マツノヤひと・もよう学研究所

独断と臆見による人文学研究と時評

言語と古文化表象学

またしても大きなブランクが空いてしまった。

 

現代のように、好きなときに好きなだけ書物が読めるという状況は極めてまれな事態である。衣食住にかかわるその他の行為も大体は季節や場所の制約があったものである。それが撤廃されたのは、ひとえに機械による産業革命や教育による識字率の向上の貢献が大きい。そうして均質化された国民国家貨幣経済の恩恵により、自由な精神活動が行えるようになった反面、社会的・環境的な負荷が及ぼす疲弊も顕著になってきてはいるが。

「時や場所によってフレキシブルに変化しうる社会的関係」は、書物文明のなかにおいては受け入れられがたい不確定性を孕んでいる。書物の「型にはまった」理解……ある論理のもとに階級、差別、進歩、目的を説くというスタイルは、不測の事態が相次ぐと自壊してしまうほどに脆いものである。「解釈」が新たに付け加わってしまえば、意味さえ正しく後世に伝えることはできない。震災の時代は書物の文化に深い自省をもたらすものではなかったか。いま我々の間に拓けた視点は、些末で旧態依然とした窮屈な議論、そして思考停止した権力である。

人文学的な古文化表象の研究、とりわけ、暦と人間はどのように関わってきたか、また聖地や祝祭にまつわる伝承の総合的研究は、たんに人類学という西欧文明ありきのパラダイムにとらわれるものではない。また前時代的なオカルト・精神論・自民族中心主義に拘泥するものでもない。これらの問題点は、「普遍的な真理」を追求するあまり、古文化の置かれていた特殊の事情を鑑みず、1つの物語にしたてあげてしまった硬直性に起因する。