マツノヤ人文学研究所

独断と臆見による人文学研究と時評

伝説リバイバル考:オオクニヌシ、祝融、海洋交易

 前日に引き続き、斜め読みの成果を。

 

 大国主祝融、蚩尤の関係性については、梅原猛がもう創作で行ってしまっているらしい(何を考えても二番煎じになるのは悩ましい)。それはともかく、八十神のような兄弟神を持っていた祝融や蚩尤の記述、そしてかれらの先行者である薬祖神農と、オオクニヌシの治療神たる性格(国主=くす、くず)の類似は、中国南部、朝鮮一帯の医薬(くす)、鍛冶(金くず)の連関を見据えるばかりでなく、遠方との交易を通じた説話の連環を感じずにはいられない。

 

 祝融、蚩尤が伝達されるにあたり、日本では主に2系統の信仰、祭祀に分化したと私は考える。前に述べたように、それはオオクニヌシという国造りを担う巨人と、スクナヒコナという賢明な小人といった、「万歳(漫才)」の源流たる祭礼である。

 ひとつは弓月君(融通王)などが伝達した祭祀芸能、融=熊(ユウ)にまつわる信仰である。かれらは隈地に居住し、自らをクマノ、クマソ、オシクマ、オオクマといった武人に擬し、猟や戦乱を演じたのだろう。この系譜を継ぐと考えられる弁慶は、熊野別当を父に持つ。伝説の猟師磐司磐三郎の影に隠れたマンジ、ムチという巫女への崇拝も、ここに入れてもよいように思う。

 もうひとつは石神崇拝である。磐座やミシャクジ(杓子や杓文字が宛てられることもある)、道祖神歓喜天、田の神、山の神、庚申待などの習慣が混在する「石」の崇拝は、おおくが陽根や女陰を擬したものである(大分単純化しすぎかもしれぬが)。これは単なる猥雑な崇拝ではなくして、おそらく薬や金属を錬成する器具、一般化すれば、「臼と杵」への信仰である。

 以上の信仰と、諏訪のカエルにまつわる神事、そして因幡の白兎の説話から断片的に類推するに、「月」と仙薬の錬成にまつわる伝説が祝融オオクニヌシスクナヒコナ崇拝の背景にあるのだ。団子や餅を供え、モチ月を鑑賞したり、月マチをする習慣はここに起因する。

 なぜカエル(アシハラノシコヲの名前は、蛙の名称なのではないか)とウサギが月で霊薬を搗いているのかといえば、より上位の捕食者「蛇」の脱皮、再生を促すためであろう。しかも夜刀神のような角の生えた蛇である(鬼のような見た目の角大師のモデルがあるのではないかと考えている)。吉野の蹴抜塔などは、山伏が蛇として再生を追体験する場であった。嫦娥に象徴されるような巫との交歓を通じ、武士や皇族は王としての「癒し」の力を手に入れるのだ。

 これらの信仰の様態は、ただ日本・朝鮮・中国に存するものではない。海伝いに、インド洋、紅海、地中海を経て、イベリア半島ケルトの地まで広がる信仰があると思う。「貝」が染料にも貨幣にも食料にも用いられるような経済圏の、黒い女神の崇拝である。そこのつながりから見れば、日本語タミル語説も、案外的を射ていたのかもしれない。

 たとえば熊と狩の女神、アルテミスなどが念頭にある。しかしながら、黒い女神の崇拝は、母子神、八幡神神功皇后や山姥と金太郎などと比較しなければならないのかもしれない。それでも、神功皇后が石を括り付け出産を遅らせたように、石や蛇や狩りや鍛冶には近接した信仰のように思う。もしかしたら、「邪馬台国」(宇佐にあったという説を目にし、思わず首肯してしまった)の女王の伝承も、魏晋南北朝時代の女神崇拝の一変種だったのではないだろうか。

 

 そしてそれは、海人が故郷においてきた妻子を懐かしんだ、労働歌の幻影なのである。農民の祖先祭祀や、ギリシャ、ローマ、オリエントからシルクロードを旅する父子の威厳ある神の法と、対比することができるだろう。