マツノヤ人文学研究所

独断と臆見による人文学研究と時評

モザイク的歴史叙述、キュビズム的歴史観

 辰砂の歴史研究、などという大風呂敷を拡げてしまった。

 

 日本については市毛勲『朱の考古学』や蒲池明弘『邪馬台国は朱の王国だった』、上垣外憲一『古代日本謎の四世紀』、そして何と言っても松田壽男の『丹生の研究』『古代の朱』ですべて出尽くした感がある。ヨーロッパ方面については『金枝篇』や『河童駒引考』のような博覧強記からの、完全に推測の域を出ない。鍛冶にかんする伝承は、農耕の豊穣崇拝と同一視されやすく、異教的な悪魔崇拝やオルギーという見方しかされてこなかった。

 

 いままで抑圧されてきたマイノリティの解放を謳う社会運動により「民衆的」で「異教的」なヨーロッパが脚光を浴びたさいも、これらの扱いはいわゆる「オカルト」や「ニュー・サイエンス」じみたお国自慢の域を出ないありさまである。現在紐解いているケルト神話の本がまさにそんな感じだ。そして今、異教の神々をネット上で調べると、ソーシャルゲームの画像しかヒットしない。

 

 わたしの研究手法は、なるべく大きな枠組みを仮説として囲っておき、取捨選択した史料を後で抜き書きする……というスタイルである。そのため、どんどん大風呂敷にはなるが中身がスカスカになりがちだ。このブログの記事も、どれだけの「構想」を放置してきたことだろうか。

 

 史料の切り貼りも上手いとはいえない。一つの人間の学説や著書ではなく、「発想」を中心に本を読んでいるために、恣意的な抜きだしも多く、おそらくぼやけたモザイクのように映ることだろう。そういう自嘲をこめての表題「モザイク的歴史叙述」である。

 

 しかしながら、もう何々派で明確にくくれる歴史学派や、何々史観で説明可能な歴史観が存在しない現在において、「モザイク的歴史叙述」は、かえって人間の営みを歴史として叙述するに最適なスタイルなのではないかと思う。

 

 近代は国境線や人種間・国家間・民族間・職業間のカースト、古代・中世・近世・近代といった時代の枠組みなど、なにかと明確な境界線を引きたがった。歴史家は少しページをめくれば、自らの集団の優位性を説くことに終始しがちである。こうした見方に反発し、「弱いマイノリティ」を擁護しようとロマンやエキゾティズムで物語ろうとする歴史家もいる。「どちらの陣営に付くか」ということが論争的なポイントとなり、歴史を研究する巨視的なシステムの刷新は、図られないままだったといっても過言ではないだろう。

 

 近年は集団間の「境域」や境界線にほど近い「限界」に目を向け、歴史を叙述するスタイルも増えてきた。そこから見えてくるのは、レコンキスタの時の傭兵や、宗教的な差別に苦しむ学識を持った女性といった、歴史家が唱えるイデオロギーやテーゼでは簡単に塗りつぶすことのできない、染まりきらない人びとの存在である。たとえば中世を生きる人びとは決して自らが蒙昧な中世を生きていたと考えていたわけではない。彼らは古代の「滅亡」を分析し、巨人の肩の上でより広い視野でものを見ようとしていた。

 

 人間性なるものを判断するにも、複数の視点からの評価が必要不可欠であるように、歴史にはそれに取り組んできた多くの研究者の論を博捜し、多面的な歴史像として後世の批判をあおぐことが必要ではないだろうか。学説史などにもみられるようにその時代、その地域のスポットライトの当て方には、影となるパラダイム――その当時の社会が直面していた問題がおのずと見えてくる。わたしのこの「キュビズム歴史観」には、前述のように「塗りつぶすことのできない、染まりきらない」社会を日々目にしているからであり、近年の難民や政治運動など、熾烈なレッテルの貼りつけあいからなおも逃れようともがく意識のあり方を、どうにかして言語化できないか、という試みの内に成り立っている。

 

 書かれ、印刷された活字、ディスプレイに光るテクストや画像の背後には、つねにこうしてすり抜けていく「口承」的なエッセンスが漂っている。それは必然的に現代の空気感に似たものである。例えば鍛冶と祭祀芸能の関わりの後景には、連日連夜の鍛冶作業のなかで、農耕社会の迫害や差別、卑近で言えば「騒音・汚染の苦情」から逃れるために夜通し遊女と遊ばせたり、巡礼や寝ずの番(庚申待)、霊薬聖水などの崇拝を広める人びとの姿が浮かび上がるだろう。

 

 俗な週刊誌風に言えば、「政治やアウトローと宗教・スポーツとの癒着」がテーマである。産業革命がもたらしたであろう社会構造の変貌は、同時にこれらの問題を死に直結する一大事から、娯楽や金といった余裕・悪徳へと意味を変化させたことにある。ふだんレッド・ネックを見下す高踏的なリベラル・エスタブリッシュメントが難民などの支援を白々しくも呼びかけるように、現代の「余裕ある」視点から、古代の「切実さ」を嗤うことはできない。それは、ポスト・コロナの歴史意識をゆるがすものであるだろう。