マツノヤひと・もよう学研究所

独断と臆見による人文学研究と時評

説話研究の意義

 説話の研究は、じつに多面的な意義をもっている。

 

 まず一つは、言語の構造の研究である。これまでの言語研究では自立して成立しうるかのような、文法的な側面がクローズ・アップされてきたが、言語は人と人とのあいだにはたらきかけ、あるいは生と死のあいだを仲立ちするものであるべきであり、その内容物たる物語のおよぼす影響は社会において計り知れないものである。

 たとえば時制の標示やものごとの位置関係、数などの順序といった文法的な表現は、言語学者の考えている以上にひとを拘束する。こうした構造への考察を純粋に突き詰めていった結果が「法学」なり「数学」といった解釈の手立てへと結実している。善悪などそこでもなお解決できない問題は、神話や教義といった形で集約が行われ、信仰という生と死のあいだの日々の繰り返しにおいて適宜参照されることとなる。

 近代は「精神」というかたちで教育などにより再現可能な「型」を作り上げ、その模倣の巧拙が社会的なヒエラルキーになるような社会を無意識に(つまり、これまでの古代や中世の教養、大衆や地域の民俗を継承、集約して)作り上げた。しかしながら、「型」を重視するあまり、もととなる物語や説話の言語的な問題を捨象し、「型」の蒐集と一般化に拘泥してしまう傾向にあった。たとえばすすんだ科学精神の対極、「迷信」という型に合わせて、前時代的な呪術や占術がコレクションされ、いわば偏見と好奇の眼に晒されるのである。対象内や対象間にあるはずの時間の流れや社会的関係は「迷信」と指示されることを契機に遮断され、思考停止されてしまう。

 もちろん、近現代の科学と教養的民俗的な信仰のあいだに「同質性」「均質性」をもとめすぎるのは早計である。それでも、両者は記号や物語をひとまとまりにした言語を介して文化として伝わるものであり、たとえどのような細分化をきわめた研究であっても、言語の構造をぬきにしては至極まとまりを欠いた結論となる。

 

 二つ目に、説話は実際の社会的な行為を「模倣する」ことを促すところに、その眼目がある。言語文化は知として蓄積され、その時々に応じて参照される。かつて信仰がもっていた、場所・時季・社会的地位によって著しく限定された知を「いつでも・どこでも」開放するところに、近代科学の功績はあった。ただし、機械や競争により環境や社会的関係に強い負荷がかかるものであったし、「いつでも・どこでも」の基準に反するふるまいには厳しい制裁・差別がともなった。この「いつでも・どこでも」の判断を下すこととなったのが、これまで伝統に権威をもたらしてきた「王権」にとってかわる、文壇やマスメディアの「公共圏」による説話の大量生産であった。

 これまで庇護を受ける側であった商工業者たちが社会的に台頭してきたことは、旧弊の信仰や王の権威に変質をもたらすこととなった。「民衆」の支持という正統性、「科学」に適合するかという正当性のない論理は容赦なく退けられ、さらに地域をまたぎ、歴史をさかのぼって判断が行われることとなる。勧善懲悪の「かたり」の流行は、アカデミックであるなしを問わずヒーローとしての王と臣民の関係、アンチヒーローとしてのアウトローの家父長的な子弟関係と軌を一にして爆発的に広まることとなった。教養や民俗を巻き込んだ、この価値体系の逆流・混線は歴史研究において宿痾となっている。

 

 さいごに、近現代的な価値や技術の広まりによって失われつつある断片的な知識を、次代に伝承していくことに、現代の使命がある。産業革命以前の、「農耕」や「鍛冶」の社会的関係は、いわば近代的な「農業」「工業」「商業」によって攪乱されている、と言わざるを得ない。王権の正統性や都市民の帰農という政治的プロパガンダや歴史的レトリックに彩られた「牧歌」や「農耕詩」を、純粋な牧人や農民の知恵として受け取ることはできない。しかし、これらが文語ラテン語の教養とされることで、農業本位の経済や歴史が作り出され、そのカウンター・カルチャーとして工業・商業本位の資本主義経済と科学的歴史観が積み重ねられてきた。この解釈にならい、または儒教や仏教のバイアスを正当に評価せぬまま、万葉集古事記などが読み解かれ、現在との連関において歴史化されている。

 これらの文字化された言語の「歴史」と、おそらく口承でつたえられただろう説話の「歴史」のあいだには、大きな隔たりを抱えたまま散逸の危機が存在する。後者は伝承者の減少による時間的な限界と、文字化へのコンプレックスによる歪曲により「偽史」として不当な扱いを受け、前者は細分化されることでその存在意義を見失っている。

 ここで、古人がただ漫然と天変地異を惧れ天象を崇拝し、古墳のありかを王や英雄の事績とともに伝えたのか、あるいは死後の世界を船による航海や死者への裁き、刑罰としての責め苛みにたとえたのかを今一度再考する必要がある。これらは死後への不安や安心ばかりではなく、後生に守り伝えるべき事柄を死に借りて表現したものではないか。

 都や墓地の選定に伴う測量や天文観察の技術、そして信仰をあらわす装飾美術や占術、呪術は、社会的なヒエラルキー外の、畏怖すべき鉱山師や鍛冶師、定住にも不可欠な土木治水の知識と不可分である。ゆえにタブー視され、差別され、近現代には農耕や狩猟に付随した迷信として軽視されてきた。さらに、これらは海を隔てた「同質性(グローバル性)」と、その地域・時代ごとのローカライズを勘案しながら研究を進めなければならない。

 

 神話や説話のこうした裏付けをとらなければ、人文学が他に資する学問たることは永劫なく、たとえば一都市だけが豊かになるような観光政策、一産業だけが富み栄えて将来への投資がおこなわれない社会構造、出身集団の利得優先で配分が行われる政治などを根本的に転換できるような総合的な学知をもった人間を得ることなどもってのほかであろう。