マツノヤひと・もよう学研究所

独断と臆見による人文学研究と時評

We Shall Never Surrender...

 一般的に、西洋は現実主義、東洋は神秘主義というイメージが根付いている。しかしながら、中国は現世利益的、インドでは思弁的、さらに道教は理想主義、儒教は現実路線……など、言ってしまえば何とでも言えるのであって、そのイメージは産業革命帝国主義以降のヨーロッパの価値観を中心に、専門的研究家の狭い視野で捉えられたステレオタイプにすぎない。それはカトリック的な文化や、ロマン主義の源となった異教のイメージを研究する西洋の視点にも顕われているので、正直どっこいどっこいであるともいえる。

 

 科学的世界観と文明史観が未分化なために発生した、強固な「カースト」の元で与えられた評価を覆すべく、自国自民族の文化を紹介し語り継いだ人びとの努力は敬服するほかはない。しかしながら、そのステレオタイプな視座が、結局科学的世界観と文明史観の混同に真っ向から対峙することなく、また「発展」の度合いで地域を格付けする、前世紀的な文明意識を更新することもない。良くて権威主義的で近視眼的な研究、悪くて自国中心的、原理主義的な閉鎖的過激思想へと人文学を固執させている。

 

 19世紀の大英帝国の秩序でモノを見、世界を切り取り、それに反抗した南方熊楠鈴木大拙マルクスが賞賛され、「根本的に」疑いを投げかける研究が現れていないのは残念である。彼らは産業革命で埋もれつつある「伝承」、捨てられゆく「信仰」、広がりつつある「格差」を目にし、その中で刻々と新技術が導入され、カネがモノを言うブルジョワ的「市民社会」とは違った尺度を提示し、社会を変革しようとした。彼らでなくとも、多かれ少なかれその時代の研究者や知識人にはそのような意識があったと思う。しかしながら彼らが追い求めた古き良き価値観は、「市民社会」の秩序を反転した、いわゆる絵空事の「さかさまの世界」であり、歴史を改変していく資本主義的市民社会自体の「追認」であった。文化の豊かさ、精神の豊かさ、生産手段の国有による豊かさは、所詮「市民社会」の一理想、一教養にすぎない。

 

 現実は、古臭い伝承、蒙昧な信仰、そして汚く貧しい労働者を蔑視し、「歴史的」にどうアイデンティティとして認め、「科学的」にどう合理化し、「社会的」にどう規律し教訓づけるかという関心が優った。映画や演劇などの芸能、新聞やラジオ、テレビなどのマスメディアがどうプロパガンダ化したか、という過程と軌を一にする。既成の社会秩序の追認、ステレオタイプ化、蔑視と、それに見合わない現実の無視である。

 

 2度の世界大戦を経由し、60年代にベビーブーマーたちが起こした大衆的なカウンター・カルチャーは、19世紀の植民地主義的知識人の学問的作為と、20世紀のジャーナリズム文化のプロパガンダ的世界観のハイブリッドである。ヒッピーは薬物で(ルイス・キャロルの児童文学、またウイーン分離派や東洋趣味のような)幻想的な精神的な拡張を遂げ、(英語圏の植民地だった)インドに傾倒し、(19世紀に議論されつくした)共産主義や女性中心主義的な世界の到来、黒人差別や総力戦体制の解消を訴えた。ところが、80年代に一度ぶり返したのち、21世紀に入り、原理主義的な民族紛争やテロリズムが絶えなかったゼロ年代や10年代を経てもなお、2020年の世界は同じようなことをSNS上で訴えているのである。社会運動の結果はWe Shall Overcomeではなく、We Shall Never Surrender(チャーチルは差別主義者だとしても)だった。

 

 それはもはやエスタブリッシュメントとか、既得権益とかの問題ではないし、上からの強制という、いかにも反体制的知識人が好みそうな使い古された言い訳では済まない。近代科学や資本主義の土台となった活字出版による公共圏は、王や聖職者などという「羊皮紙に書かれた」上からの権力と、文化の担い手として表舞台に躍り出た商工業者たちという「活字や版画に描かれた」下からの突き上げの均衡で成り立ってきた。さらに、産業革命や民主主義的な革命以降は、規範化された(Upperな)国語さえ用いることができれば、容易に「上からの権力」へと成り上がることのできるルートが確立された(古代中世になかったわけではない。ローマであれば徴税人や騎士、フィレンツェやオランダでは金融業者になればその一歩を踏み出せただろう)。

 

 しかし、この「書くか描かれるか」という二極的構造は壊すことができない。「書くことの拡がり」、写真や録音、録画によってそれまで卑賤視されてきた古典以外の歌舞音曲の芸能が価値を持つようになり、「アーティスト」として尊重されるようになっても、またインターネット技術の進歩で、どんなささいな日常的なことを一瞬で全世界に配信できるようになっても、「書くか描かれるか」という問題は容易に解決できない。シャリヴァリとか後妻打ちとか、かつては宗教的に、社会的な秩序維持のために行われてきた風習に属するような「ゴシップ」や「ワイドショー」が、一方では大衆を良識的に規律づけ、他方ではプライバシーとして一個人の精神をむしばみ続ける。学問も同様に、書くことによって一部の人間の選民意識に訴えかけ、描かれることでもがき続けても脱せないステレオタイプを当事者に当てはめてしまう。それは調査や発表の方法がデジタルに保存された音声や動画資料を用いるようになり、遺伝学や統計学的に推論し、電子的に公表、発信することになっても拭い去れない。

 

 わたしが構想している辰砂の利用法のグローバルな広がりについても、研究領域が錬金術道教などの所詮「オカルト」であると決めつけられたり、結論がたとえば陰謀論ユダヤ同祖論、超古代史と同じような「トンデモ」に陥ってしまうのではないかと、日々戦々恐々としている。しかし、根本的なテーマは、この「書くか描かれるか」という有史以来の人間に課された問題を追究し、すこしでも今まで「書かれないし描かれなかった」ものを見つけようという目的意識であることを付言しておく。具体的にそれは、「いままで農耕儀礼や再生、豊饒へと結びつけられてきたもの、錬金術などの空想とされてきたこと(書かれてきたもの)は書く側の文化から歪められたり蔑視されてきた鍛冶や鉱山、交易などの技術の断片(描かれてこなかった)であり、たとえば金や辰砂を通じて、権力や信仰と祭祀芸能とを密接に結びつけてきた」という仮説の横断的研究である。