マツノヤ人文学研究所

独断と臆見による人文学研究と時評

即効性、瞬間風速、最大震度……

 持続的、持続性、持続可能性ということが煩く言われるようになって久しいが、実現されているところを見たためしがない。それどころか不思議と、どの界隈においても持続すればするほどボロが出る。もっとも、政治家がよく不快なくらい繰り返すようにそれを「驕り」とか「緩み」などと精神論的に片づけてしまうと、事態はもっとこじれてしまう。

 

 文明国に追いつき追い越せ、戦後復興、先進国の仲間入りという目標のもと、科学技術を取り入れていくと、しぜん「即効性」が高いものばかりが選び取られることとなる。大学教育も人材育成も、「即戦力」となりうる人間を求め、海外からもかき集める。そればかりか、観察に時間の掛かったり、比較を要する現象でも、拙速な結論を「即戦力」として採用してしまうのだ。

 

 日清・日露の勝利、戦後の経済成長といった先の目標の達成にはこうした瞬発力がいかんなく発揮される。しかし、長期化するのが目に見えている戦争や政権運営、そして感染病対策には、まったくもって不向き、むしろ害となるといっていいだろう。

 

 「即効性」に長けるが、「持久力」の欠如した視点は、簡単に見分けることができる。この災害の時代にあって、「百年に一度」「最大瞬間風速」「最大震度」「戦後最悪」という仰々しい言葉を何回聞いたことか。テレビの視聴率戦争、SNSのバズり、動画サイトの再生数稼ぎ……仕事の疲れが吹き飛ぶ動物や子どもの動画、ノスタルジーを掻き立てる懐かしの映像と、「老い」から現実逃避できる健康食品や医薬品のコマーシャル、低予算で中身のない、ニュースとかジャーナリズムとも言えない、単なる話題のまとめ……

 

 一時しのぎに「痛み」を先延ばしにするが、緩慢とした苦痛を味わわせる社会。取り上げられる話題はいつも0か1か。単純化しないと即決できないから、都合のいい情報の切り抜き、フレーミングができる人間が必要とされる。細分化された情報は二度と相互的な連関を取り戻すことはないだろう。

 

 そしてそれまで理路整然と営まれてきた「即戦力」的社会生活が、一度緊張を途切らすと――アノミー、混沌、カタストロフによって何もかも破壊されてしまう。買占め価格を吊り上げる「闇市」、女性の人身売買が公言され公然と行われる日常、外国崇拝――過去に「敗戦」としてとらえられてきた事象が、このコロナ禍で再来しないとは限らない(皮肉)。現にこの防空壕生活に持久力を切らし、なにか「即効性」のあるものにすがりつこうとする衝動が――「八つ当たり」的気散じともいうが――随所で見られる。

 

 おそらく、というかすでに「驕り」や「緩み」、「我慢」や「自粛」といった自罰的な精神主義でさらに抑え込もうとする圧力も見られる。都道府県や国のトップが出てきて、学校教師が「ハイ、みんなが静かになるまで何分かかりました」「家に帰るまでが遠足です」と言う程度の内容をわざわざ「言わされている」のには嫌気がさす。政治運営、緊急事態には持続性が求められるのであって、そういうその場しのぎの言論を乱発するべきではないのだ。

 

 このコロナ禍の時代のあとも、「即戦力」の時代は何事もなかったように続いていくだろう。たとえば橋下徹ホリエモン、そして再生数、視聴率の実績のある芸能人などは「即戦力」教祖として影響力をより広げていくに違いない。芸能人の政治的発言については、自分を海外のセレブか何かと勘違いして、事務所やマスコミ、スポンサー企業の間の「商品」である意識を忘れないかぎりは(いわゆる「干される」)、大いに結構であると思う。

 

 心にとめなければならないのは、一時的な感情に衝き動かされず、自ら考えて行動できるように、学びを着実に積み重ねられるような環境を構築する――いつ来るかわからない緊急事態において、「なにもかも自粛」ではなく「みずから考えて行動できる」持続性を持った人間を育てる環境を作っていくことである。