マツノヤひと・もよう学研究所

独断と臆見による人文学研究と時評

「ひと-もよう学」草稿

「ひと-もよう学」草稿
●人間は動物的な「もよう」を殆ど帯びずに生まれ出る。それが自然においてどのような生存へと結びつくか。道具を使用し、表象することにより植物を育て、動物をてなずける、あるいは他の人間と強調したり、敵対することにつながってきたのだと思う。ある種の「パターン認識」が、生の持続にいかに作用してきたのか。「ひと‐もよう学(人文学)」のテーマはこの生の持続性に在る。

■言語のはたらきとはなにか。「ひろがり」または「つながり」について

ことばは指し示すものであり、時間的・空間的なひろがりを現わすものである。

人間が道具を使用し、共同で働くようになってから、ことばはより多義的に、スキーマとして意味を融合させるようになった。存在がその都度明らかにしなければならない「ひろがり」……共同体のうちの信用もその一つである。

■拡がったものを繋げる機構(organism)……認識・認知のための「行為(performance)」儀礼

領域と限界が明確に区分されるのは、数学=論理的な形式……集合論と構造において完成された。しかしながら、その形式は自然の空間と時間を完璧に模倣するには至っていない。人間は言語によって領域と限界を顕現することができる。

あらゆる文化表象は、自然を模倣し、反復されひろまることによって、共同体の規範となりえた。自然現象……太陽と月、風や雷、夜の星々は空間的領域と時間的限界を劇的に指し示す。ここにおいて、「ひろがり」より「かたり」が生まれることとなる。

人間はその文化的ないとなみのなかで「時間」「空間」に対する認知を広げてきた。「生の持続」には、いわゆる「再生」、ひとりの人間の死を超えた生の持続や、家系や作り上げてきた事物の維持・聖域化などの要素も当然含まれる。

■共同体と行為的な「模倣」……実体と仮象の「連続性」「持続性」をた-もつもの

信仰的宗教は、人間の精神的規範をもうけることによって、この聖なる言語文化表象の広がりを変形することができる。道具の使用、そしてそれによって得られる感覚的充足……衣食住、そして性の設備は共同体の信仰により大きく制御されることとなる。言語とてその軛からは逃れえない。言語は記銘されることによって、その道具的性質、感覚的統御を一層強めることとなった。自然現象と時間・空間の認識(時空認知)から大きく変貌することとなり、古神界から逸脱することとなったのだ。

■持続性と「配分」、比の概念

始原の神話、配分する理性を支える認知的な思考。それは比較して比率を割り出すことにある。ギリシアから中国にいたるまで、古代文明の理性は「配分」を基礎として身分的に相応な生活様式を肯定することを是とした。平等かつ再生産可能な生活様式は「比」によって維持される。その視点は主に彫刻や建築より生まれてきたものであろう。

そうした比は春夏秋冬という時間的なものや、黄金比や大和比などの幾何学的な比を援用して受け継がれる。


■神話(かたり)時代の古神界について、聖なるものどもの領域

「ひろがり」聖なるものどもの領域は、言語の「共有」がもたらす社会(つながり)の規範である。そこには空間的領域と時間的限界がある。

詩は、言語の信用性を犠牲に、古神界の遺物……シンボルとスキーマを空間化/時間化する。

行為と想起を結びつける「精神」の誕生……鎮魂、再生


■「唯劇論」
 ○テーマ、生と死のあいだに
公共の言語と詩の言語――連用的世界観と連体的世界観(命名
 スキーマとしての人体・天空・地理
道具使用と文化
劇が儀礼となるとき

 たんなる「口碑」が、一社会の生活様式まで拘束する社会的信念、規範になってしまう現象は、徒に民俗学歴史学の関心を惹くばかりではない。こうした言語文化のもたらす「信用」は政治経済に直結する課題である。

 貴族的な古典教養文化(西欧的には人文主義)は、近代において徐々にその活力を失い、実用的な自然科学にとって代わられた。しかし、前近代の詩や和歌において顕著だった観方のように、「迷信深く柔弱」であったから衰退したわけではない。「言語文化の未分化状態」において効力を発揮してきた教養に対する社会的信用が、高度に「精神的」な美や歴史的な芸術として純化・合理化されてきた結果、細分化され、傍流の自然科学に排斥されるほどにコミュニティの信用や影響力を縮小してしまったのだ。

 貴族的な古典教養文化、人文主義には、文字化される以前の人びとの原動力・モチベーションとなってきた前史が存在する。「物質民俗」はその解答の一つであり、詩や物語のもともとの社会的役割――労働歌やシャリヴァリといったものに密接に関連するものといえる。農耕文化は、鍛冶や窯業、狩猟や漁業にならぶ道具使用の一形態にすぎない。古代社会においては、これらを身体的な比喩、擬人化によってとりまとめ、詩歌や舞踊によって「再生」することこそが、社会的に尊敬される、異能や権威の源であったことは間違いない。こうしたシャマニズムが、音頭取りを要する軍隊や鍛冶、そして農業の有力貴族によって牽引され、「民俗」として維持されてきた。

 この物質的崩壊こそが、「口碑」「儀礼」の根源であり、より直截的にいうならば、「死と再生」の信仰と不可分のものであったことは、数多くの文化的共同体の基体として重層的な「死と再生」が意識されていることによって証される。祖霊の死は、はなはだ逆説的ではあるが、子孫としての再生として暗示されるのだ。風水や古墳ばかりでなく、西欧的な教会にいたるまで、家や墓は「母胎」のイメージから分化する。泉による取水や採鉱などの必要から山や洞穴を選んだ実用的側面も確かにある。だが、「炉=火処」の存在が、連想の決定的な決め手となる。

 そして、物質的崩壊の中心から周縁(境界)にかけて、男性的陽根崇拝としての石造物や建築が築かれることにより、一種の「再生」が意識されることとなる。河原や坂、もしくは「厠」という表象は、特殊な土木治水技術を要する都市の末端として、またケガレの漂着点、あるいは次なる再生の生産拠点となる。
 工匠たちは、文字という手段を持つ持たないにかかわらず、図像や記号によって(そもそも文字自体が特定の音と結びついた図像の特殊な事例であるが)「死と再生」を多彩に表現してきた。必然的に、詩歌にも物質的な生産と破壊が言及され、さまざまなコードがスキーマやメタファーの形で標示されることとなる。死んだ人間、消滅した事物が「模倣」され、現在に「介入」する。その起点が道具使用、身体の延長としての技術なのだ。

 ○他者の修辞学:信仰
  詩のカテゴリーとその攪乱……恋愛詩と戦乱・政治(恋愛はプロパガンダとなりうる)
  詩における欲望の表象と巫覡……興
  人称と印欧語族三分イデオロギー……「法」の三分イデオロギー(意志・命令・推量)

「工匠文化」について
 ジョルジュ・デュメジルがいうところの印欧語族の社会の三階層というものは、言語が共有される三つの次元・境界を作り出すことによる、社会的「信用」のあらわれである。それが端的に現れたのが詩であって、勇ましい叙事詩、慎ましく勤勉な農事詩、エロティックで予言的な牧歌というウェルギリウスの三つの詩や、あるいは詩経や楚辞、そして本邦の和歌などに見て取れるアイディアだと思う。

 神話的な文学や美術においてそれが特に重視されるのは、教養や言語それ自体として、社会的に広域かつ後世まで伝達しなければならない情報のパターンがこの三つに集約されてきたのだからだろう。文字の存在いかんにかかわらず、言語として表現可能な空間と時間の表現手段は、「命名」の煩雑さを避けるがために、おのずと簡潔な擬人化や比喩のバリエーションに依存する。これによって(たんに「存在する」のみではない、)「人称」によるさまざまな表現が可能になるのであるが、多くの言語では意志・命令・推量の三つに逢着する。これは古文の「む・べし」や英語の「助動詞」、ラテン語ロマンス語の「接続法」の主な用法であるだけでなく、詩の三カテゴリーにおいて表現される内容――戦乱の栄誉や死の根源(意志)、時季を択んで行わねばならぬ所作(命令)、そして繊細な空想と社会的転変の暗示(推量)に合致する。

 先述したデュメジルのカテゴリーは、単に社会的な身分としての祭司・戦士・農民だけでなく、この人称的な意志・命令・推量を神話的人格になぞらえたものと考えることもできるだろう。

 富・武力・聖性という動機素がそれぞれ対応する(興味深いことに、スキーマによって容易に転化しうる)。

 その点で、人間が古くから伝達に躍起になってきた「技術(道具使用)」は、その起源譚から習得、熟練まで、一つひとつの道具や挙動を言語化し、理由付けする困難さを要するように思われる。しかしながら、機械化や識字教育以前の前近代では、「物語」や「劇」、「儀礼」による絶え間ない反復によって、身体的に「記憶」し、ある意味では身体と社会制度や信仰、技術が「未分化」な状態を維持してきた。これらがきっぱりと分化し、あるものは科学、またあるものは政治、あるいは病気や迷信といった忌むべきものとなったのは、近代的な市民的な意識下においてにすぎない。

プルシャとシャクティ
   
 ○トリックスターの表象/投影される権力の起源

 ○区切りとしての起源譚/引用しあう説話群
  アレクサンドロス大王と説話群の攪乱
  オリエント・ヘレニズム・インド・シルクロード

大乗仏教の極楽浄土と宇宙論……エジプト的な秘儀(アルケミー)
 四大元素と四方位、水銀による金の錬成

 ○公共圏、精神、文学の「かたり」と看過される「境域」
  マクロな歴史とミクロな歴史

■古神界的表徴……鍛冶たちの伝承
植民地時代と言語表象

インド=ヨーロッパ語族、アフロ=アジア語族……政治的に分断された工匠たち
 近代科学の発達、産業革命の進展と「啓蒙主義=進化論」的世界観は、前近代的な工匠たちのmythologicalな世界観を政治的・精神的に分断した。その端的な例は神秘的オカルティズムである。

「知識」について、たんなる空想、想像力やある意図によって虚構を生み出すにしても、「尤もらしい」と思える信用が共有されていることが前提となるのではないか。そこには、農耕文化を維持するためのシステム、天文や測地、あるいは金属器や土器をつくる技術が介在したはずである。いや、むしろ農耕文化こそが、道具をあやつる技術を支える食糧補給体制として、人体とその機能的延長である道具使用を維持してきたのだ。

 そうした技術の総体は、工匠たちにとっては通過儀礼的に、経験して獲得するものであった。原初の神話、詩や物語は、こうした経験的な知を次世代に語り継いでいくためのシステムであった。ここに、祭祀儀礼をめぐる二重化の構造を見て取ることができる。従来のエリート対民衆や、民族対国家の歴史観は、再考を要すべきものである。

 ここに挙げられる事例の多くは、従来、科学的な思考や歴史観とはまったく異質な民俗伝承とかんがえられてきた。それもそのはずで、科学的な思考や歴史観とは、近代的な民主国家や民族という社会集団において、数々の道具を使いこなすために用立てられた知識なのである。したがって、そこで通用する常識は、他の技術を知るには非常に狭隘で限局された知なのである。


○技術の維持のための信仰・占術・呪術
人類にもたらされた鍛冶の技術は、人間の行動の「ひろがり」を支えるだけでなく、その高度な比喩性により言語を顛倒させた。予期し、依存する言語的表象……呪術が、記録や伝承を生み出す。模倣的行為が原型と受け取られる現象

鉱物や木材、水などの資源の収奪構造(余剰の占有)……戦争と秩序、(哲学以前)「正義」の抽象化


太陽神崇拝と母神崇拝……古神界と秘儀
ミトラス神、ルグ神、毘遮那仏、ナルト叙事詩……仏教・キリスト教の母胎、騎馬鍛冶文化の記憶と古星座
観音・女神と母胎(へそ)

北斗七星と太陽の神話的関連性

異界の詩学と時間性
 雁から白鳥へ(角の生え変わる鹿、脱皮する蛇、飛来する白鳥)
 復活する王・女王……錬金術的発想

北辰崇拝と表象(シャクジ・庚申)……犠牲の肉片、車、柄杓、一つ足、鹿
日吉山王信仰・伊勢(再生する太陽と不滅の太陽)
弥勒菩薩の半跏思惟、百済観音の姿勢など、北斗を象徴?

曙光と日没、そして春夏秋冬……さまざまなシンボルで現われる太陽神崇拝
 アーサー王ヘラクレス(十二ヶ月の象徴化)
 十二ヶ月の象徴化以前には、十か月ないし九か月と「死」の二三ヶ月があった

車輪(十字架と渦巻)
夏の車輪、冬の十字架……もようの始原
唐草文様
伊勢の車文、祇園の山鉾

 ◎竈神と厠神
  東西錬金術と「炉」
  香炉と立花
  茶道の源流としての再生信仰(偽史についての示唆)
   北斗七星と鳳凰……天皇的イメージの濫用による「遊芸」確立

春分夏至秋分冬至と祝祭
 半月・半年ごとに繰り返すこよみ(陰陽五行、季節呪術)

中国系(節句
 一月一日・三月三日・五月五日・七月七日・九月九日
ケルト
 万聖節(11/1)-クリスマス(冬至・12/31)-インボルク祭(2/1)-復活祭(春分)-ペルティネ祭(5/1)-聖ヨハネ祭(夏至・6/26)-ルグナサド(8/1)-聖ミシェル(秋分・9/15)
 ヴァルテール・植田重雄参照。また十二使徒・マルガレーテやバルバラなどの聖人暦

  冬至夏至春分秋分:地上の方角をふくめて(√2の三角形、比例理論)
  上社・下社の対応(附・山アテ、堪輿
  十字表象・六角と八角……死と再生

日没と日の出のあいだには「夜」があり、星たちが輝く。季節の移り変わりのなかで変わらず

「時空認知」と風……住環境、道具へのさまざまな表象⇒色紙・屏風に風鎮めの歌
 アナシ・嵐の時代……『青銅の王の足跡』『四天王寺の鷹』


●土木治水にたいする人びとの畏怖:「石神」論
 ○境界(さか)と鬼、悪魔
 ○神仙思想・陰陽五行の影響
  牛頭天王と宿曜(藤原氏と御霊崇拝)
  ケルヌンノス:医薬神と行疫神・境界侵犯⇒ミトラス
  黄道十二宮・月宿・十二支
  要衝としての播磨・周縁としての明石……人麻呂信仰

■古墳と古代中世技術史

●技術継承の場と巡礼・秘儀
 ○猿楽・狂言と中世神話
 ○闘争と祝祭

 ○聖域と祝祭……説話、日常の淵源としての生の浪費
  源平藤橘と親方ジャック(建築術のルーツ)
   源氏と「八幡宮」「南宮大社」、平家と「妙見」「北辰」
   藤原氏と「田原藤太」、橘氏と「金売り吉次」
   景清・景正・景政考
   菅原氏・紀氏・惟喬親王木地師塗師)……「太子信仰」
    和泉式部橘諸兄在原業平
   能(猿楽)と貴族:日本の中世劇(愛欲への信仰)
   フリーメイソンと聖人崇拝:ヨーロッパの中世劇
 
⇒神社・寺院から築城術へ。行基空海の伝説から
 実際の兵法の変化と呪術的視点

御霊・鬼・魔の顕現……死と再生、そして社会共同体

 ○天文学と冶金文化……盲目と邪視

マンダラ・ヘルメス主義・道教……空間・時間の「エレメント(元素)」化
 しつらい……炉や井戸の衣食住における重要性と無関係ではない

 ○煉獄にかんする一考察……後景の鍛冶神・硫黄

●冶金伝承
 ○前史としての風神・雷神崇拝(大汝)
 ○スキタイ文化と神宝
 ○石…凝灰岩と花崗岩
 ○水銀朱とアマルガム(鉛丹・弁柄をふくむ)
 ○ブロンズ(錫)
 ○鉄(チタン・マンガン・ニッケル)
 ○金・銀(大仏建立前後・石山寺
 ○鉛(弾丸と楽茶碗)


百人一首(植物のシンボル性)

始原的な「詩」、集団労働や擬態・擬音
密儀的なフレーズ
四季のトランジション

原点としての近江荒都歌(大化の改新の終焉と陰陽思想)

流謫、簒奪のテーマ
父子(血統)

源氏……皇族と藤原氏の対立の歴史が武士団を生む(源融源実朝
  軍記語りと穀霊

源氏物語伊勢物語の記憶

 業平(六歌仙+紀氏、敏行)菅家(亭子院)中宮定子(花山襲撃)九条家歌壇

植物……木地師轆轤師と建築
 桜(しろたへ)・紅葉(くれなゐ)六首と風(柳や杜若は風に散らない)
  破軍星の位置に「紅梅(貫之)」と「白菊(みつね)」が来る。また、柿本(柿=熟す)
  また、古き軒端と霜より、それぞれ順徳歌と家持歌が連想される。「心あてに」「心もしらず」と心あくがれる御霊を連想。平安京の終焉がテーマ?
 松(冬)・蘆(夏)と普遍性・未熟性(夏・冬はあを系の季節である)


鹿の崇拝(香具山、春日、宇治山)=人麻呂の原像?

鳥と風神、蛇と雷神(スサノオ時代からの古神界的伝統)「あをに」と「朱丹」(サナヘとニヒナヘ)

伝統的二分法……一月七日(若菜摘み)と七月七日(七夕、半年周期)