇神

 ことばは境界をつくりだす。ことばによってかたどられた事象は、それが伝達、伝承されるかぎり永遠の記憶となりうる。ゆえにことばを用いる祭祀儀礼は(もともとは同調(Harmony)を必要とする労働が原型なのかもしれないが)共同体の中枢としてさまざまに活かされ、書き留められることとなった。

 やや時代が下ると、「抒情詩」「叙事詩」「叙景詩」は国家の形成とともに共通のトポスを獲得し、祭祀の場をはなれ、一般的、通俗的な物語へと変化していく。それに伴い、語られる対象も「理想的な」神話の神々から、いつ、どこを生きたのかが明らかな歴史的人物や、無名の「民衆」「妖怪変化」へと移っていくだろう。しかしながら、それは全く異なる物語の型を創造するものではない。交易路に沿って形成され、なにがしかの存在を物語るという「劇的な」行為は、そうしてさまざまな変貌を遂げながら受け継がれていくというのが、当研究所の『伝説リバイバル考』のスタンスである。

 

 ここでは、歌人・詩人が古代の祭祀階級の面影を残しているものという推測は(おそらく当を得たものと思うが)あえて避ける。しかし、大陸の詩祖である屈原李白、日本の歌人のはじまりともいえる人麻呂が水死したという伝承は、たんなる荒唐無稽な作り話などではなく、たとえば最古の和歌を残したとされるスサノオが海神(暴風の神)とされ、川の象徴たる大蛇を退治するといった伝説の系譜を引いているのではないだろうか。そして祭祀とかかわりがあったであろうその伝説は、蛇女や遊女とされた河の女神とほんらいはセットとなっていたのではないだろうか。西洋のメリュジーヌ伝説の韻文ともかかわりがあるのではないかと、私は考えている。ケルトやゲルマンの古伝説や、十字軍時代のペルシア文化との混淆を想定している。

 ここで思い出されるのは、落語の「千早振る」である。在原業平の歌の民間語源解を通じて語られる物語は、遊女千早が落ちぶれ、以前振った元相撲取りの豆腐屋竜田川のもとに「おから」を物乞いに来るが、断られ井戸に入水を遂げるという筋である。無知の滑稽さで覆い隠してはいるが、水神の巫たる遊女と歌人の恋、そして死をこの歌と結びつける解釈は、江戸時代以前からあったものかもしれないと私は勘ぐっている。落語は聖職者、祭祀者の説教から生まれた話芸である。その道化的笑いの中には、権威たりうる聖性が見え隠れするのではないだろうか。

 火のないところには民間語源は成り立たない。上に触れた「人麻呂」が「火止まろ」に通じ、火伏の神とあがめられてきたのも、こうした河の神々との同一視があるように思う。片目がつぶれていたと信ぜられてきたのも、目疾み⇒雨止みを基に反映されたものと考える。さらにこれらの俗解には下地があり、河の神のもつ性格が、たんなる農耕や治水のみならず、砂金採りや山からの物資の運搬を担う動脈たる「川」として、鍛冶などの崇拝を受けていたためでないかと推察する。かくなる崇拝は、水剋火、火剋金、金生水等々の五行理論のもとである程度の合理化がなされた。人麻呂が石見(金)で水死(水)したという伝承は、こうして成り立ったのだ。

 はるか後代の歌人西行が、女子供から歌をこき下ろされ退散するという「西行戻し」の伝承も、こうした水神崇拝の名残ではないかと思う。サコ(迫)又はサカ(逆)という地名が先にあって、そこには波ないし川が逆流した事実があったのではないか。または砂金(イサゴ)にまつわる可能性もある。その災害ないし交易の記憶が、西行の口碑として象徴的に語られてきたのではなかろうか。

 以上、長々と述べ来ったが、何らの実地調査はなく、井本英一や大和岩雄、吉野裕子白川静、そしてシェーファー『神女 唐代文学における龍女と雨女』などから築き上げた妄想にすぎない。しかし微力ながら祭祀から文学への変化への考察に資するのではないかと思う。

 

追記:和歌と変若水、ワッカの関わりも捨てきれません。若宮や愛護の若も実は河川の崇拝が根底にあるのかもしれない。そしてその影に差すのが「松」への崇拝であります。また、「河(かは)」と「恋(こひ)」、「古井(こゐ)」の語呂も恋愛歌と河川のつながりに存しうると思います。

 行き過ぎでしょうが、ヘファイストス(鍛冶)とアプロディーテ(欲望)、クピド(キューピッド、恋)の関係性は、西欧の恋愛詩の源流もこうした河川祭祀、遊女による売春にあったのではないかと考えさせられます。キューピッドの矢と、賀茂の神の丹塗りの矢まで比較すると、木村鷹太郎的な誇大妄想なのかもしれませんが……