マツノヤひと・もよう学研究所

独断と臆見による人文学研究と時評

日本語の「語源」

 「邪馬台国がどこにあったか」と同じくらい堂々巡りを続けているのが、「日本語はどこから来たのか」という問題である。考古学的成果やDNA解析などと重ね合わされ、有史以前以後の人類の移動と言語を推測する研究も見られるが、確答は得られていないようである。その時々の政治やナショナリズムに左右されることもさることながら、「謎」や「真実」という扇情的な文字が躍らなければ、論争も世間の関心も呼び込むことのできない「無風状態」かつ「閉鎖的」なジャンルであることも一因であろう。

 

 そもそも言語というのは異個体、異集団間の交渉に益するように、たえず混淆し、意味を変えていくものである。この言語観は、文字化され、純化運動がおこり、集団ごとに特殊化された辞書や正書法が編纂される、これまで言語が歩んできた排他的・選民的な歴史とは真っ向から対立する。人びとは言語を自らのアイデンティティと錯覚することで、国語と外国語のような線引きを勝手に始め、そこにみられる現象をヒエラルキー化し、占有しようとしてきた。

 

 しかしながら、その占有のために「かたられてきた」ことを、言語の歴史として認めることができても、「本質」として認められることはできない。ましてや国境の引かれた地図や「縄文・弥生」などという時代区分、そして考古学的な遺物や遺伝子の型と「言語」を即対応させることは、(それがいかに科学的に立証されていたとしても、そこに粗野な占有意識が認められるかぎり)ナンセンスというほかない。

 

 文献学や考古学では、「現存する」ものから整合性の高い結論を導き出さなければならないし、一研究者の興味関心の領域いかんで、それはいかようにも荒唐無稽なものになりうる。それでも、定説化されてしまえば異議すらはさめなくなってしまう。世間の耳目を集めるような論争に明け暮れて、地道に他領域とのミッシング・リンクを埋める体系化の作業がおろそかになってしまった最たる例が言語研究である。それはやはり、一民族の民族語として、「日本語」がいつ形成されたのかというプロット、言ってしまえば「虚構」が、長い間更新されないことにある。

 

 インド・ヨーロッパ語族アフロ・アジア語族とて、語義・語源のわからない語や借用語に満ち満ちている。それはことばの話されていた「場」、職能集団がどのような領域と交渉をもっていたかまで追跡がなされぬまま、「語族」へと統合されてしまったことを意味する。しかもダブレットのように二重に流入したり、民間語源のようなまったく関係のない単語間のシンクレティズムが図られるなど、「重ね掛け(Dubbing)」がしばしばみられるのだ。通商関係でたどることのできる交易路、信仰で参照される歴史なしでは、言語間交渉の重層性を読み解くことはきわめて困難である。

 

 日本語も、有史以来けっして閉鎖的ではなく、陸路・海路に応じ、また信仰や通商の関係からさまざまな「語群」が流入したクレオールであるといえる。基層は南島漁猟民と北方遊牧民の交易のために存したのだろう。そうした傾向を同じくする朝鮮語は言うに及ばず、開音節化した漢語(馬・梅など)、仏教・天文学に伴う梵語やペルシア語(タミル語もこの次元で流入してもおかしくはない)、そしてスペイン語ポルトガル語、英語やフランス語等々時代に即してさまざまな知識とともに混淆が行われた。

 

 それは日本語がきわめて特殊で選ばれているからではなく、英語やフランス語とて同じような傾向を有しているのであるし、ことなる地域の人間を束ねるリンガ・フランカとしての漢字文化にも必要な視点であろう。ヘレニズムという時代やシルクロードという環境における(たとえば冶金文化のような)技術の往来は、そうしたミッシング・リンク、モザイク的構造の理解を助けるものになるに違いない。