マツノヤ人文学研究所

独断と臆見による人文学研究と時評

言語表象文化――「たてる」哲学

 歴史や言語は、「国家や民族、あるいはそれらに類した社会集団固有のもの」であるという、素朴な認識がある。

 

 高等教育や専門的議論においても、もっと言うならおよそ言語を用いて社会活動を送る人間は、この「無意識の壁」によって守られながら、論理的に思考している。孤立的な選民主義は言うに及ばず、手垢のついたグローバリズム、「異文化」への相互理解であっても、この手の縄張り意識なしでは成立しえないだろう。

 

 ところが、こうした認識への越境――人間の考えには一定の類型があったり、語源をたどれば同一性を実証できる――をくわだて、主張するものがいる。

 

 はっきり言えば、この手の侵略的空想は、前世紀の国境線――植民地支配や民族紛争とは不可分であった。しかも決して根拠なき妄想などではなく、文明崇拝、進歩主義によって、まるで人類の「成長過程」のように人類を、また民族、国民をカテゴライズする怜悧な政治活動であった。

 

 現代の人文学研究、あるいは教育は、一見これらの批判のうえに生まれ、冷笑しているように見える。大衆文化にどっぷりと浸かった知識人は、ナショナリズム的教養から断絶をうたい、経済知識と社会的常識がすべてであるかのようにふるまう。しかしながら、彼らは歴史や言語にたいする基本構想には、近代の知識人以上に鈍感なのである。

 

 まさに機械的に――各種娯楽やマスメディアによってイメージは歪み、人工知能や機械認識によって差別的構造は記憶され、分断されていく。管理社会のなかで、食欲や購買欲、嗜癖をもとにつながりながら、自らの属する縄張り内のほんの狭い、ほの暗い知識の一区画を所有し、それに満足しながら生を終えるのだ。道具によって仕切られながら生きること、それは永遠に続く生などではなく、緩慢な死である。

 

 道具に「使われる」人間――それは現代社会固有の笑話のようであるが、道具を器官の延長として、あるいは「メタファー」として用いるようになってからの宿痾なのではないか。道具を使用するということは、簡単な訓練を施せばサルにもできる――それは、我われの構想する「道具」が、研究所内の環境や、人間とサルに共通する手指の構造や歩行を前提として考えられているからである――しかし、人間と同じように、道具を長期間、理由をもって使用「し続ける」かは、(研究者の科研費獲得が順調に進まないかぎりは)明らかにならないだろう。サルの用いた道具に「意味をもたせた」のは人間である。これはすなわち、人間が「道具を用いたサル」を道具として、「人間がサルに道具を用いさせた」という目的を達成したにすぎない(これは幼児の言語獲得と同じトリックであるともいえる)。さらにサルを研究する人間も、研究所の存続や、研究上の栄誉という「意味」を追い求めて、いわば自己をより大きな、しばし擬人化された他者の目的のために、みずからを道具化しているのだ。

 

 道具と自己という関係は、知識と自己だったり、あるいは「歴史・言語」と自己との関係ともいえる。みずからの生きる「空間」を拡張して、親密かそうでないか、順序づけることは、「時間」への意識へと(隠喩的に)つながる。そして、その推論をもとに、みずからの属する社会への「信頼」――信用を形作っていく。その信用の依り代がどこにあるかによって、人間はいとも簡単に外界の事象を擬人化できるし、みずからを道具化(非-人間化)することもできる。

 

 翻って考えれば、哲学は、「ある」または「なる」という道具的な在り方に特化した学問なのである。しかしながら、言語に依拠し「かたる」かぎり、純粋な「道具」として語り伝えることはできない。そのため、道具的な在り方を探究しつつも、そこから人間的な在り方を模索してきたともいえる。哲学が脱却を試みた神話的世界観ですら、悠久の昔からつづく自然を擬人化し、対して今を生きる人間を道具化しながら、神が分け与える生を賛美してきたのだから。道具があり、そしてどこかにそれを用いる人間を「たて」、仮定しなければ、歴史や言語はなりたちえない。それが、「国家や民族、あるいはそれらに類した社会集団固有のもの」という、さも当たり前の認識によってもはや疑われなかったとき、非合理で不自由な学問と生の乖離がすすむこととなる。

 

 説話や美術、その他文化が機能してきたすべての事物――表象は、けっして虚構や人間の想像力という詐欺的な語彙より生じたものではない。社会を成り立たしめてきた技術と道具がつねにまとわりつく。それらを無視し、ただ一人の天才やすぐれた技能集団特有の創意と考えることは、学問における視界を狭める。そう信じ込むことは、「信用」自体を考えることから逃避させるし、「道具を用い生命を維持する」「知識を用い分析する」「歴史・言語を用い壁を築く」人間を省みる機会すら奪う執着をひきおこすだろう。ひいてはそれは、道具に使われ生き延びさせられ、知識に分断され、歴史・言語にみずからの生を引き裂かれる、過去の人間の過ちを延々と学ばず繰り返すことにつながる。

ゴッドファーザーの失敗

ゴッドファーザーPart3を初めて観た。

 

Part1とPart2はだいぶ昔に観たことがあったが、Part3は初見だ。駄作という評判を前々から聞いていたので、蛇足な作品とばかり思っていた。が、今回BSで一挙放送されていたのを観て(Part1は見逃したし、Part3は前半見忘れたが)、世間の評判ほど当てにならぬものはないとつくづく考えさせられた。

逆張りの癖に偏見でものを見るので食わず嫌いが多い。「車輪の再発明」かもしれないが、雑感をつらつら書き連ねたいと思う。

 

アメリカ映画は基本的にビジネスであり、万人受けするよう味付けされ、練り上げられた「新しい神話」である。そして映画批評や賞の受容も、瞬間的な興業成績や成り行きで決まってしまうものだ。ところが、制作者側は戦前のヨーロッパで発展した映画理論や、シェイクスピアギリシア古典演劇から受け継がれるストーリーライティングと演技を土台として物語を紡ごうとしている。

その情報の非対称性を、日本の映画界はどれほど認識しているだろうか?だからこそ、「全米が泣いた」とかいうキャッチコピー、宣伝がまかり通る。

 

もう一つ、特筆すべきは、プロパガンダの道具として利用されてきた映画が、アメリカの謳う自由と平等、個人主義を表現するときに生まれる「ズレ」だ。たいがい、その帰結は、目的を達成するためには手段を選ばない暴力映画や、目的と手段を取り違えた快楽を見せつけるポルノになる。問題なのは、映画がプロパガンダ性をまだ喪失しないままエンターテイメントとして享受されるこの軋み、ストーリーとキャラクターに与えた影響が、そのまま映画史となる点である。写実的に描き、CGで精巧に具体化することだけがハリウッド映画でない。アメリカから見た「理解できない他者」をアメリカ流に表現(模倣)する、その再生産の過程が、映画の筋書きじたいを拘束している。

 

前置きが長くなった。ゴッドファーザーはイタリア系アメリカ人のステレオタイプを決定づけた作品であるが、おそらく主人公マイケル・コルレオーネはもっとも非マフィア的である。「家業」から離れ、大学で学び海軍で軍功を挙げた英雄マイケルは、病に倒れた父ヴィトを守りたい一心でファミリーを率い、また恋人ケイとの約束を果たすため組織の合法化に腐心する。しかしながら彼が歩むのは、ある意味マフィアらしい、血で血を洗う終わらない抗争と、信頼していた家族を失う修羅の道である。Part2ではファミリーを作り上げるヴィトの姿が対照的に描かれ、Part3では自身の精神的・肉体的な消耗に抗いつづけ、ついにはキリスト教にすがるマイケルの弱々しい姿がクローズアップされるが、基本的なテーマは一貫している。「模倣」である。

 

Part3は、ソフィア・コッポラの演技がたとえまずくても、この「模倣」の終演のためにやはり必要なのである。

 

マイケルは徹頭徹尾父を模倣しようとする。ゴッドファーザーに「成りすます」が、基本的な考え方がアメリカ的であるため、シチリア人たちを統率することに欠けている。彼にとっての「ファミリー」は血縁的な繋がりでしかないし、「ビジネス」は上っ面の契約でしかない。孤独のなかアメリカへ渡ったヴィトが地縁に生かされ、同郷人に義理堅いシチリア任侠として生涯を終えたのに対して、恋人との約束とか息子や娘の幸せ「だけ」を願うマイケルは、それゆえに兄や腹心の離反、妻の中絶、娘と甥の道ならぬ恋などの「裏切り」に遭ってしまう。その結果、裏切らない「ルーツ」、敬虔なシチリア人としての振る舞いにのめりこんでいく。これがますます孤独な死を招くことは悲劇としかいいようがない。

 

 

ん?これはどこかで見た構図だ。「市民ケーン」である。

新聞王ケーンは偶然家に転がり込んだ大金で失われた「子ども時代」「家族愛」を取り戻そうと、新聞社、美術コレクション、悪友、愛人をソリ「バラのつぼみ」号代わりにして遊び回った。彼が大きな子どものままだったために、どれも完成しないまま壊され、もとの孤独のまま生涯を終えてしまったのであるが。

 

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ケーンにとっての「ローズ・バッド」は、マイケルにとっての「シチリア」である。家族を喪ったヴィトにとって復讐の手段にすぎなかったシチリアは、マイケルにとって宿命的なルーツとなってしまい、多くの家族を喪うことになる。ケーンが子どものまま大人になってしまった男であり、マイケルはシチリア人になりきれなかったアメリカ人だ。

シチリア人のみならず、Part2の黒幕・ハイマン・ロスが、たとえ逃亡の口実といえイスラエルに帰還することを望んでいたことや、革命のために手榴弾で自爆するキューバのゲリラ、そしてマイケルが海軍に志願する動機となった真珠湾攻撃、ペンタンジェリが組織づくり、そして自身の死の手本としたローマ帝国など、「故郷への忠誠」はゴッドファーザーの中にさまざまに(さりげなく)描かれている。その多くはマイケルにとって排除すべき障害なのだが、同時に自分のルーツを表面的にしかなぞれないマイケルのぎこちなさ、悲哀を浮き彫りにする。「シチリア人の家族愛」について父を手本にしようとしながら、結果的に妻や妹に暴力をふるい束縛しようとするし、敬虔な兄を殺したことで幻影を追うようにキリスト教にのめり込む痛々しい姿が最たるものといえよう。

市民ケーンもそうだが、実在のモデル関連で物議を醸す作品は、その話題性が先行して内容が吟味されることがない。むしろ、「権力者」や「犯罪」といった自由平等と程遠いはずの他者を通じて、アメリカ社会を穿ちすぎている事実から目を背けているかのようである。二度の大戦で急成長したアメリカの「権力」と「犯罪」が、ルーツの「再認」によって嫌が応にも表現せざるを得ない。

つまるところ、古典的な劇の手法、オイディプスオデュッセウスのしがらみから映画は逃れられていないのだ。

 

いやあ、映画っていいものですねえ。似たことを指摘している方がおられたらご一報ください。

 

 

 

 

余談

ゴッドファーザーを手本にした仁義なき戦いが、エロと暴力を詰め込みながら、アメリカとは少し違った「下っ端の切り捨て」という日本の悪弊を活写しているのは、まことに因果なものと言わざるをえない。

Let It Be偏向的総論:Can You Dig It?

 まさかの半年ぶりの続編。

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Let It Beというアルバムを、私はあんまり聴いてこなかった。コンセプトが適当で自然消滅したゲット・バック・セッションを、フィル・スペクターという変態プロデューサーがド派手なオーケストラでアレンジして、ポールの怒りを買い解散の元凶となった。

そういう経緯を「ジェフ・エメリック自伝」とか「コンプリート・セッション」でよく知っていたから、個人的にはこのアルバムを聴くよりは「マジカル・ミステリー・ツアー」を100回聴きたいし、「イエロー・サブマリン(ソングトラックじゃない方)」のほうが価値があるとまで思っていた。レット・イット・ビー・ネイキッドとか、アンソロジーとか、バレット・テープスやA/B Roadなどのブートレグのほうが好みだったまである。

 

しかしながら、とある日に「アイ・ミー・マイン」を聴いたことによって評価は一変した。これはフィル・スペクターが好き勝手作ったものではなく、しかるべき「演出」のためのオーケストレーションなのである。

 

アメリカやGBから遠く離れた日本では、ロックというのはある程度舶来のシュミであって、音楽雑誌やライナー・ノーツなどの「神話」とともに味わい、鑑賞することが求められる(フレンチ料理とか茶道とかに通ずるものがある)。しかしながら、その「神話」と音楽的な「評価」がごっちゃになると、ジョンが憎い、ポールは嫌いなどという理由で安易に駄作と決めつけてしまうことになる。音楽理論とかコード進行とかで聴くのもなんかズレている(ビートルズ当時もグスタフ・マーラーの曲進行と重ねる評論家がいた)。もう前の記事で何を書いたか忘れてしまったが、そういう「神話」や「理論」を取っ払って、新たな邪推と偏見で聴いてみよう、というのがこの記事の趣旨である。

 

総論 

このアルバムは、ビートルズを育てたジョージ・マーティンや、ストーンズなどで実績を積みつつあった新進気鋭のグリン・ジョンズではなく、他でもないフィル・スペクターが完成させることで意味があった。そもそも、ビートルズじしんが掲げた「原点回帰」という方針が迷走したのは、彼らがティーン・エイジャーのときに触れた「原点」はロックンロールだけではないのである。フィルの「ウォール・オブ・サウンド」をはじめとするコーラス・グループやオーケストレーションもまた原点であって、エルビスチャック・ベリー由来のラウドなパフォーマンスにこうした「演出」が加わることで、後世のロックに新たな方向性が与えられたのではないだろうか。正直、曲にいらん手を加えられて怒っていたポールも、「ジェット」や「死ぬのは奴らだ」などはLet It Beなしでは生まれなかったと思う。

しかも、この音楽はただのできた曲の寄せ集めではなく、崩壊するバンドを描いた「映画」の「サウンドトラック」という性格を見落としてはならない。「ハード・デイズ・ナイト」とか「ヘルプ」とか「イエロー・サブマリン」では、ビートルズが曲を提供し、マーティンとかがスコアを書いていたのが、ここで初めてビートルズの曲単体で劇伴として成り立つようになったのである。「マジカル・ミステリー・ツアー」の失敗は、おそらくビートルズのマネジメント、そして曲だけでは映画の流れに重要な「演出」「脚色」に、彼らの経験が足りなかったことを意味している。

そこを補ったのが、フィル・スペクターのMGM映画みたいなあの仰々しいアレンジだったのだ。このアレンジゆえに、エルヴィスや若大将的なアイドル映画、ミュージカルだったり、プロモーション・ビデオやライブ映像というものの萌芽にあった60年代から、ドキュメンタリーやノンフィクション的なミュージシャンの「映像」を生み出すことに成功した、という意義があるのかもしれない。Let It Beなしでは「ボへ泣き」もできなかったかもしれんですな。

もちろん、そうしたソングトラックとしてのLet It Beとはべつの、「ゲット・バック・セッション」の残骸としてもこのアルバムは面白い。ポールの当初の「ワンマン」的には、アメリカ受けを狙った「ウエスト・コースト・ロック」っぽいものを目指していたのだろうし(レット・イット・ビーとかワインディング・ロードはイレギュラーな曲目である)、ジョージはくすぶりながらも「サムシング」や解散後につながる垢ぬけたサウンドを生み出しつつあった。リンゴは映画内で「オクトパスズ・ガーデン」をジョージやジョンと協力して生み出すさまに、後年の楽曲提供につながる人柄のよさ、スター気質が現れている。そしてリンゴのドラムがなければビートルズじゃない。

問題はジョンである。「ヘルプ」以降のジョンはスランプで暗中模索している感がある(もともと後ろ向きでヘタレな作風だったが)。そうした苦悩、シンシアやヨーコとのすったもんだに、明らかに成長しつつあるポールやジョージの曲を手伝わされては、ジョンでなくとも「ふざける」「不貞腐れる」「皮肉る」くらいしかできないだろう(ゲット・バック・セッションではジョンの得意なルイス・キャロル譲りのユーモアセンスを活かしづらい)。

サイケデリックロックやフォークからワイルドでラウドな、しかし垢ぬけつつあった70年代のロックへの過渡期にあって、ポールやジョージはわりと素直に流行に乗った曲を書くが、ジョンはインドに取り残されたかのような「アクロス・ザ・ユニヴァース(アルバムのは68年のテイクに手を加えただけだが)」や田舎っぽ~い自嘲的な「ディグ・ア・ポニー」をぶつける。それでも、ルーフトップのパフォーマンスは貫禄であるし、なんだかんだ言ってバンドの大黒柱だ。「ドント・レット・ミー・ダウン」などのひねくれながらも素直な曲は、たぶんジョンが脱皮したかった商業的なラブソングからメッセージソングへの完全移行を促し、バンドがなし崩し的に取り組んだ「アイ・ウォント・ユー」や「スターティング・オーヴァー」など終生続くジョン色、熱狂的ファンを生み出してしまうカリスマ性の復活が見て取れる。

 

つまり、Let It Beは、例えるならばフィル・スペクターの作った醤油豚骨ラーメンであり、ネイキッドはそうじゃない普通の醤油ラーメンを出したつもりが、鶏ガラを出してしまったわけである(しかもCCCDで)。つまっているのかわからないが。

 

創作落語「怪談・加州旅籠(ホテル・カリフォルニア)」

毎度ばかばかしい小噺を一つ。

 

時は70年代、エルヴィスがまだ生きていて、ジョンレノンがショーンの子守りをやっていたころ、まだベトナム戦争の爪痕の生々しいアメリカのお話でございます。ひとりの男が、暗い暗い砂漠の夜道を、バイクで風切って飛ばしておりました。

 

もう夜だから、どこかのモーテルのベッドに潜り込もうってェ算段ですが、あいにくここは砂漠のど真ん中、あるのはコリタスばかり。そろそろガス欠が気になって、こちとらちっとも「テイク・イット・イージー」じゃあいられないってェ丁度そのときに、ぼんやり光る窓明かりが前に見えてきた。

 

「おーい大将、お宿を貸してはくれないかい」と中に入ってみると、何やら訳ありげの、色っぽい女がおるようです。暗がりの中で、その時突然教会の鐘がゴーンと鳴りますもンだから、なんだかブキミで、マリファナにつままれたような、「ここァ極楽かもしれねェが、ともすると閻魔様のご厄介になるかもしれねェ」ってェ気分です。「まあまあ旅のお方、お上がりなんし」と言われたままに、ろうそくの火を頼りに廊下を歩いていくと、騒がしい宴席の声が聞こえてきます。

 

ホテル・カリフォルニア住みよいところ(ア ドッコイショ)

一度はおいでよ西海岸(チョイナ チョイナ)

フリスコ行くならホテル・カリフォルニア(ア ドッコイショ)

電話は4126(チョイナ チョイナ)

 

なんてバカ騒ぎを背に女主人とちょいと話をしておりますと、こいつがただ者じゃあない。ベンツを毎日乗り回し、毎晩若い男友達とお楽しみ。中庭では踊ったり何やら乱痴気騒ぎをしているとのことです。そうこうしているうちに、ウェイターがやってきたので、ワインでも一杯ひっかけようと頼みましたが、「うんにゃ、ウチにはそんなご大層なスピリッツはもうねェだ、69年以来……」と首を振るばかり。これじゃ仕方がないと、69年というと、モンタレーがなんだ、ウッドストックがなんだと思い出話に花を咲かせます。

 

「俺ァあの頃ヒッピーだったんだけどね、やっぱりあそこでみたジミヘンやジャニスジョプリンのパフォーマンス以上のものはこの方見たことァないね。やっぱロックは死んだよ」なんて懐かしんでおりますと、とつぜん女主人と大将がフフフアハハと笑い出します。

 

「お前さんがその時見たっていうジミヘンやジャニスは、ちょうどこんな顔じゃあなかったかい!?」と現れた顔は、27歳で死んだはずのあのふたり!ぶったまげて、たまらず逃げ出すと、フロントでドアマンに呼び止められました。

 

「お客さん、落ち着いてください。チェックアウトは自由ですが、ここを離れることはできませんよ」と止められます。「それと……お前さんがあの時でモンタレーで見たドアーズは、ちょうどこんな顔じゃあなかったかい!?」と見上げた顔が、なんと27歳で死んだはずのあのジムモリソン!

 

フロントのドアマンじゃなくて、ドアーズのフロントマン!

 

「ああなるほど、これが本当のロックダウンか」

おあとがよろしいようで。

 

ロックダウンで生み出されたマッカートニーⅢ、今月12月18日発売でございますので、お帰りのさいはぜひともお買い求めください。

 

 

 

ポスト・グローバルとパスト・グローバル

 現代社会の政治や経済においても、「グローバル」という観点は非常にややこしい問題を孕んでいる。

 

 経営者や政治家は、英語の公用語化や自由貿易などという、ときに荒唐無稽で、ときに皮相のみに終わる目標を掲げる。いままでの決まり事を総とっかえして、世界的な基準にあわせようとするので、当然反発がおこる。そこで勃興するのが、「ローカル」な文化の再解釈・再評価であり、これらは文化人や宗教者を中心に、国粋主義的で選民主義的にすすめられるものだと、一般的に理解されていると思う。

 

 しかしながら、その「ローカル」とされる文化も、たんに「グローバル」との二項対立で捉えられうるものではない。それらは、重層的に積み上げられていった「グローバル」の結果なのである。「グローバル」と「ローカル」を比較または類比するのは、たいてい玉ねぎの皮を引きはがして、身の部分と比べるようなことにすぎないのに、たとえば精神性の違いや遺伝学的な問題へと話がもつれる。

 

 この事実は人文学的にはあまりにも軽視されてきたといわざるをえない。多くはグローバルを推進する側、ローカルを守り通す側両方の歴史への無知に起因する。たいていの人間は一方への知識を恃み、もう一方への無知を覆い隠そうとして、「グローバル」「ローカル」どちらかを過剰に否定しようとする。そうして、ヒューマニズムも人類の調和のへったくれもない、だれかの人格を否定するような論理が人文学に積み重なっていく。

 

 実例は山ほど挙げることができる。「発達障害は方言を話すことができない」などと、近代日本の言文一致や標準語化の努力を踏みにじるような言説が罷り通る。だいたい、方言だってほとんど近代以前の文語ではないか。このような差別的な言論にかまけている暇があったら、古典語文法や漢文を現代化して、小学生から英語といっしょに比較言語学的に学べるシステムを構築したほうがよほどためになる。

 

 科学と錬金術ニュートン錬金術の研究に打ち込んでいたことは科学史的には「恥」とされる。しかし、「科学」というのは時代によってその意味の総体を変えていくものであることを忘れてはならない(これは疑似科学、オカルトやニューエイジを積極的に肯定する文ではない)。

 卑金属を金に変える、錬金術とされてきたもののなかには、「化学」の元になる元素の理論的萌芽もあれば、「鍍金」などの物理や工学などの経験的知識、その他倫理や哲学など、現代的な「科学」には収まらない雑多なものがあり、さまざまなメタファーによって「錬金術」として結び付けられてきたのである。それを、現代の「科学的」視点から解釈するのも、「非科学的」オカルト肯定の視点から賛美するのも、決定的な事実を見逃すことになる。

 じっさい、職人たちがどのように文化を継承し、建築や工芸などが生み出されていったのかが無視されてきた結果、社会的には職人への貧困や差別、技術的には科学革命と機械化、文化的にはロマン主義精神主義などの農耕賛美と頭でっかちな類型論による芸術批評、そして思想的には秘密結社や迷信などの啓蒙による淘汰が別々の領域で進行し、もはや統一的に把握することが困難なのだ。わたしが提唱する「工匠文化」は、かつては「日知り」ないし「火知り」としてあがめられてきた、聖職者や鍛冶・鉱山師などの技能集団が、近代科学・政治経済思想によって「迷信的」「無知」と決めつけられるまでの技術的総体である。

 

 このモデルが、おそらく「グローバル」が「ローカル(パスト・グローバル)」と分断されるさまをよく映していると思う。

 

 

言語文化の再構にむけて:工匠文化へのまなざし

 人文学で取り扱う知識は、一般的に「教養」と呼ばれている。それらは、たとえば国家だったり民族だったり、あるいはもっと広範な「人類」を主体に、積み上げられてきた知を取り扱うことを建前としている。書店にならぶ「教養」の本をざっと見れば、驚くほど多彩な地域の、多様な時代背景から成り立っていることがわかる。これらを読むと、自分の価値観や世界観が「広がる」と感じることができるのは、なんと純粋な無知であることだろう。

 

 実のところ、実際に「研究者」が触れることのできる知は、その教育のレベルが上がるほど深く、狭くなっていく。専門としている領域を「理解」するためには、外国語の文献は必須であるし、近しい関心を持つものどうしの意見交換も必要となる。そして次代の研究者の育成のために時間を費やす。これらを効率的に成し遂げるには、一分野に専心して、一世を風靡するような言論を打ち立てることが求められる。そうしたしがらみができればできるほど、他の領域に口をはさむことは不勉強のそしりをまぬかれず、難しくなっていく。

 

 けれどもそうしたルーティンワークは、己の研究を現代の「鏡」として映し出すには十分であるが、文化というマクロコスモスの過去・現在・未来を透徹した一視点として機能させ続けるには、あまりにも「一過的」すぎる。事実、どれだけの本が「教養」として推奨され、「流行」として忘却の彼方に消え去っていったことか。

 

 このような偉そうなことを言って何を伝えたいのか。人文学的教養の主体は、これまで――少なくともイタリア・ルネッサンス以降は――誤って捉えられていたといっても過言ではない、ということに尽きる。

 

 

 科学と芸術という、教養趣味の二極化を生み出したのが「活版印刷」である。文章や本が身近なものとなり、ものを書く・読むという行為が大きくその姿を変えようとしていたのは明白である。「教育」というのがその典型的な例で、国民国家民族主義が、科学や芸術の「主体」としての論理的・情緒的な「国民」「民族」という幻影を作り出した。原始人や女子供、植民地などは、「研究され」、その論理や情緒に絡めとられ、「学ぶ」側へと位置付けられていった(外国人に自国の文化を称賛させるような風潮は、そのもっとも頽落した形態であるといえる)。

 

 「科学」や「芸術」――学術というシステムに依拠するかぎり、こうした権威的で不均等なシステムを知らず知らずのうちに再生産することとなるだろう。そこにいるのは、他者を無知とあざ笑い、他者に時代遅れの世間知らずとあざ笑われる道化たちである。

 

 われわれは、科学と芸術が不可分で、まだ何とも言い表すことのできなかった時代に立ち返らなければならない。ギルドや講のように、人生の通過儀礼や季節に密着しながら、儀礼符牒によって「ものがたる」ことによって、文化が維持されてきた時代があった。シルクロードや紅海、インド洋の交易路における文化の類似性はひとえに「工匠」たちのこうした慣習の賜物と言えるだろう。仏教とキリスト教だったり、日本神話と遊牧民族の神話が似ていることなどを説く研究は数多い。

 

 しかし、そうした文化の担い手や、それらにかこつけてどういう事柄が語り伝えられてきたかに着目する研究というのは僅少なのである。政治的動機や作為的編集によって虚構の物語が語り伝えられるという、「活版印刷時代の常識」は見直されなければならない。金属採取、加工や、天文地理、建築など、さまざまな知識が溶け込んだうえで「神話」が成り立つ。

 

 天地のあらゆる表象を把握することは、機械-人間-自然のかかわり以前の社会において、たんなる迷信以上の意義を持ちえていた。人びとはそうした情報を「物語」の形で遠方に伝達し、あるいは次代に伝承することで、モノゴトが「ある」のみならずモノゴトが「かくあるべき」という社会を維持してきた。この言語文化の作用は「記録・教育」を主とする活字書物文化とは一線を画すシステムである。何らかの「ことば」の――詩が典型的であった――イメージに乗せられた「祖型(かた)」は、なにか別のふくみを「再生」することになる。

 

 この再-現前、再現-前には、共同体のおきてやなりわいなどが雑然と混合し、たとえば生産されるモノを「身に着ける」ことによって規範を「身に着ける」ような代替がおこなわれた。さらに比喩は、高度な技術を継承する工匠たちを、呪術的な思考へと導くこととなる。「名称」は絶え間なく細分化する。これを大多数の同意の元、融合することが、権威や暴力のあらましとして「あらわれる」こととなる。

 

 モノは現存する。コトは非現実的に想起される。これらをむすびつける「信用」が、社会のメカニズムと日常行為の遂行に作用するのだ。さまざまな立場・職掌の人間が、契約をして権力を成り立たせるために、「物語ること」を必要とした。

 

 こうした視点を踏まえた上で再解釈を要するのが、言語のはたらきである。従来の言語学は、外見的な名詞や動詞などの意味や意義を考察するのが中心で、そのフィールドも、人間の「自然な」発話のメカニズムを称した、物語から切り取られた文章である。こうした近代に表面化した話し言葉や書き言葉は、文法や認知的なスキーマとして扱うには特殊であるし狭すぎる。

 

 言語学が国家や民族を超えた抽象的な「信用」「信念」についての考察になるには、哲学の助けを必要とするだろう。しかしながら「文字」を使用する段階で、それ以前に「メタファー」や「シンボル」を用いて技術の伝達をはかった段階で、あるもので別のものを代理-表象する、「信用」「信念」の本質は完成していたはずである。われわれはより注意深く古今東西の言語文化を観察する必要がある。もはや西洋や東洋の違いを比較し列挙することも、ひとつの学問体系を「人類」の必須教養として誤った一般化をすることも学問とはなりえない。より本質的に言語文化を――あらゆる学藝の連関を見通すことが、研究者の責務となる。