『妹の力』私見
私のスタンスは、国語とか民族語とかいう概念は近現代の虚構である、という立場である。従来古語とされるようなやまとことば、さらに縄文語や弥生語とされるような再建も、まったく国民国家の便のためにあるようなもので、古典教養がコミュニケーションとして機能していた時代の実情というのは知られえないものだとつくづく思うのである。
だから、戦後よく議論された日本語何とか語起源説というのは、戦前の大日本帝国や大東亜共栄圏の版図の域を越えず、その時代の時代認識、地域認識を映す以上のものではない(いわゆる「南島イデオロギー」というものであろうか)。特に厄介なのは、戦後の経済的秩序、政治的秩序による境界線にとらわれていることを、当の言語学者や歴史学者はあまり自省していない点である。
しかしながら、印欧語とかセム語、ウラル・アルタイ語などの祖語の研究も似たり寄ったりであるから仕方がない。近代の植民地支配の伸長、現代の冷戦構造に翻弄された上での学説であることを踏まえたうえで、交易関係や影響を考える必要がある。
おそらく時代区分も地図上の境界線や矢印も、さらには学問の領域も、消えてしまうのがこれからの人文学であると思う。マインドマップ上に、それぞれのつながりをナットワークとして鮮やかに具現化することのできる力量が問われていくだろう。
という訳で、柳田国男の『妹の力』を、我流に読み解いていこうと考えている。ベースとなるのは若尾五雄の物質民俗学、金属地名的な読み方と、「十二支アイヌ語説」を発展させた試験的な地名伝承の解釈法である。農耕社会の先駆としての狩猟・漁撈文化、鍛冶文化、天文治水文化、遊牧交易文化などが、いかに農耕共同体的に読み替えられていったかが、この本に端的に現れていると考えている。近代西欧文明の流入とともに狭められていった「農耕社会」を問い直すことになるであろう。
若尾五雄の「物質民俗学」説や、吉野裕の「鉄王神話」観では、多くの地名がたたらや鉱山、治水設備と結びついているとされる。大国主=オオナムチがナ(鉄の採掘地および加工地)を持っていた神であったり、稲荷の由来に出てくる白鳥が、たんに稲ではなく「いネ(鉄)」を背負っていたとするのは、大いに納得できる。
それに後続する奈良・平安の行基や空海の伝説とも符合するからである。彼らが井戸や池を掘り、山に分け入って修行したのは、丹となる辰砂を捜索し、確保する一環であった。そしてその目的は、不老長寿や即身仏は二の次であって、腐食しにくいメッキ加工や、金の探索のための水銀確保にあったと考える。そのために、狩猟や交易、採掘を事とした先行の神祇との習合を図る必要があった。結果的に井戸や集住環境が整備されたことにより、農耕共同体や門前町が形成され、雨乞いなどの農耕のための祭祀や、抽象的で現世的なご利益をもたらすと考えられるようになったのである。
十二支アイヌ語説とは、ほんらい天文観察の成果であった十二支が、陰陽思想や五行説に取り入れられ、さらに日本で(これも奈良時代から平安時代期だと思う)海から川へ、湖沼から湿原へ、といった自然環境と結びつけられたのではないか、というほとんど妄想に近い仮説である。海洋交易民と農耕民の共通の符牒として利用され、一部はアイヌ語の地名、一部は本州以南の地名にも残っているため、近代に「アイヌ語地名起源説」が盛んに唱えられたのではないか、と私は考えている。
以下、メモ
「妹」について。イモもそれに対応するセ(背)も、金属にゆかりのある名称ではないか?「万葉集は日本の心のふるさと」として従来読まれてきたが、その実当時の最新知識を援用して書かれた詩ではないか、というのが私の持論である。女性主体の呪術的とされる世界観には、金属を精錬して美しい鏡や剣が生まれるように、あなたと私の魂の本質が触れ合うのです……といった、「君の瞳は一万ボルト」とか、「ダイヤル回して手を止めた」とか、「DNA検査で俺の子じゃないとわかった」とかと本質的に変わらない世界が描かれているのではないかと思うのである。
八幡信仰は、イモ(巫女)とセ(神的な来訪者)の関係に対する母と子の関係である。宇佐(うサ)という地名も然ることながら、子守という性質から、壬生や丹生といった朱の文化とも通じそうである。これらが山にて祀られた結果、山姥と金太郎のような神の子の民話が生まれることとなった(金太郎は赤く表象される)。宇佐という地名と、詩経とかに出てくる于差などの祈祷との関連も気になるところであるし、インドやギリシア、エジプトにイベリア半島など紅海・地中海交易圏の海伝いにある女神崇拝、たとえばイシスやアナーヒター、カーリーに黒いマリア信仰と結びつけられるのではないか、とも考えている。キリスト教が伝来してきた経路とも重なるのではないか(ただし、ポルトガルはイタリア・アラブ商人のルートを避け、アフリカ経由で渡ってきた)。
道場法師はオオクニヌシの系譜を引くダイダラボッチと養蚕のネットワーク上の桑原・雷神信仰のハイブリッドに見える。たたら鍛冶と養蚕が重なる背景には、雷と火花のアナロジー、交易上の必要性、そして農耕共同体の雨乞い儀礼としての両者の混淆など、さまざまな要因が考えられる。
松とムチ、マンジなどの呪術師の関係性。オオナムチ、ヒルメムチ。小野小町などもこの系譜に連なると思う。松王や松浦佐用姫は人柱として著名であったとされるが、造船や築堤の要として「松浦」「佐用(塞)」という用語があったことは若尾五雄の指摘する通り。しかし松という木材のもつ有用性が、まず擬人化して人柱伝説として現れ、呪術師や神の名に用いられたのか、どれが先か順序はわからない。
虎という尼が変じたという虎ヶ石伝説や虎姫という地名について。これは瀞とかトーという淀んだ水の傍らの弁財天祭祀が、のち遊女宿へと変じていったことが反映されているのではないか。柳田国男のいう京都の虎石町の近くには、西陣京極という遊郭があった。