マツノヤひと・もよう学研究所

独断と臆見による人文学研究と時評

やまとうたの原像(景観から読み解く百人一首)

やまとうたの原像(景観から読み解く百人一首
人丸から猿丸へ――定家の和歌改造論
 なぜ、読み人知らずの和歌を天智天皇の和歌としたのか?
 なぜ、俊成の和歌と猿丸大夫の和歌が似ているのか?
 なぜ、似た歌趣の和歌(特に難波江の和歌)が多いのか?
百人一首の特徴……単なる秀歌撰ではない、古今集以来の「辛酉革命(御霊)への抑止力」
天武朝に導入された物質民俗(内丹・外丹)、五行思想を凌駕する知識……天台思想、真言密教にもとめられた役割。丹田は内なる炉となり、悟りは精神的意義を強調される。神仙的錬金・錬丹の文化は、やがて呪詛と怨霊の信仰となり、「猿楽(能)」による成仏・鎮魂へとつながっていく

我々にとって身近な古典である百人一首藤原定家が小倉山荘で百人の歌人を選び、代表歌を一首ずつ選び出し色紙に認めたという著名な伝説とは裏腹に、凡作説・偽書説・他撰説などの批判や議論も数多い。
百人一首は歌かるたとして享受される以前、中世以来の古典学である古今伝授の文脈にあった。古今伝授もまた荒唐無稽な妄説として現在ではほとんど退けられている。しかしながら、和歌史が萬葉時代から近世まで千数百年の命脈を保っていたのは、ひとえに古典学による歌語りの維持の努力があった。
確かに、百人一首には一見重複に思えるような似通った和歌もあれば、おおよそ歌人の代表歌ともいえないような凡歌も多いのは事実である。しかしながら、この書が永らく、「古今集」「伊勢物語」「源氏物語」を読み解くうえですぐれた入門書の役割を果たしていたことを念頭に置くべきである。
現在我々は、光源氏のモデルは「源融」であり、昔男のモデルは「在原業平」であることを難なく受け入れている。勿論、光源氏のモデルには源高明藤原道長などの候補もいるし、伊勢物語は貴賤を問わぬ男女の雑多な歌物語の集合体であるので、だれか一人のモデルを当てはめるのはナンセンスである。それでも、彼らの伝記的事実を併せ読むことにより、これらの物語がより魅力的に映り、和歌を学ぶ動機となったことは確かだ。語弊があることは承知だが、定家以来の「印象操作」といえる。
そして定家自身も、永らく源平争乱の世にあって官位昇進もままならぬ苦境にあり、ようやく最晩年に至り「権中納言」となり出家隠居の身となった。その途上には、新古今和歌集編纂をめぐる後鳥羽院との反目もあり、また能「定家」に描かれるような式子内親王への執念も(虚構ながら)伝説としてまた残っている。
中世・近世と脈々と恋愛詩・叙景詩の伝統として「やまとうた」が学ばれてきたのは、この「印象操作」「自己演出」――修辞学が貴族社会の必須教養として求められてきたからである。それは、国家的歴史編纂事業が日記・有職故実といった先例の記録へと変容した王朝貴族社会にとって、書き記されない(書き記すことのできない)行間を読むことが――政治的大義名分よりも優先されたことにも起因する。行間とは何か。怨霊への怖れであり、政争に敗れた者への共感である。

そもそも大和国を離れ永らく山城国平安京を政治中心地として選んだ貴族たちが、「やましろうた」「みやこうた」ではなくあくまでも「やまとうた」の呼称に固執しつづけたことに疑問をもつべきである。
大和を揺籃の地とした和歌は、その後数百年の間、藤原氏(北家)が外戚の地位を独占するまでに排除された他氏を主な担い手として、そして敗れ貴種流離の憂き目にあった皇子たちの庇護下に成長した。

かれらが恋愛詩・叙景詩を先鋭化させていったのは、単に文化的な意義のみにとどまらない。むしろ奈良時代以前の遺風である、子孫を遺し、豊穣な土地を(軍事的に)支配する「呪術」として、コトバの意義を認めていたのだ。朝廷内での限られた政略結婚とお世継ぎの誕生へのプレッシャーに矮小化する以前の、陰陽和合の道である。
その原像は、「八雲立つ」と云うようにスサノオオオクニヌシといった出雲の神々に求められるだろうか。彼らは山林を渉猟し、「国見」あるいは「妻問い」を行うことでその土地・血脈を支配しようとした。しかもそれは単に見境なく領土を拡大し、女性を口説き落とすものではなかった。大陸との交渉を通じ漢籍の知識を蓄える中で、「仙境」「龍穴」「蔵風得水」の地にヤシロを建て、そこで次世代の子女を育てることが肝要と考えられるようになったのだ。
「蔵風得水」の地は、ランドマークとしての隠国的世界観(凹型景観)と神奈備的世界観(凸型景観)へと分化していく。
こうして万葉時代に完成した(陰陽が強く意識された)「やまとうた」の論理は、延喜時代以降は過剰な性への強い執着――「色好み」ととらえられ、そのトリックスター的技能は忌避されることとなった(皇統簒奪の危険)。そしてそのタブー視はこれまた過剰な現世忌避へと人々を駆り立てる。死と再生の太陽神話は、仏教的・神道的な倫理をにわかに帯びながら、凹凸的景観を宗教的建築物で覆い隠すことで、特定の経典への権威主義へと変貌していった。(生きられた空間と時間は、聖地であり、祝祭として記憶され、再生される)
歌垣・一夜妻と景観
農事暦と「妻問い」は密接に関連し、太陽神話の「再生」が要となった。ユーラシアの東西でとりわけ重視されたのが「春分」である。春を迎える呪術は、そのまま「回春」の呪術となり、「癒し」の空間として龍穴などの凹型景観が希求された。
観音信仰は、この「クマ」、隠国の地形に依存するようになる。それとは別に、阿弥陀信仰は、以前の神体山信仰を取り込む形で(山越阿弥陀)、浄土への救いを体現するようになる。そして難波江に流された皇子たちは、エビス神としての役割を負わされることとなる。単に交易地としての大宰府があっただけでない、再生する太陽神話のシンボリズムである。業平ではこの論理は逆転し、東下り・伊勢下向を経ることで翁として老化することとなる。


龍王・龍穴への見立て
源氏物語」では、罪人として流謫の身に遭った源氏を「癒す」明石の君の存在が、龍女聖婚の話型を取っていることが着目される。洪水による漂流~女神との成婚~エビス神としての致富譚
八幡宮信仰の両義性(和合)凸型景観と凹型景観の「両性具有」松尾・稲荷
古今和歌集の撰歌と六歌仙、業平・小町伝説(小野氏・秦氏・紀氏の記憶)
 飛鳥(聖徳太子)~奈良(天武)期の仏教傾倒……かつての龍穴の地は観音の垂迹地へ
 道教寄りの内丹・外丹的な実践的教義から子宝招福の「吉祥」現世利益へ
 小野氏のように、山林を開拓し木地師や漆工・番匠を抱え仏教化する名族
 「カミ的」災禍への畏れ……繁殖力が強く、吉祥と音が通ずる意匠「家紋」の広まり……いっぽうで捨象、隠遁・花鳥風月を愛する風流、神仏と結びついた雪月花の幽玄世界へと展開
 源氏と妙見、八幡崇拝……大造営・大開墾時代の到来と物資輸送、武士団の形成・血統意識

●怨霊信仰(織田正吉説)
 天智-持統-陽成-光孝-三条-崇徳-後鳥羽-順徳
 乱、排斥の敗者というテーマ⇔紅旗征戎我が事とせず
 天武朝(吉野)と天智朝(近江)の衝突。記紀旧名族と新興「(源平)藤橘」の交替(人麻呂)
 流謫、簒奪のテーマ⇔父子(師弟)相伝
 山柿の道……復讐の古今集(アヲ緑の呪術)
 小野篁の冥界下りと業平の東下り、小町の落魄
 惟喬親王擁立失敗、密教の呪詛(天候呪術)、風流
 マレビトと先触れ
●苦と二河白道説(草野隆説)
二河(淀川と大和川
都から水無瀬、そして住吉(墨の江)へとつながる浄化の水と、乾(大江・嵯峨)から巽(宇治)へと吹く雷雨(菅原道真の御霊化)
藤原氏の旧名族・源平抑圧(小野宮惟喬親王伝説)⇒源平内乱・武士の世
仏教や神道が混淆、「鬼神」が政治情勢を席捲

●歌語の類似(四季などの部立てではない)、歌人の親子関係
六条家の人丸影供に対抗するため、定家(およびその後裔)たちは猿丸をその歌学の中心に据えようとした。すなわち「早歌」を詠歌の基本とし、本歌取りにて自由自在に歌趣を翻す法を猿丸になぞらえたのだ。そこには父・俊成の権と実の止観説を接受し、天台思想の護法としての猿に「なりきる」という意図もある。
百人一首法華経信仰
  源氏と伊勢(騎士道文学と「犯し」の文学)救済(きよめ)の必要性
  俊成と西行(天台思想の転換期と仏教的象徴の受容)
  雪月花と仏教世界の見立て

具体的な転換期……武士の世への転換、西行と戻り橋
 血縁となった宇都宮氏(道兼流)の猿丸伝説、西園寺氏への歌学伝授……色紙和歌の誕生
西遊記と日光山縁起(猿丸伝承)、やつし・片目の詩人たち
 五行相生により零落(死)する有宇(卯)中将、復活する馬頭御前、猿丸
 因幡の素兎(波兎)十二支、陽(木気)のはじまり……白鳥、陰気(金気)の窮まり
 稲の実りへの「予祝」、恋(色)の再生のサイクル
 藤原定家の計画……後鳥羽院の鎮魂……金気・鳥霊の調伏による春の到来(易)、天地人(赤人)猿
「涙にぬれる恋」のパトスを怨念、そして宗教的熱情へと変換するシステム……父・俊成が為した歌論の深化、「天台思想(止観)」の推進
そのために後鳥羽天皇は「利用」された

吉野桜(しろたへ)・龍田小倉紅葉(くれなゐ)六首と風(柳や杜若は風に散らない)
 破軍星の位置に位の低い「紅梅(貫之)」と「白菊(みつね)」が来る(官位への恨み)。また、柿本(青柿=未熟)と赤人
 また、古き軒端と霜より、それぞれ順徳歌と家持歌が連想される。「心あてに」「心もしらず」と心あくがれる御霊を連想。平安京の終焉がテーマ?
松(冬)・蘆(夏)と普遍性・未熟性(夏・冬はあを系の季節である)
 住吉の松・難波江の葦
鹿の崇拝(香具山、春日、宇治山)=人麻呂の原像?
鳥と風神、蛇と雷神(スサノオ時代からの古神界的伝統)「あをに」と「朱丹」(サナヘとニヒナヘ)……金気の神と防腐技術(松ないし水銀への言及)

百人一首、桜と紅葉による菊梅への呪術
松と竹……不変の緑(常世)による、紅の世界(浮き世)の制圧呪術
 伊勢から難波江(住吉)への太陽の道、日想観、人丸
松や竹の緑を祝い、紅葉や桜の色はうつろう
 色づく「山柿の道」であり、「犯し」秩序の仮面劇、原始的リズム(真似)
思う⇒逢う⇒名が立つ⇒別れる⇒忘れる恋のサイクルと、その脇道としての「人生まる」政治の転変
 父子相伝の和歌の道……緑⇒赤の(古今)貴族的秩序と、定家の生涯的テーマ
予祝としての雪月花が、仏教的世界観の雪月花に

 

重層構造と経緯構造(近畿地方は山地と川で分かたれる。かつて屏風歌で詠まれた歌枕もそれに沿って分けられ、四季の移り変わりを持たされた。)

地理的三重構造
(第一階層)都の月・時鳥・キリギリス(音と光から末法・仏教的世界を導く)
淀川
(第二階層)摂津・難波江の松・葦(万古不変の世界)
大和川
(第三階層)吉野桜・龍田紅葉(しろたへ、くれなゐの世界)

伊勢物語経糸(小倉山~二上山
 小倉山~小塩~大原野長岡京~芥川~渚院~天の川~高安~龍田川~二上山
水無瀬には粟辻神社、石切付近には千手寺がある。
源氏物語経糸石山寺長谷寺
 石山寺~猿丸神社(奥山)~長谷寺~吉野(天武系)
六歌仙経糸
 (近江神宮園城寺~逢坂(関寺)~小野随心院~喜撰山~(井手・瓶原・鹿背山)~春日山和邇下神社~良因寺~三輪神社~多武峰(近江宮~御破裂山)

 聖徳太子期~聖武天皇期に社寺建築に奔走した小野氏系近江木地師のルート?

伊勢・源氏の緯糸
 高砂~明石・須磨~(日下)~春日(山陽道
 八橋~宇津峠~富士~隅田川東海道

  筑波山塩竃、信夫山と遠国の歌枕は続いていく
萬葉の緯糸
 高師浜信太山?~二上山大和三山藤原京)~初瀬~伊勢神宮~二見浦夫婦岩

人麻呂時代の藤原京条理計画と五畿七道の整備
 東西軸(二至二分の際の日の出と日没)
 南北軸(北極星・北斗七星と南中)
「上書き」されていく南北軸……桓武天皇の遷都と治水技術
 自身の皇子たちに妙見(破軍星)信仰と水源治水技術を教え、他氏族との政略結婚をすすめた?
桓武平氏とゆかりの妙見・七塚信仰(俗説含む)
 京都(桓武天皇、四神相応「説」、御霊神社と鎮宅霊符神)
 神戸(平清盛、生田神社をめぐる北斗七星信仰)~布引滝
 熱田(織田氏……平将門調伏の地)
 千葉(千葉氏……七天王塚)
 江戸(坂東八平氏太田道灌平将門七塚
隠国的な土地に、条理構造に不可欠な北辰(子午)の軸――桓武天皇の子孫はその建築的知識を生かし、「平野」を望む山麓に城塞と兵站供給の地を設けていった。名こそ在原姓ではあるが、業平もそのひとりである。
それとは対照的に、川沿いに八幡宮を勧請していったのが源氏である。その対照性は、桓武平氏法華経信仰傾向、清和源氏の浄土信仰傾向へと流れ込んでいく。
神・風神・川の女神の崇拝……恋愛の豊穣性、巫覡の媒介性……記憶の蓄積
「豊穣性」と景観……崩壊地名と吉祥地名
八幡・稲荷・熊野の伸張と古墳造成民排斥
 ヒの国(南宮)とネの国(宿神)ネのシンボル破軍星と、ヒのシンボルムマ(午)
太陽再生と御霊信仰
浄化の水と悪場所……河川技術と河童駒引
  松浦工法と清正公
  仮説・中国吉祥図案と災害地名、松竹梅
  戦国武将の築城と武家起源再構成
小町伝承、西行戻り伝承と和泉式部伝承(ウタ地名)
寺社の開墾と災害地名…「地蔵」による記憶(サイ(サエ)地名、西院の河原)
赤子塚・夜啼石・子守信仰(コヤ地名)
 龍女崇拝と異常出産(観音信仰)
 龍女伝説(山から谷、そして河口、浜へ)
 蛇聟入り・母子神(姥神)信仰・河童
 浄化の水と「悪所」(寺地移転による氾濫原埋立)
 歌垣・内裏(エロスとタナトスの中心地・氾濫原)
 狩りの神と猿神伝説
 土木工法と流体工学(蛇抜・蹴抜考) 
 三輪神婚・俵藤太竜宮入り……蛇・ムカデ・鬼⇔植物地名・桜・紅葉
「アヨグ」「サル」「ハケル」などの崩落地名を、鬼神の所為へ
●高低
●崩落・決壊
●地質の硬軟、水はけ
●浸食・湾曲
●蛇行
●植物の遷移・成長
●放棄地・再開墾
●人為的破堤
景観、神紋と象徴
 タマクシゲ・ウチデ(槌)
 チョウジャ(丁子)
 ツエツキ
 クギヌキ・クツヌキ・クヌギ
 キク・キリ(菊・桐)
 マツ(マツチ)・タケ・ウメ
 イナダ・サルタ・カニ
 サヒ・ソボ・アサヒ
 ホケ・フケ

古今・源氏・伊勢の秘儀的伝授
屏風歌と歌論……「時空認知」と風……住環境、道具へのさまざまな表象⇒色紙・屏風に風(巽)鎮めの歌を書き、図像であらわす
艮(山・鬼・童子)」の気に退治する土用
 雨乞いの歌人たちと風除けの和歌
 土気の顕現としての歌
牛に乗り、あるいは虎皮を帯びる天神……901年、昌泰の変
流され王、太子信仰と「土気」の童子神……捨て(酒呑)童子
酒呑童子、猿神と鶏神(雷神)の同化
  財神としての風神(巽卦)と豊穣神としての雷神(震卦)の「鬼化」
 太陽神・酒神をかねる帝へのファルス・タントリズム
因幡の素兎(波兎)十二支、陽(木気)のはじまり……白鳥、陰気(金気)の窮まり……秋に控える稲の実りへの「予祝」、恋(色)の再生のサイクル
荒ぶる山の神を豊穣のカミへと変貌させる⇒三輪山神婚、賀茂丹塗矢、酒呑童子
平安貴族と桃山・慶長・寛永文化、「わび」からの真相看破
かくされた法華信仰――茶道と徳川支配(狩野派琳派研究)
 中世の世阿弥的な思想圏(序破急)を経由し、本質上の聖性の「見極め」、自覚を要する
だいこく(太極)が北。立花の秘儀化。
能の五番(翁(春)・修羅(冬)・鬘(夏)・狂(秋)・鬼(土用))
 扇の文様、それぞれ蓬莱・日輪に波(貝)・紅花牡丹・秋草菊
伊勢物語の男と翁……冬至に太陽神(伊勢大神)の再生、「箸墓(バウボーやシーラ・ナ・ギグ)」
 同時期インド・ペルシア(オリエント)の太陽神崇拝と並行。ケルト・スラヴ・ゲルマンの「異教的文化」の易的解析

 形式化した真行草、格式ばった貴人手前からのアンチテーゼであり、法華信仰に立脚
稲作の予祝、雪=白道、コヨミの月=釈迦、花=法華(天台思想)
そして、装飾的な雪月花文様(十二ヶ月花鳥、月に時鳥、雪輪文様)⇒漆芸の発達・流行(高台寺木地師の活躍
 卑賤でありふれた今焼や運び手前からわび、やつしの趣を見出だす……しだいに家元の好、免状といった教条・格式へ
 さらに古層の仙薬神話、翁→童、童→翁「認知(アナグノリシス)」の共鳴、禹歩……変若水の探求と河の女神
 道具の原型としてのひょうたん(切断面によるうつわの分化)

漢画の精髄と大和絵の変容
 青柳と十二支、春夏秋冬と陰陽
 洞庭湖八卦と八景)と壺中天、赤壁(参星)
 吉祥図案・仏教的隠喩をみがきあげる(松竹梅・七福神
 竜虎(東西軸)や寿老人(南斗)、恵比寿大黒にマニ宝珠

 五節句図(子の日松、雛祭・曲水宴、菖蒲・鍾馗・金太郎、七夕・織姫彦星、重陽節句・菊慈童)
 探幽が粉本から水墨画を量産していく絵画手法を確立したのも、案外このロジックからではないか。
 強力な王権による弾圧→光悦・琳派による無言の抵抗
 風神雷神図……太陽(離)を冒す神と政治的メタファー