マツノヤひと・もよう学研究所

独断と臆見による人文学研究と時評

2021-01-01から1年間の記事一覧

存在とかたり:古文化表象の分析

現代人ほど言語や存在に無関心でのうのうと生きている者はいない。 国語教育はたしかに国民全体の読み書きの浸透には益するもので、文明とか生活に恩恵をもたらすものである。しかしながら、言語や歴史学、哲学の取り扱いについては、きわめて凡庸で弛緩した…

言語と古文化表象学

またしても大きなブランクが空いてしまった。 現代のように、好きなときに好きなだけ書物が読めるという状況は極めてまれな事態である。衣食住にかかわるその他の行為も大体は季節や場所の制約があったものである。それが撤廃されたのは、ひとえに機械による…

言語文化と想起

書物文化、およびインターネット社会は、「書く」、および「読む」という行為を食事や排泄と同じくらい欠かせない反射的で、感覚的な行為として完成させた。しかも、それらは思考する「精神」の営為として理解される。民族や国家、あるいは民衆といったカテ…

複製情報時代の情報(複製芸術時代の芸術、ならぬ)

以前、といってもずっと前だが、このブログにて「学融機関」というアイデアを扱ったことがある。文化をSDGsなどに絡めてPRし、現在への投資に活かしたり、遠隔地の文化財や行事などのサービスを取りまとめて、観光や地域振興に活かす拠点として、「大学」や…

言語文化と信用:劇的な学問

人文学は、言語とその信用の歴史に向き合わなければならない。 「考える」という事象は、ともかくも「信用」を中心にした紐帯――言語が通用するところの共同体をふくめた連関――を基盤としている。学問はその連関の精髄であるが、むしろ精髄であるがゆえに、多…

言語表象文化――「たてる」哲学

歴史や言語は、「国家や民族、あるいはそれらに類した社会集団固有のもの」であるという、素朴な認識がある。 高等教育や専門的議論においても、もっと言うならおよそ言語を用いて社会活動を送る人間は、この「無意識の壁」によって守られながら、論理的に思…