マツノヤひと・もよう学研究所

独断と臆見による人文学研究と時評

2020-03-01から1ヶ月間の記事一覧

「染中」時代の自覚

新型コロナウイルス肺炎は、新時代の「戦争」を我われにもたらしつつあるように思う。 ここまで至る現代日本の前史として、第二次世界大戦「戦後」の時代は、バブル崩壊から阪神淡路大震災、東日本大震災を経由した「失われた20年」で一区切りを迎えた、と考…

生の終着としての道具と道具への執着としての生(フェティシズム)

「史実」とはいったい何を指すのだろうか。考古学的な発掘がすなわち歴史的な実在を証明するのだろうか。科学的な年代測定で有史以前の世界を描くことが出来るのだろうか。多くの論考は「史実」かどうかに拘るが、その拘りの淵源を追究する研究者はあまりに…

「知性」学の現在のために

植民地時代、ヨーロッパの国々は陸上海上を問わず区画し、みずからの領土を拡大していった。「探検し、地図上に線を引く」冒険譚と地政学によって、国際政治が展開されることとなる。 その後の戦争、独立、グローバル化によって、地理上の国境はなくなるかの…

伝説リバイバル考:オオクニヌシ、祝融、海洋交易

前日に引き続き、斜め読みの成果を。 大国主と祝融、蚩尤の関係性については、梅原猛がもう創作で行ってしまっているらしい(何を考えても二番煎じになるのは悩ましい)。それはともかく、八十神のような兄弟神を持っていた祝融や蚩尤の記述、そしてかれらの…

伝説リバイバル考:水神としての詩人と蛇神

ことばは境界をつくりだす。ことばによってかたどられた事象は、それが伝達、伝承されるかぎり永遠の記憶となりうる。ゆえにことばを用いる祭祀儀礼は(もともとは同調(Harmony)を必要とする労働が原型なのかもしれないが)共同体の中枢としてさまざまに活…

伝説リバイバル考:古代中世詩劇史論稿

とりあえず、ブログ開設以降の思考をまとめてみる。 matsunoya.hatenablog.jp ポスト・オリエントの二つの交易路 matsunoya.hatenablog.jp matsunoya.hatenablog.jp オリエント・ペルシア・インド北部・チベット・中国北部・朝鮮(シルクロード) ケルト・ゲ…

有用性と消費、そして聖性についての考察

「人類学」的な思考で歴史や社会をごたまぜにして文化を論ずるのはあまり好みではないのであるが、すこし論じてみたいテーマがある。ゆくゆくは共時性や通時性を考察しうるものではないかと思うのだが…… 近代科学はおもに近世ヨーロッパの貴族、商人や地主た…

精神というフィクション――劇的詩学序説

言語はもともと集団の生、祭祀儀礼のためのもので、個の領域はその派-生である。 自然に適応するための労働や技術のために「詩」があり、そこから空間や時間のための思考、「風土」や「こよみ」の知識の蓄積も生じる。詩のリズムと表現物、そして社会的な関…

道化の権威学、さらけ出し、見られるということ

Youtubeなどの動画文化の潮流は、すっかり我が国の祭祀芸能の伝統と習合してしまったように思う。前時代のラジオやテレビは、農村儀礼としての「万歳」の来訪や、都市の芸能としての「芝居」とを、同じく都市化で希薄となりつつあった民俗を「大衆文化」なる…

伝説リバイバル考:地名とオノマトペ

これまで「民族」「渡来」集団居住の証拠と捉えられてきた地名。しかし事情はむしろ逆で、気候条件や地形を「地名」として名乗る(その始まりはオノマトペ、擬声語や擬態語があったと思う)集団があり、伝承としてさまざまに分化を遂げた、と考えるのが自然…

伝説リバイバル考:十二支アイヌ語説

畑中友次『古地名の謎(近畿アイヌ地名の研究)』(大阪市立大学新聞会)を読んでいる。 昭和32年の本で、コロポックル先住民説や日ユ同祖論などが平然と出てくる。ともあれ、既存の近畿地名と北海道地名を対照させながら、そこに共通の地形的命名法を見いだす手…

文化のネットワークとしてのことば

これの続き。 matsunoya.hatenablog.jp わたしは「辞典」形式の語源研究にも、「作文」主体の文法教育にも納得していない。以前示した立場として、古典教養は劇や儀礼と密接に関係しており、「集団語」としての代名詞「われ」「なんじ」「それ」が、そうした…