マツノヤ人文学研究所

独断と臆見による人文学研究と時評

ポスト・オリエント学と水銀朱(辰砂):ユーラシア情報文化圏交渉比較環境人文学として

水銀朱(辰砂)の用途

①「朱」として顔料、装飾的要素に

②「水銀」を精錬し、金をアマルガムめっき(中世以降は鏡の研磨にも使用)

③「朱」や「水銀」を薬として使用(殺菌・ミイラ化)

④水銀と硫黄から化学的に合成する過程を、錬金術や神話などシンボル化

 

 従来の神話解釈・歴史解釈は、豊穣を願う儀礼の顕われと解釈するなど、「農耕社会」を前提としてきた。一方で採掘や精錬、鍛冶などの工業的発展は、古代・中世においては「文字に遺されない」という暗黙の了解がある。化学変化や工学的な変型を扱うこれらの職業は、商業とともに、宗教的に卑賤視・迫害されてきたという見方が一般的であろう。

 しかし、産業革命以降の農業と商工業が厳然と区別されていること自体が歴史上特殊な事態である。農業にとって、これらの従事者が存在しないことは、相当不自然なことと言わなければならない。それは、狩猟採集や石器使用の時代から言えることであろう。ひとつの社会集団に多かれ少なかれ、差別や卑賤視などで衰微しているにしても、石器や金属製品の生産機能が伝承とともに存在しているといえるのではないだろうか。

 

 「農耕民」と「遊牧民」が自然に湧き出てきて、前者が後者に征服される、というイメージが、従来の縄文人弥生人の対立、および渡来人史観にはある。これはひとえに古典的知識の逐語的反映や、敗戦のときの連合国軍占領の記憶が影響しているのであろう。移住のための形態としての「遊牧民」「海洋民」が定住の形態としての「農耕民」として定着し、別の「遊牧民」の支配を受ける……という図式のほうが適当のように思う。そのため、移住時にかれらが持っていた伝承も、定住や農耕社会への変化によって意味的な変化を被ることは当然ありうる。その中で支配の過程に生じる「遊牧民」と「農耕民」の交流や混淆という事態……典型的には、「市」や「歌垣」、そして「戦争」などで起こりうる「祭祀芸能(ものがたり)」という現象に着目しなければならない。この視点は、農業にかかわる民俗文化を、従来よりゆるやかな視点でとらえることとなる。

 

 農耕社会も、それにかかわる宗教性やモノへの崇拝も、表面的には「遅れた、病的な思考」または「立ち返ることが必要なまで隔絶されたノスタルジー」として拒絶しているわたしたち現代人も、テレビやラジオを中心とする(近年ではインターネットもふくまれる)消費社会のなかに、この「祭祀芸能」的側面を残して生活している。たとえばテレフォンショッピングでプレゼンターから説明を聞き、衝動的に購入してしまう心性と、古典的な三種の神器をめぐる起源譚を信奉する心性に、どのような差異があるだろうか?

 

 販売員という「マレビト」から聞いた道具にまつわる「起源」、およびそれの有する「効能」を聞き、有名人が愛用しているという「お墨付き」をもとに自分もあわよくばその恩恵に浴そうとする。いわば「レガリア」を中心とした共同体ができるわけであるが、これは古くからおこなわれてきた祭祀芸能を、「消費社会」というレッテルのもとにモダナイズしたに過ぎないと考えることもできる。

 

 昔の人びとも多かれ少なかれ、「死」から逃れるという願望のもと、宗教的な説法、または神話や歴史などの再現劇を見て、あるいは通過儀礼などで体験し、その共同体社会に属してきた。ユーラシアではその多くが古代からの「墳墓」のもとで展開され、のちに各宗教の「聖域」となり、それを結ぶ街道のもとに都市が形成されてきたことが要となる。遊牧社会と農耕社会の結節点に、聖人なり英雄などの「死」がいわば裏付けとなるのである。この「結節点」は遊牧民と農耕民が交錯する都市共同体という経済的性質だけではなく、王権や聖職者などの「権力共同体」、そして彼らが用いる「言語」――近代植民地でいうところの「クレオール」や「ピジン」にちかい――においても現れる。

 

 近代社会は安定した「国語即国民(民族)観」のもと歴史を編成した。そのひずみは「外来語・借用語」の国語化といった排斥や、異域からの文化的流入にたいするアンビヴァレントな感情、そして国内における「地域の序列化」を――アメリカなら方言、フランスなら南仏、日本なら東北や北海道など――引き起こすこととなる。言語が波紋状に波及していったとする方言観の誕生と、いわゆる方言札による「共通語」の強制は、そこに住まう住民にすら偏見をもたらすこととなる。近代以前の散文的雅語(いわゆる文章語)と韻文的な俗語というどちらかといえば修辞学的な技巧だったものが、言文一致を経て「役割語」のような強烈なカースト意識を作り出し、さらには外国語どうしの語族の違いによっては、相互的理解も不能であるかのような錯覚を生み出した(これが幼少期からの外国語教育、などのような信仰を作り出す)。

 

 歴史観も「虚構」や「精神」、「教訓」といった恣意的な取捨選択が行われ、あるいは「真実」「謎」「美」などといった中途半端なリアリティをもてあそぶこととなる。祭祀芸能が死などといった切迫した問題と直結していた時代から、娯楽や消費という余裕へと寄り道しつつあった輝かしい発展の時代にあって、「プロパガンダ」で民衆を扇動するようなスタイルも出現した。その結果が、二次の世界大戦と、いまだ解決しない差別や社会問題の繰り返しである。これらについては以前論じた。

 

matsunoya.hatenablog.jp

 

 神話伝承はこれまで中央官僚や詩人の恣意的な「創作」「虚構」と考える向きが優勢であった。昭和の陰謀渦巻く政界劇に飽き飽きした社会派歴史研究者たちは、その枠組みを古代史研究にも敷衍し、天皇藤原氏の「陰謀」のもと純朴な民衆から奪われた原伝承を復元しようと躍起になった。しかし、彼らが「安楽椅子から」夢想したように、上からの強制的な押し付けだけを想定するわけにはいかない。下からの突き上げとして、各地のヴァリアントが統一される必要もあったはずだ。それを証しているのが、各地に残る「何々塚」――小野宮惟喬皇子や小野小町西行和泉式部だったり、物部氏や平家の落人、南朝の皇子など、「貴種」「流浪者」「政治的敗者」が落ち延びたという伝承である。

 

 思うに、これらの子孫を称することで、先述のように遊牧する「特権」「起源」およびそれを証するような「現在の支配者との関係」を誇示することができる。それは木地師だったり、猟師や鍛冶師などの「アウトサイダー」にとっては、偽書や僭称をしてもなお生存のために必要なことであった(かれらはとくに小野という名称に水脈「ミヲ」や金脈「ネヲ」という意味を持たせていたのではないだろうか、また、熊野別当の闘鶏説話や、マーリンの二匹の竜の説話にみられるような、赤と白の軍勢にまつわるシンボリズムも考察の余地がある)。かれらは神楽や能楽などの歌舞音曲にそうした起源譚(語呂合わせなど通俗的な語源による説明もふくむ)を盛り込み、墳墓などの聖地から都市を伝い、山海河川などのさまざまな物産の産出地を渡り歩き、伝承を拡げていった。おそらく聖人や王権をかざして、ヨーロッパやインド、中国や朝鮮においても同じような機能を担い渡り歩いた人びとがいたことが予想される。世界中の伝承の中には、起源譚による特権の説明を喪い、単なる「怪異」や「幻視」、「悪魔崇拝」と見なされた事例も数多い。

 

 迫害を受けることもたびたびあった。魔女やベナンダンティが宗教裁判にかけられた近世の一時期は、歴史的な寒冷期のもとの不寛容な集団ヒステリーと考えられがちである。しかしながら、まだ確定的に断言することはできないが、例えば鍛冶集団に対する農耕社会の見方の変化に起因する……と考えることはできないだろうか。暴風雨の中でも夜中まで止むことのない鍛冶作業や、水質汚染による人や家畜への被害、そして揮発や化合、無毒化などをたとえば「昇天」や「神秘的和合」、「呪殺」などという錬金術に似た語彙で表す伝統が合わさり、「夜な夜な空を飛び異教の軍勢を率い、悪魔と乱交を行ういかがわしいカルト」と考えられたとしたら、「農民」からの告発を受けてもおかしくないからである(あえて農民にカッコを付けたのは、これが近代の牧歌的な農民イメージではなく、この「農民」も鍛冶を行い、戦乱に加わる可能性を秘めた農民であることを強調したいからである)。そうでもなければ、疫病や戦乱(たとえばドイツ農民戦争や、三十年戦争)が蔓延するつねに人手不足な時代に、裁判や牢獄への隔離などの手続きをわざわざ行い迫害のデモンストレーションを行う余裕があるのか、疑問に思うのだ。諸侯間、宗教間の戦乱が頻発した時代に、敵対する勢力の兵器などの物資を供給する鉱山師や鍛冶師たちが、「悪魔の手先」として迫害されることは想像に難くないだろう。まだ思いついただけで仮説段階だが、精査して詰めていく価値はありそうである。

 

 いっぽうで、宗教美術や信仰などにも鍛冶の技術が活用されることは往々にしてある。水銀朱は、他の鍛冶技術よりもフランスにみられる聖遺物崇敬では豪壮な金細工を施した聖遺物箱が、イタリアやスペイン、中欧など地中海一帯には聖人の「不朽体」信仰が見られる。後者は特に、真言宗のお土砂加持や馬王堆の水銀に浸された遺体のように、水銀朱の文化との関係をわたしは疑っている。スペインのアルマデン、トスカーナのアミアータやアプアーネ山脈、スロヴェニアのイドリヤ、ベオグラード近郊のアヴァラ山など、辰砂が産出される鉱山が隣接し、ゾシモスやジャービル以降の錬金技術をもつイスラームとの交易や戦乱が絶えなかった地域であることも根拠としたい。中欧・東欧ではのちに「吸血鬼(Ubir,Vampire)」と呼ばれる生ける死体の伝説も噂されたことが関係があるのではないか、と考えてもいる。これらは金細工や装飾で著名なケルト人やトラキア人、スキタイ人などの故地であり、吉田敦彦の研究では日本神話との関係も示唆されている叙事詩群の発生地でもある。

 

 東洋では墳丘墓の時代以降、道教や仏教、神道の伝承に朱が顔を出す。一大ムーブメントとなったのは、秦の始皇帝漢の武帝、唐の皇帝たちの丹薬づくり、そして東大寺の大仏建造である。これらにまつわる従来の研究に共通するのは、水俣病の世界的クローズアップによって強調された「有害性」で、一般化したのは杉山次郎の「大仏建立」で広まった水質汚染鉱毒のイメージだろう。しかし、古代人が、たとえ失敗したとしても、水銀の毒性を放置したままだったとは考えにくい。インドのドラヴィダ系の文化ではアロエなどの薬草をもちい毒性をキリング(無毒化)するシッダ医学が研究されており、その方法論が「大日経」「金剛頂経」などに流入していると佐藤任が指摘している。かくして空海が招来した密教は、以前の渡来系氏族との神仏習合を――百舌鳥や大枝、菅原などの墳丘建築や土器制作を担当していた土師氏や、東大寺大仏造営に貢献した近江の金勝氏・摂津の百済王氏・宇佐の大神(おおが)氏、三輪の賀茂氏や山城の秦氏、吉野の丹生氏など――経て、陀羅尼助丸や伊勢おしろいなどの遺産と、伊太波武助などの東北の鉱山開発などの原動力を近世まで残すこととなった。しかし、黄河流域に展開した中華王朝にとって、辰砂などの採掘地や、こうした無毒化の技術などは、古来より楚などの長江流域とインドとのつながりの上で展開してきたものであるため、入手することは容易ではなかったといわれる(上垣外憲一氏の研究を参照した)。道士徐福が日本に来たという伝承や、魏と卑弥呼の関係というのは、そうした辰砂技術が背景にあったらしい。しかしながら、農耕社会に組み替えられていく中で、鍛冶師や鉱山師が持っていた井戸や泉の発見技術(弁財天などの女神崇拝)などをふくめた都市造営計画、知の体系は、吉野裕子が研究したように陰陽五行説のもとに再編され、祭祀芸能へと姿を変えていった。

 

 その他、「祇園祭」などの商工従事者が担った山車祭礼や、神楽や能、かぶきなどの来訪的な芸能も、金鍍金などの技術の伝播、伝承に役立ったと考えている。

 

 草稿段階で読み苦しい点は重々承知しているが、以下の記事も参照していただきたい。

 

matsunoya.hatenablog.jp

 

 

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 以上、仮説的に水銀朱を中心に据えながら、ほかの金銀銅錫鉛や合金などの金属の採掘・鍛冶の全世界的展開を考察してみた。漠然とした「農耕文化」のうえに、工業化消費社会として展開しつつあった近代国民国家のなかで編成された歴史では、神話伝承は牧歌的でエキゾチックな農村の、「おおらかで奔放な」豊饒への願いとして考えられている。とくに道祖神やリンガ・ヨーニ崇拝などは好奇の目にさらされることとなった。しかし私はそこに、シルクロードや地中海、紅海などを往来した人びとの、「錬金術」に通ずる鍛冶師や鉱山師的な知恵と、彼らを取り巻く境界や権力を越えるための祭祀儀礼の存在を――井本英一が比較蒐集したような事例を通じ――見るのである。錬金術や煉丹術、そして神話に共有されている、時に残酷でエロティックな語彙から、その通時性、共時性が見えてくる。さらに植民地支配や語族によるイデオロギーに縛られたローカルな学問群から、グローバルな「新たなオリエント学」がここから見えるのではないか、とひそかに思う次第である。