マツノヤひと・もよう学研究所

独断と臆見による人文学研究と時評

ひと・もよう学序曲(治水と説話)

若尾五雄の独創的な着眼点は、巷間彼の業績として伝えられている「鉱山民俗学」や「河童は渦巻である」ではない。

 

若尾の説の分かりにくさ、とくに論証の弱さとしてとらえられた所は、そうした彼の思考の結節点に至る様々なプロセスが無視され、語呂合わせなどで直感的に推理されたと受け取られた点にある。

昭和33(1958)年12月、かれが『和泉民俗』に載せた最初の論考は「久米田池の伝説と史実」であった。そこから「和泉国府の伝承」、「岸和田狼王と水の神」、そして「土木工法の伝承」といったトピックに論が進んでいく。「鉱山」「鬼」「河童」といった枝葉末節においても、基本的な思想として「治水」「水利」についての研究が内在する。

 

「治水」についてドラスティックに考察した思想家に、前記事で挙げた小川豊のほか、『物語 日本の治水史』を著わした竹林征三、そして『風土記世界と鉄王神話』にて若尾とも通ずる鍛冶神話の考証にあたった吉野裕などが挙げられる。説話の世界に潜む河川技術の伝承については、もっと注目されてもよい。

 

 

私は蛇や猿が婚姻をむすぼうとする「異類婚姻譚」、そしてより古層の神の子を産む「神婚説話」、そして金太郎などの「姥神・鬼姥」はもともとこうした河川技術の伝承を目的としたものだったと考えている。

 

鍛冶や炭焼きが「朝日」長者となり、竹取の翁が拾った姫が「一夜にして」大きくなる。もちろんそこには製鉄にまつわる伝承も含まれているが、そこには「ウバガフトコロ」「ソボ」といわれた赤土の産生地に集住し、その故に常に「蛇抜け」「猿」などと呼称された河川災害に悩まされてきた古代人・中世人たちの悩みがあった。

 

植物地名もまた重要である。しかし通説のように吉祥などを期待して植物地名を名付けるのではなく、「水害地の特質」がそこに好んで生える「植物の特性」と結びつくが故に、植物名となるのではないだろうか。梅は土質を好まず植えることができる。笹や竹は人為・自然の攪乱に強く、根を伸ばす。松は厳しい環境下でも根を張ることができる。梅田は「埋め田」の語呂合わせ、嘉祥地名といわれるが、むしろ「埋め(昧)」の状態でも育つからこそ梅であり、根の保水力、土壌改変によって堤防を作るのが狙いだったのではなのではないか(逆に芝や草などの草本が名付けられた地名は遷移の初期を表し、氾濫の頻度を物語る)。

 

化け屋敷、飴買い幽霊についても同様である。このうち、飴買い幽霊は中国の伝承を高僧が取り入れた創作であるという説が柳田国男以来の定説である。お菊井戸については以前推論を述べたことがあるが、クク(自然堤防)だった土地に新たに屋敷を建てたところ水害で欠けが生じ、井戸が使い物にならなくなった土地をサラ屋敷と呼んだことが考えられる。

飴買い幽霊は雨で産女(埋め)状態となっていた河原の墓地が崩れ、そこに新たに赤子(蛇籠)で護岸を施したことを説話化したものだとおもう。問題はそこに女人成仏の教義が内在し、法華経信仰がこの説話の流行の一助となっていた側面である。

 

古くは太子信仰、天神信仰天台宗日蓮宗の存在基盤となった法華経信仰を、のちの治水巧者である加藤清正や成富兵庫が信仰していたところを見ると、この北インド成立の経典がインド・中国の治水術(風神雷神崇拝、竜王への雨乞いもまた含まれる)を取り込み、説話(直談)などで教義とともに流布していったことがのちの近世大名・武士主導の治水事業につながっていったのではないか。

そのグロッサリー的集大成が「日光山縁起」、つまり猿丸大夫伝説であり、桜(裂クラ)、紅葉(揉み地)、雪月花(ともにその年の稲の出来の予兆となる景物だった)を愛する労働歌たる俗謡から和歌・連歌といった雅のウタの世界にも通底するものである。

 

(若尾の業績の紹介をするつもりが、まだまだ晦渋な自説の開陳となってしまった。)

「ひと・もよう学」巻頭言――2024年、若尾民俗学の継承

今をさかのぼること30年前、ある老人が大阪・岸和田でその生涯を終えた。

 

もと産婦人科医。生涯を懸けて「物質民俗学」なる学問をとなえ、岸和田の史跡研究から発展した「松浦佐用姫伝説は土木工事伝承」「鬼・修験は産鉄民」「河童は渦巻である」などの主張をみずから発行するミニコミ誌で発表し続けた。まだ鉱山業を知る人物が日本列島に点在した昭和30年~40年代、ときには所属する医師会の旅行に便乗するなど、フィールドワークを綿密に重ねていた。其の説は(偏屈な彼の気性もあってか)はじめ首肯する人物は多くなく、少しでも興味を示した人間には彼の質問攻めに遭い、そのミニコミ誌――『和泉民俗』『泉州情報』が毎日のように送り付けられたという。

 

30年の時が過ぎた80年代後半ごろから、心酔者の出版社社長・芝正夫がかれの学説を編集し、『物質民俗学の視点』全3冊を刊行している。しかし志半ばで芝は没し、民俗学者森栗茂一氏がその難事業を引き継いだ。

morikuri.cocolog-nifty.com

誤字・論拠薄弱のきらいのある癖の強い文章の「ゴーストライティング」に不満タラタラであったことは森栗氏の後年の述懐に表れている。すでに80歳を越えていた老人にかつてのフィールドワークの記憶はなく、原稿に目を通す体力はなかったが、「著書」を後生大事そうにさすっていたそうだ。そして森栗氏が阪神淡路大震災の復興に向け活動していた平成7(1995)年、老人が没したことを知らされたとのことだ。(後述の井上説によれば1994年没)

 

その男、「若尾五雄」の学的成果は、果たして過去の遺物にすぎないだろうか?

 

岐阜・垂井の南宮神社を同時期に探索したことで知己となり、ときに若尾の産婦人科を訪問することもあった谷川健一が『青銅の神の足跡』を著わし、鉱山民俗学は日本の読書界を席巻した(文庫版のあとがきは森栗氏が担当している)。住吉大社宮司であった真弓常忠も若尾の猛攻撃を受け、『古代の鉄と神々』にその説を摂り入れることとなった。また、もと読売新聞社記者であった沢史生も「天狗や河童が中央政権に弾圧された民衆である」というみずからの説の補強に若尾の説を援用している。

しかし、自らのルーツの探求過程で鉱山民俗学を知った小田治が『黄金秘説』を発表したところ、若尾が自説の剽窃と受け取り憤慨、自説の露出を避けたためその後の鉱山民俗学の波及、そして行方をたどることは難しくなる。

 

だが、若尾が没して以後もその説が省みられる事は少なくない。2000年代初頭から井上孝夫氏が安房の製鉄伝承や河童伝承を研究する過程で若尾の思想を再発見し、『金属伝説で日本を読む』にまとめた。SNS上ではちょくちょくその説が引用されているようだ。谷川健一が没して久しいが、『青銅の神の足跡』と同じ集英社から出ている某鬼退治マンガはその影響下にあると言ってよい(ちょっとは人文学に還元してくれてもいいものだが)。

 

松屋主人苔丸は、この2024年の抱負として「ひと・もよう学」を通じ、若尾民俗学の継承と発展を目指す。

 

このコロナ禍の3年余りの乱読。若尾の同時代人――河内長野観心寺前で喫茶店『阿修羅窟』を営み、真言宗錬金術の関係を研究した佐藤任、大阪大学でイラン民俗学を研究した井本英一、陰陽五行による日本文化の解明をライフワークとした吉野裕子、その批判者で中国神話を構造主義的に解釈しようとした鉄井慶紀、ジョルジュ・デュメジルの神話学を日本神話に援用した吉田敦彦、そして欠かすことのできぬ大和岩雄の存在、などなど――を渉猟し、なにがしかの知的融合を図れないか、模索の年であった。

 

その過程で、中国神話学の百田弥栄子氏、フランスの神話学と民俗学の大家・F.ヴァルテール氏、洪水神話と人文地理学の成果を融合しようと努力されている佐々木高弘氏などの名を知ることができたのも幸甚であった。

 

なかでも、若尾と同時代を生きながら、まったく交流したようすの見えない研究者の知的成果も、若尾民俗学と改めて突き合わせることで、まったく新たな沃野が拓けてくるという気づきも得ることができた。国土省の技官として全国の崩落地を回り、徳島で崩壊地名について研究を進めた小川豊である。彼は崩壊地名解明と警告に生涯を捧げ、若尾と入れ替わるように出版活動を進めていった。谷川健一とは交渉があったようではあるが……

 

さいごに、本研究ブログの方向性を整理したい。ユーラシアの説話や神話が共有している生命の持続に欠かせぬ「水」の思想を比較しながら、その保全――治水、製鉄などの技術が、哲学・信仰・呪術などへと変貌する過程を考察し、忘れられた思想家たちの「再発見」に努めていく。

 

まだ理解の浅い面も多々あるとは思いますが、お手柔らかに何卒よろしくお願い申し上げます。

 

【参考文献】

若尾五雄『黄金と百足――鉱山民俗学への道』人文書院、1994年。

井上孝夫『金属伝説で日本を読む』東信堂、2018年。

Now and Then、または或るバンドのデビュー・シングル

――61年前、デビュー・シングルのセッションを失敗した或るバンドがいた。

 

デモ・テープを作ったもののレコード会社を盥回しにされ、窮屈なバンに押し込められながらイングランド各地をギグして回る日々。やっとのことでコミックソング専門のレーベルに拾われセッションにこぎつけるも、ドラマーは力量不足で解雇。以前ハンブルクで共演したことのあるドラマーを加入させるも、レコード会社はセッションミュージシャンを雇い、シングル用に用意した曲を歌わせようとした――

 

しかし奴らは自分たちの曲を歌わなきゃ気が済まないらしい。しぶしぶプロデューサーはその要求を呑む。しょうがないので新入りにはタンバリンを叩かせた。

 

もうアメリカでもポップスはフィル・スペクター、計算ずくの「音の壁」の時代だ。ロックンロール、ましてやスキッフルなんて流行らないし、自分たちの曲を演奏しようとゴネるそんなバンド、売れるわけがない。テープはとっくの昔に捨ててしまった。その上アルバムを作りたいだって?マネージャーが色々手を尽くしラジオ局や雑誌に売り込もうとしているが、鬱陶しい。1日だけスタジオを使わせてやろう。レコードジャケットなんかレコード会社の中庭で撮ればいい。

 

どんなにライブで歌おうがスタジオに籠ろうが、誰も奴らの音楽を聴くことはない。どんな所にいようが、奴らはファンに囲まれ、一挙手一投足がマスコミに報じられるけれども。弦楽器なんか使って、日頃クラシックしか聴かない上流階級や眉を顰める親御さんたちに媚びようたって無駄だ。政治体制や宗教に口出しして、薬物に手を染めたって、誰もお前らの曲なんか聴いちゃくれない。レコードや雑誌を捨てて、忘れたころにまた新しいのを買うだけさ。

 

聞くところによると、また奴らはしくじったらしい。相変わらずスタジオでだらだらと何やら演奏しているみたいだが。白黒テレビに映るクリスマスのTVスペシャルの出来なんて最悪だった。どんなにカラフルな服を着て愛を歌っても、自分たちのマネジメントなんて出来っこない。インド行もアニメ映画も、ライブ活動再開も失敗、アルバムができる一部始終を映画に撮ろうとして結局お蔵入り。あーあ、最後は喧嘩別れか。

 

もう一生遊んで暮らせる金も手に入っただろうに、何をそんなに自分の曲を歌いたいのだろう。著作権訴訟に巻き込まれる奴ら、未練がましくバンドを作る奴ら……音楽稼業に嫌気がさしてニューヨークに雲隠れしていた奴も、テープレコーダーに一生懸命何かを吹き込んでいる。手を握りあって喜ぶような歳でもなくなったのに、一体なにが欲しいのだろう。金で買えない本物の愛、鳥のような自由、そして、それから?

 

年月は過ぎ、一人、また一人とメンバーがこの世を去る。残りの奴らはどうにか自分たちの曲を作ろうと、デモやらアウト・テイクをいじくっては何とか音楽チャートに載せようとする。どれだけ「最後の曲」が発表され、どれだけ「5人目のビートル」が死んだことだろう。

 

気づいてみれば、遠い遠いインドまで七つの海を支配した大英帝国ももうないし、拍手の代わりにダイアモンドをジャラジャラ鳴らした可愛い女王様ももういない。エルビスもチャックベリーもカールパーキンスもリトルリチャードもいない。ウクライナの女の子がバラライカを踊り、「我が心のジョージア」を歌いたくなるようなU.S.S.R.も、跡形もなくなってしまった。

 

それでもなお、奴らは自分たちの曲を歌わなきゃ気が済まないらしい。60年前にデビューを「試みた」バンドが、四半世紀以上前に投げ出した曲をレコーディングし直した。Youtubeに氾濫するブートレグやAIカラオケにイラついたのかもしれないし、あるいはまったく聴きもしないのに偉そうに「過去の社会現象」「歴史的な革命」として神話化して金稼ぎするクソ野郎どもに、目に物見せてやりたいのか。もしかしたらしたり顔のローリング・ストーンズを「サージェント・ペパー」の時みたいにまた挑発しようとしているのかもしれない。

 

お望み通りの、自分たちの曲を歌ったはずの「デビュー・シングル」に満足できなかったバンド。2人もいたはずのギタリストがもう居ないのに、そして残るメンバーが80歳をとうに超えたというのに、ご機嫌なベーシストが相変わらず音頭を取って無理やり周りを巻き込んだらしい。時計の針が80年で止まったままのボーカル、これほどまでに厄介なバンドを抱えた親の仕事を引き継がされる息子のオーケストレーション、「60年経ってまだこれか」とドラムスのボヤキが聞こえてきそうなタンバリンの余韻を残し、ヘルター・スケルターな「新曲」は終わった。

 

ジョン・レノンポール・マッカートニーが自ら作詞作曲した音楽をヒットさせ、数々の神話と#1を作り出した「ザ・ビートルズ」。Now and Thenには彼らの栄光と愛すべき失敗の60年が刻まれていたし、彼らファブ・フォーは本当に聴いてほしかったLove Me Doのステレオミックスを引っ提げて、今日晴れてデビューが出来たのだ。

 

今ここにはいないだれかに、音楽を聴いてもらうため。

 

「グループを代表してお礼を申し上げたいと思います。私たちがオーディションに合格していることを願っています」

「ひと-もよう学」草稿

「ひと-もよう学」草稿
●人間は動物的な「もよう」を殆ど帯びずに生まれ出る。それが自然においてどのような生存へと結びつくか。道具を使用し、表象することにより植物を育て、動物をてなずける、あるいは他の人間と強調したり、敵対することにつながってきたのだと思う。ある種の「パターン認識」が、生の持続にいかに作用してきたのか。「ひと‐もよう学(人文学)」のテーマはこの生の持続性に在る。

■言語のはたらきとはなにか。「ひろがり」または「つながり」について

ことばは指し示すものであり、時間的・空間的なひろがりを現わすものである。

人間が道具を使用し、共同で働くようになってから、ことばはより多義的に、スキーマとして意味を融合させるようになった。存在がその都度明らかにしなければならない「ひろがり」……共同体のうちの信用もその一つである。

■拡がったものを繋げる機構(organism)……認識・認知のための「行為(performance)」儀礼

領域と限界が明確に区分されるのは、数学=論理的な形式……集合論と構造において完成された。しかしながら、その形式は自然の空間と時間を完璧に模倣するには至っていない。人間は言語によって領域と限界を顕現することができる。

あらゆる文化表象は、自然を模倣し、反復されひろまることによって、共同体の規範となりえた。自然現象……太陽と月、風や雷、夜の星々は空間的領域と時間的限界を劇的に指し示す。ここにおいて、「ひろがり」より「かたり」が生まれることとなる。

人間はその文化的ないとなみのなかで「時間」「空間」に対する認知を広げてきた。「生の持続」には、いわゆる「再生」、ひとりの人間の死を超えた生の持続や、家系や作り上げてきた事物の維持・聖域化などの要素も当然含まれる。

■共同体と行為的な「模倣」……実体と仮象の「連続性」「持続性」をた-もつもの

信仰的宗教は、人間の精神的規範をもうけることによって、この聖なる言語文化表象の広がりを変形することができる。道具の使用、そしてそれによって得られる感覚的充足……衣食住、そして性の設備は共同体の信仰により大きく制御されることとなる。言語とてその軛からは逃れえない。言語は記銘されることによって、その道具的性質、感覚的統御を一層強めることとなった。自然現象と時間・空間の認識(時空認知)から大きく変貌することとなり、古神界から逸脱することとなったのだ。

■持続性と「配分」、比の概念

始原の神話、配分する理性を支える認知的な思考。それは比較して比率を割り出すことにある。ギリシアから中国にいたるまで、古代文明の理性は「配分」を基礎として身分的に相応な生活様式を肯定することを是とした。平等かつ再生産可能な生活様式は「比」によって維持される。その視点は主に彫刻や建築より生まれてきたものであろう。

そうした比は春夏秋冬という時間的なものや、黄金比や大和比などの幾何学的な比を援用して受け継がれる。


■神話(かたり)時代の古神界について、聖なるものどもの領域

「ひろがり」聖なるものどもの領域は、言語の「共有」がもたらす社会(つながり)の規範である。そこには空間的領域と時間的限界がある。

詩は、言語の信用性を犠牲に、古神界の遺物……シンボルとスキーマを空間化/時間化する。

行為と想起を結びつける「精神」の誕生……鎮魂、再生


■「唯劇論」
 ○テーマ、生と死のあいだに
公共の言語と詩の言語――連用的世界観と連体的世界観(命名
 スキーマとしての人体・天空・地理
道具使用と文化
劇が儀礼となるとき

 たんなる「口碑」が、一社会の生活様式まで拘束する社会的信念、規範になってしまう現象は、徒に民俗学歴史学の関心を惹くばかりではない。こうした言語文化のもたらす「信用」は政治経済に直結する課題である。

 貴族的な古典教養文化(西欧的には人文主義)は、近代において徐々にその活力を失い、実用的な自然科学にとって代わられた。しかし、前近代の詩や和歌において顕著だった観方のように、「迷信深く柔弱」であったから衰退したわけではない。「言語文化の未分化状態」において効力を発揮してきた教養に対する社会的信用が、高度に「精神的」な美や歴史的な芸術として純化・合理化されてきた結果、細分化され、傍流の自然科学に排斥されるほどにコミュニティの信用や影響力を縮小してしまったのだ。

 貴族的な古典教養文化、人文主義には、文字化される以前の人びとの原動力・モチベーションとなってきた前史が存在する。「物質民俗」はその解答の一つであり、詩や物語のもともとの社会的役割――労働歌やシャリヴァリといったものに密接に関連するものといえる。農耕文化は、鍛冶や窯業、狩猟や漁業にならぶ道具使用の一形態にすぎない。古代社会においては、これらを身体的な比喩、擬人化によってとりまとめ、詩歌や舞踊によって「再生」することこそが、社会的に尊敬される、異能や権威の源であったことは間違いない。こうしたシャマニズムが、音頭取りを要する軍隊や鍛冶、そして農業の有力貴族によって牽引され、「民俗」として維持されてきた。

 この物質的崩壊こそが、「口碑」「儀礼」の根源であり、より直截的にいうならば、「死と再生」の信仰と不可分のものであったことは、数多くの文化的共同体の基体として重層的な「死と再生」が意識されていることによって証される。祖霊の死は、はなはだ逆説的ではあるが、子孫としての再生として暗示されるのだ。風水や古墳ばかりでなく、西欧的な教会にいたるまで、家や墓は「母胎」のイメージから分化する。泉による取水や採鉱などの必要から山や洞穴を選んだ実用的側面も確かにある。だが、「炉=火処」の存在が、連想の決定的な決め手となる。

 そして、物質的崩壊の中心から周縁(境界)にかけて、男性的陽根崇拝としての石造物や建築が築かれることにより、一種の「再生」が意識されることとなる。河原や坂、もしくは「厠」という表象は、特殊な土木治水技術を要する都市の末端として、またケガレの漂着点、あるいは次なる再生の生産拠点となる。
 工匠たちは、文字という手段を持つ持たないにかかわらず、図像や記号によって(そもそも文字自体が特定の音と結びついた図像の特殊な事例であるが)「死と再生」を多彩に表現してきた。必然的に、詩歌にも物質的な生産と破壊が言及され、さまざまなコードがスキーマやメタファーの形で標示されることとなる。死んだ人間、消滅した事物が「模倣」され、現在に「介入」する。その起点が道具使用、身体の延長としての技術なのだ。

 ○他者の修辞学:信仰
  詩のカテゴリーとその攪乱……恋愛詩と戦乱・政治(恋愛はプロパガンダとなりうる)
  詩における欲望の表象と巫覡……興
  人称と印欧語族三分イデオロギー……「法」の三分イデオロギー(意志・命令・推量)

「工匠文化」について
 ジョルジュ・デュメジルがいうところの印欧語族の社会の三階層というものは、言語が共有される三つの次元・境界を作り出すことによる、社会的「信用」のあらわれである。それが端的に現れたのが詩であって、勇ましい叙事詩、慎ましく勤勉な農事詩、エロティックで予言的な牧歌というウェルギリウスの三つの詩や、あるいは詩経や楚辞、そして本邦の和歌などに見て取れるアイディアだと思う。

 神話的な文学や美術においてそれが特に重視されるのは、教養や言語それ自体として、社会的に広域かつ後世まで伝達しなければならない情報のパターンがこの三つに集約されてきたのだからだろう。文字の存在いかんにかかわらず、言語として表現可能な空間と時間の表現手段は、「命名」の煩雑さを避けるがために、おのずと簡潔な擬人化や比喩のバリエーションに依存する。これによって(たんに「存在する」のみではない、)「人称」によるさまざまな表現が可能になるのであるが、多くの言語では意志・命令・推量の三つに逢着する。これは古文の「む・べし」や英語の「助動詞」、ラテン語ロマンス語の「接続法」の主な用法であるだけでなく、詩の三カテゴリーにおいて表現される内容――戦乱の栄誉や死の根源(意志)、時季を択んで行わねばならぬ所作(命令)、そして繊細な空想と社会的転変の暗示(推量)に合致する。

 先述したデュメジルのカテゴリーは、単に社会的な身分としての祭司・戦士・農民だけでなく、この人称的な意志・命令・推量を神話的人格になぞらえたものと考えることもできるだろう。

 富・武力・聖性という動機素がそれぞれ対応する(興味深いことに、スキーマによって容易に転化しうる)。

 その点で、人間が古くから伝達に躍起になってきた「技術(道具使用)」は、その起源譚から習得、熟練まで、一つひとつの道具や挙動を言語化し、理由付けする困難さを要するように思われる。しかしながら、機械化や識字教育以前の前近代では、「物語」や「劇」、「儀礼」による絶え間ない反復によって、身体的に「記憶」し、ある意味では身体と社会制度や信仰、技術が「未分化」な状態を維持してきた。これらがきっぱりと分化し、あるものは科学、またあるものは政治、あるいは病気や迷信といった忌むべきものとなったのは、近代的な市民的な意識下においてにすぎない。

プルシャとシャクティ
   
 ○トリックスターの表象/投影される権力の起源

 ○区切りとしての起源譚/引用しあう説話群
  アレクサンドロス大王と説話群の攪乱
  オリエント・ヘレニズム・インド・シルクロード

大乗仏教の極楽浄土と宇宙論……エジプト的な秘儀(アルケミー)
 四大元素と四方位、水銀による金の錬成

 ○公共圏、精神、文学の「かたり」と看過される「境域」
  マクロな歴史とミクロな歴史

■古神界的表徴……鍛冶たちの伝承
植民地時代と言語表象

インド=ヨーロッパ語族、アフロ=アジア語族……政治的に分断された工匠たち
 近代科学の発達、産業革命の進展と「啓蒙主義=進化論」的世界観は、前近代的な工匠たちのmythologicalな世界観を政治的・精神的に分断した。その端的な例は神秘的オカルティズムである。

「知識」について、たんなる空想、想像力やある意図によって虚構を生み出すにしても、「尤もらしい」と思える信用が共有されていることが前提となるのではないか。そこには、農耕文化を維持するためのシステム、天文や測地、あるいは金属器や土器をつくる技術が介在したはずである。いや、むしろ農耕文化こそが、道具をあやつる技術を支える食糧補給体制として、人体とその機能的延長である道具使用を維持してきたのだ。

 そうした技術の総体は、工匠たちにとっては通過儀礼的に、経験して獲得するものであった。原初の神話、詩や物語は、こうした経験的な知を次世代に語り継いでいくためのシステムであった。ここに、祭祀儀礼をめぐる二重化の構造を見て取ることができる。従来のエリート対民衆や、民族対国家の歴史観は、再考を要すべきものである。

 ここに挙げられる事例の多くは、従来、科学的な思考や歴史観とはまったく異質な民俗伝承とかんがえられてきた。それもそのはずで、科学的な思考や歴史観とは、近代的な民主国家や民族という社会集団において、数々の道具を使いこなすために用立てられた知識なのである。したがって、そこで通用する常識は、他の技術を知るには非常に狭隘で限局された知なのである。


○技術の維持のための信仰・占術・呪術
人類にもたらされた鍛冶の技術は、人間の行動の「ひろがり」を支えるだけでなく、その高度な比喩性により言語を顛倒させた。予期し、依存する言語的表象……呪術が、記録や伝承を生み出す。模倣的行為が原型と受け取られる現象

鉱物や木材、水などの資源の収奪構造(余剰の占有)……戦争と秩序、(哲学以前)「正義」の抽象化


太陽神崇拝と母神崇拝……古神界と秘儀
ミトラス神、ルグ神、毘遮那仏、ナルト叙事詩……仏教・キリスト教の母胎、騎馬鍛冶文化の記憶と古星座
観音・女神と母胎(へそ)

北斗七星と太陽の神話的関連性

異界の詩学と時間性
 雁から白鳥へ(角の生え変わる鹿、脱皮する蛇、飛来する白鳥)
 復活する王・女王……錬金術的発想

北辰崇拝と表象(シャクジ・庚申)……犠牲の肉片、車、柄杓、一つ足、鹿
日吉山王信仰・伊勢(再生する太陽と不滅の太陽)
弥勒菩薩の半跏思惟、百済観音の姿勢など、北斗を象徴?

曙光と日没、そして春夏秋冬……さまざまなシンボルで現われる太陽神崇拝
 アーサー王ヘラクレス(十二ヶ月の象徴化)
 十二ヶ月の象徴化以前には、十か月ないし九か月と「死」の二三ヶ月があった

車輪(十字架と渦巻)
夏の車輪、冬の十字架……もようの始原
唐草文様
伊勢の車文、祇園の山鉾

 ◎竈神と厠神
  東西錬金術と「炉」
  香炉と立花
  茶道の源流としての再生信仰(偽史についての示唆)
   北斗七星と鳳凰……天皇的イメージの濫用による「遊芸」確立

春分夏至秋分冬至と祝祭
 半月・半年ごとに繰り返すこよみ(陰陽五行、季節呪術)

中国系(節句
 一月一日・三月三日・五月五日・七月七日・九月九日
ケルト
 万聖節(11/1)-クリスマス(冬至・12/31)-インボルク祭(2/1)-復活祭(春分)-ペルティネ祭(5/1)-聖ヨハネ祭(夏至・6/26)-ルグナサド(8/1)-聖ミシェル(秋分・9/15)
 ヴァルテール・植田重雄参照。また十二使徒・マルガレーテやバルバラなどの聖人暦

  冬至夏至春分秋分:地上の方角をふくめて(√2の三角形、比例理論)
  上社・下社の対応(附・山アテ、堪輿
  十字表象・六角と八角……死と再生

日没と日の出のあいだには「夜」があり、星たちが輝く。季節の移り変わりのなかで変わらず

「時空認知」と風……住環境、道具へのさまざまな表象⇒色紙・屏風に風鎮めの歌
 アナシ・嵐の時代……『青銅の王の足跡』『四天王寺の鷹』


●土木治水にたいする人びとの畏怖:「石神」論
 ○境界(さか)と鬼、悪魔
 ○神仙思想・陰陽五行の影響
  牛頭天王と宿曜(藤原氏と御霊崇拝)
  ケルヌンノス:医薬神と行疫神・境界侵犯⇒ミトラス
  黄道十二宮・月宿・十二支
  要衝としての播磨・周縁としての明石……人麻呂信仰

■古墳と古代中世技術史

●技術継承の場と巡礼・秘儀
 ○猿楽・狂言と中世神話
 ○闘争と祝祭

 ○聖域と祝祭……説話、日常の淵源としての生の浪費
  源平藤橘と親方ジャック(建築術のルーツ)
   源氏と「八幡宮」「南宮大社」、平家と「妙見」「北辰」
   藤原氏と「田原藤太」、橘氏と「金売り吉次」
   景清・景正・景政考
   菅原氏・紀氏・惟喬親王木地師塗師)……「太子信仰」
    和泉式部橘諸兄在原業平
   能(猿楽)と貴族:日本の中世劇(愛欲への信仰)
   フリーメイソンと聖人崇拝:ヨーロッパの中世劇
 
⇒神社・寺院から築城術へ。行基空海の伝説から
 実際の兵法の変化と呪術的視点

御霊・鬼・魔の顕現……死と再生、そして社会共同体

 ○天文学と冶金文化……盲目と邪視

マンダラ・ヘルメス主義・道教……空間・時間の「エレメント(元素)」化
 しつらい……炉や井戸の衣食住における重要性と無関係ではない

 ○煉獄にかんする一考察……後景の鍛冶神・硫黄

●冶金伝承
 ○前史としての風神・雷神崇拝(大汝)
 ○スキタイ文化と神宝
 ○石…凝灰岩と花崗岩
 ○水銀朱とアマルガム(鉛丹・弁柄をふくむ)
 ○ブロンズ(錫)
 ○鉄(チタン・マンガン・ニッケル)
 ○金・銀(大仏建立前後・石山寺
 ○鉛(弾丸と楽茶碗)


百人一首(植物のシンボル性)

始原的な「詩」、集団労働や擬態・擬音
密儀的なフレーズ
四季のトランジション

原点としての近江荒都歌(大化の改新の終焉と陰陽思想)

流謫、簒奪のテーマ
父子(血統)

源氏……皇族と藤原氏の対立の歴史が武士団を生む(源融源実朝
  軍記語りと穀霊

源氏物語伊勢物語の記憶

 業平(六歌仙+紀氏、敏行)菅家(亭子院)中宮定子(花山襲撃)九条家歌壇

植物……木地師轆轤師と建築
 桜(しろたへ)・紅葉(くれなゐ)六首と風(柳や杜若は風に散らない)
  破軍星の位置に「紅梅(貫之)」と「白菊(みつね)」が来る。また、柿本(柿=熟す)
  また、古き軒端と霜より、それぞれ順徳歌と家持歌が連想される。「心あてに」「心もしらず」と心あくがれる御霊を連想。平安京の終焉がテーマ?
 松(冬)・蘆(夏)と普遍性・未熟性(夏・冬はあを系の季節である)


鹿の崇拝(香具山、春日、宇治山)=人麻呂の原像?

鳥と風神、蛇と雷神(スサノオ時代からの古神界的伝統)「あをに」と「朱丹」(サナヘとニヒナヘ)

伝統的二分法……一月七日(若菜摘み)と七月七日(七夕、半年周期)

言語研究:異=名辞(イメージ)と銘=政治(メッセージ)

古典教養が等閑視される時代になって久しい。

 

もっとも、それには古典教養の「形骸化」ともいうべき、何でも形而上学的美学や精神修練に結びつけるような論説が前段階にあり、やがてオカルトや階級対立、民衆的立場から教養を扱き下ろす風潮があって、全くもって卑俗に拝金的に衰微してしまったといわざるを得ない。

しかしながら、人文学的なモノの持つ「復古主義」の魅力に一抹ながら価値があることもまた確かで、教訓じみた信仰、歴史趣味の消費に齷齪する人間も少なからずいる。

 

しかしながら、大局的に古文化の表象、言語文化の意義についてかんがえる人間は皆無にひとしい。

 

テクノロジーの進歩は大量の情報を一瞬で処理せしめる。コンピューターやAIが人間の仕事を奪うのではないか、と空が墜ちてくるのを恐れた古人のように戦慄する方々もおられる。たしかに思考や計算をいくらでも肩代わりしてくれるのだから、人間に残されたのは感情的、動物的に欲望を充足することのみである。こわがるのも仕方がない。

それでもそうは上手くいかないのが道理である。人間の学びには限界がある。大量の情報を処理する技術や道具があっても、その利益を最大限引き出す「学び」を軽視している。いわゆる勉強のような量をこなして習得する学びは学閥精神主義にて大いに歓迎されるが、技術や道具を熟知し、新たな創案をおこなう学びは(文系では)稀なものである。量をいたずらにかさばらせ、質を省みない知はどこにいくだろう。他人を圧倒しやすい、精神・美・理性・情緒によるもったいぶった無知の自己正当化、復古主義である。

 

そうではなくて、もっとおのれの認知を拡げるかたちで、自らの言語文化領域と向き合うことが必要なのである。生成された言葉が変質して、全く異なった意義で受け止められる現象の数々を学ぶのだ。衣食住、そして性という生の持続にまつわる現象が、言葉の介在によって共同体の規範云々と関連付けられる。なかには表象するのさえ禁忌とされることもある。

古典教養というものはぽっと出のSNS上の議論とはちがい、数千年にもわたり反復され、あるいは贋造されてきた言語であり知である。否、修辞や空間や時間といった根本的スキームすら、その反復模倣から成り立っているといっても過言ではない。そうまでして伝承したかったものは何か。よく見られるような、「有閑な貴族や坊主の娯楽」のような古典教養観はあまりにも言語の意義を軽視している。

 

神話や詩歌のような言語表象は、身の回りのものにタグやインデクスを付け、即座に引き出すよう洗練された知である。縁起かつぎや占い、まじないがその好例である。因果としての関連性はたしかに科学技術には劣る。しかしながらインデクスの効力としては根強いものがある(疑似科学が持て囃されるのには、科学の煩雑性を解消せしめるこのインデクス的価値が一因にあるかもしれない)。

しかもそこには、一定の密儀的要素、象徴的要素もまたついて回る。限られた人間しか理解しえないコンテクスト……万人に明解な記号としての言語観とは対極にある。道具を使い、技術に習熟し、協働して発する「声」が、文章論的コードにより様々に変質するのだ。権威的な空間であり、祝祭的な時間がそれであるといえる。

 

恵みとともに災害をももたらす湿地帯に集落をいとなみ、暦による集団的な生を維持してきたことが、「声」をやがて記録する必要性を産み出しただろう。異化される死に打ち克ち、生の根源たる火や水を安全に管理し、衣食住、性を溜め込む「表象」の技術が見出された。それが、文字や模様、そして口承の記銘をひっくるめた銘の政治なのである。

 

以前のこの記事が綺麗に繋がるのではないかと思う。現在は目下古代の天文記事(北沢方邦「理論神話学」と真鍋大覚「儺の国の星」)、錬金術密教思想、茶道の表象と百人一首に内在する季節祭祀と太陽北辰崇拝等々を比較研究中である。

 

 

matsunoya.hatenablog.jp

 

存在とかたり:古文化表象の分析

現代人ほど言語や存在に無関心でのうのうと生きている者はいない。

国語教育はたしかに国民全体の読み書きの浸透には益するもので、文明とか生活に恩恵をもたらすものである。しかしながら、言語や歴史学、哲学の取り扱いについては、きわめて凡庸で弛緩した知覚……目の前に再現しうるものしか信じないし、掘り下げない学問的態度をあらわにしてしまっている。

つまるところ、吟味し、没入すべきとされるオリジナルな心情とか感情が重視されるあまり、周囲のコンテクスト、なぜその表象が遺ってきたかという「かたり」のメカニズムが充分維持されてこなかったのだ。取り上げられても好奇の目にさらされるばかりで、絶えてしまった表象も多いことだろう。言語という刺激が常態化してしまい、感覚が麻痺しつつあるのが今日の学術といえる。

現代的感性は、世代とともに成熟し、やがては老い、死滅する。寄せては返す波のように、対立や異物への拒否、排斥を延々と繰り返す。言語で書かれ、記憶されていても省みられなければしょうがない。それでも、媒体がまるきり変わってしまえば断絶は避けられない。言語や存在に鋭敏となり、古記録を振り返る、という視点は、金をばらまくのに終始する富豪や政治家にも、浮薄な児戯に終始するテレビやネットにも今のところ欠けている思潮である。

エモい物語が繰り広げられる鬼や呪術が持て囃されていても、それらがいかに守り伝えられてきたか、ましてや大和岩雄や井本英一、吉野裕子や若尾五雄等の先人の研究は一部の好事家にしか知られないのである。環境保護は声高に叫ばれているが、一部出版業の利得のために文化資本が消費され、乱造され、忘却の彼方に追いやられるリスクも考えられるべきである。古典文化のイメージの乱用は、短期的には経済的利益を生み出すだろうが、行き着く先は歴史的なアイデンティティーの喪失である。歴史的連帯を失った人間こそ、安易な自国中心主義……賛美であろうが、批判であろうが、コンテクストを掘り下げることもできない皮相な言論の大量生産に終始することになる。

古文化表象をオカルトとか、古代人の想像の世界というように言い表すのは容易い。現代人がいかに生命維持と言語活動を峻別しているか、わざわざ他者に信用を共有してもらわなくても、衣食住を満足に送れるようになったかを示している。もちろん、近代の帝国主義のように周縁から収奪し、厳しいヒエラルキーを課したうえで個個人の衣食住は成り立っていたのではあるが。地図として表現されうる空間、そして過去、現在、未来の直線的な時間。コンテクストは紙で表現可能なこれらの観点から創造されていく。捏造といった方が適当である。ノードで網目のように結ばれるべき言及の構造を、紙上にひとまず整列するにはこの他にはない。

だが、目の前の存在は、また語られるべき言語は、そうして創造された見かけのコンテクストの域外へと開かれており、しばしわれわれはその事実に畏怖するのだ。集団的な協働、そしてその基盤であり生活であるところの衣食住。これを確かなものとするのが知であり、存在であり、言語でかたられうる物語であるはずだ。

 

太陽神や大地母神への信仰、価値ある財とりわけ水にかんする時に露骨なかたりの数々は、生の持続維持のための「貯蓄」と表裏一体である。すなわち、信用を時間的空間的に完成させないと、神事なり密儀としては不十分といわざるを得ない。

言語と古文化表象学

またしても大きなブランクが空いてしまった。

 

現代のように、好きなときに好きなだけ書物が読めるという状況は極めてまれな事態である。衣食住にかかわるその他の行為も大体は季節や場所の制約があったものである。それが撤廃されたのは、ひとえに機械による産業革命や教育による識字率の向上の貢献が大きい。そうして均質化された国民国家貨幣経済の恩恵により、自由な精神活動が行えるようになった反面、社会的・環境的な負荷が及ぼす疲弊も顕著になってきてはいるが。

「時や場所によってフレキシブルに変化しうる社会的関係」は、書物文明のなかにおいては受け入れられがたい不確定性を孕んでいる。書物の「型にはまった」理解……ある論理のもとに階級、差別、進歩、目的を説くというスタイルは、不測の事態が相次ぐと自壊してしまうほどに脆いものである。「解釈」が新たに付け加わってしまえば、意味さえ正しく後世に伝えることはできない。震災の時代は書物の文化に深い自省をもたらすものではなかったか。いま我々の間に拓けた視点は、些末で旧態依然とした窮屈な議論、そして思考停止した権力である。

人文学的な古文化表象の研究、とりわけ、暦と人間はどのように関わってきたか、また聖地や祝祭にまつわる伝承の総合的研究は、たんに人類学という西欧文明ありきのパラダイムにとらわれるものではない。また前時代的なオカルト・精神論・自民族中心主義に拘泥するものでもない。これらの問題点は、「普遍的な真理」を追求するあまり、古文化の置かれていた特殊の事情を鑑みず、1つの物語にしたてあげてしまった硬直性に起因する。