The Beatles(White Album)偏向的完全ガイド
ザ・ビートルズのザ・ビートルズ――通称ホワイト・アルバムは2枚組(アナログ盤では4枚組)のアルバムである。曲数がやたら多いせいで、1枚にまとめきれなかったのか、オレならこの曲を抜く、という議論がたびたび起こる。「ビートルズに捨て曲無し」の立場を貫く筆者は、こういう議論を見るたびにひそかに心を痛めてきた。
ジョンの革新性、ポールの守旧性にクローズ・アップして論じるレビューも数多見てきた。音楽ライターが口をそろえて言うには、ジョンは前衛的な「悪い子」、ポールは伝統的な「いい子」の音楽だという。
しかしそういうありきたりな通説は間違っている。あの66年から68年のサイケデリック・イヤーを経験し、薬物を大量に摂取し(噂ではメンバー誰よりもジャンキーだったという)、そのうえで「Ob-La-Di, Ob-La-Da」とか「Blackbird」とか「Honey Pie」とかが出てきて、子ども番組にも使われてしまうほどポピュラーになってしまったポール・マッカートニーは大変前衛的で「ワル」な音楽である。その上誰の曲にも口を出す。リンゴは一時脱退、ジョージの曲は大量に没という、ビートルズ崩壊の遠因ともなる危ういガキ大将、トラブル・メーカー的個性が発揮されるのがこのアルバムだ。
逆に、ジョンは68年の革命の年になじめていない。インドの瞑想の師匠や参加者への愚痴(「Sexy Sadie」「The Continuing Story of Bungalow Bill」「Dear Prudence」)革命に参加するのかしないのかはっきりしない態度(「Revolution 1」)、公私さまざまなストレスの疲れ(「I'm So TIred」)が素直に現れている。中産階級に育ったのに「労働者階級の英雄」に仕立て上げられてしまったり、暗殺された挙句「愛と平和のシンボル」に祭り上げられてしまう後年の氏の苦悩を先取りしているかのようなぎこちなさを感じる。基本的にジョンの曲は時代を先取りするが逆らわない従順で「真面目」な曲であるため、つねに「これでええんやろか……」という自問自答が見られる(試しに、ジョン・レノンの曲が終わったあと「これでええんやろか……」とつぶやいてみてほしい。ポールの自信たっぷりの曲に比べてずっとなじむ)。
とにかく、後期の楽曲になるにつれてジョン派、ポール派が互いの曲をけなすのは見ていられないのだ。還暦とか古希を迎えたオジサンやお爺ちゃんの「68年」の思い出としては、「保守的な」ポール曲と「斬新な」ジョン曲の対比として聴けばそれはそれでよろしい。私が提案するのは、「実はアヴァンギャルドで不遜な」ポール曲と、「実は真面目で控えめな」ジョン曲という視点で「ホワイト・アルバム」を聴いてみることである。アルバム中の似た曲を聴いてみればよく分かる。テメエの眼鏡でよく覗いてごらんよ(Looking Through The Glasses On Your Own)。
Back In the USSRとYer Blues
共通点:同業者(ビーチ・ボーイズとボブ・ディラン)の引用、彼女(リンダとヨーコ?)への呼びかけ
対比:気力
ワンポイント:リンゴが一時脱退してしまい持ち回りで録音し、スピードアップまで施した前者と、狭い物置で一発どりっぽく録音した後者。のちのゲット・バック・セッションにつながる(そして失敗まで予感させる)過渡期のロック・チューンである。
The Beatles - Back In The U.S.S.R. (2018 Mix / Audio)
こういう直球なロックが好き⇒まずLet It Beを聞き慣らしてから、Please Please MeやHard Day's Nightに回帰する
Everybody’s Got Something To Hide Except For Me And My MonkeyとBirthday
共通点:盛大にやろうぜ!
対比:うるささの質感、歌詞の哲学性(笑)
ワンポイント:どっちも甲乙つけがたいキャッチーなリフ。
こーいうグルーヴ感が好き⇒Rubber Soul、Revolverがおすすめ
I'm So TiredとWhy Don't We Do It In The Road?
共通点:瞑想のしすぎによる自暴自棄
対比:気力
ワンポイント:たぶんジョンとポール、どっちも相手の曲を歌いたかったのではないだろうか(I'm So Tiredは音源有り) I'm So TiredはTake7が好みなのでそっちを載せとく。
途中でヤケクソになって妙にグルーヴィーなノリになるの、すき
ダウナーな時⇒A Hard Day's Night、Beatles For Sale
Helter SkelterとHappiness Is A Warm Gun
共通点:時代を先取りする前衛性、癖の強いひねくれたラブ・ソング
対比:ごちゃごちゃの質感
ワンポイント:Helter Skelterはヘヴィーメタルだというのは正直言い過ぎかもしれないが、Happiness Is A Warm Gunはニルヴァーナっぽい、わかる。
最終的なビートルズの到達点が聞きたい⇒Abbey Road
Wild Honey PieとRevolution 9
共通点:特徴的な歌詞(?)のリフレイン、前衛音楽
対比:曲の長さ
ワンポイント:Eldorado(迫真)
Dear PrudenceとMartha My Dear
共通点:親しい呼びかけ、一見ラブソング
対比:呼びかける対象(人と犬)、ぎこちなさ
ワンポイント:どっちも途中の曲調変化と元に戻る温度差で風邪を引くくらい絶頂してしまうが、ポールの微妙にピーキーで攻めているロックアレンジと、ジョンの繊細かつ壮大なロックの展開の差を楽しめる逸品となっております。
Honey PieとSexy Sadie
共通点:未練、曲調の気だるさ
対比:小細工
ワンポイント:ポールはわざとノイズを掛けたり、ミュージカルみたいな構成にする懐古的なヒネクレを見せるのに対して、ジョンはアンソロジーにもみられるように何回もジャムを重ね、マハリシ・マヘーシュ・ヨーギーへの失望をここぞとばかりに込めるのであった。それはそうと、ブライアン・エプスタイン・ブルースをデラックス版に収録しろよ
この辺の後ろ向き感が好きなら、聴いてみよう⇒Beatles For Sale、Help!
The Continuing Story of Bungalow BillとRockey Raccoon
共通点:マッチョさを気取る男のヘタレ・エピソード
対比:ロッキーに寄り添う(っぽいが突き放してもいる)ポールとバンガロー・ビルをあざ笑う(かのようで結構自分に重ね合わせている)ジョン
ワンポイント:68年の価値観の変化で退潮しつつあった男らしさに、軟弱な牧歌的ラブ・ソングで知られたビートルズなりの反応。それはそうと、バンガロービルの一節、もともとポールが歌うはずだったというが、ポールが歌ったら歌ったでアンソロジーの「Your Mother Should Know」の冒頭ブチギレみたいになって、すごくイヤミだったと思う。ヨーコはヨーコでどうかと思うが、英断。
BlackbirdとRevolution 1
共通点:メッセージ・ソング
対比:気力
ワンポイント:こうしたメッセージをグダらなく、隠喩でさりげなく込められるところにポールの力量がある。リンダやヘザー・ミルズとかとの動物保護や反捕鯨活動は、うーん……
Ob-La-Di, Ob-La-DaとCry Baby Cry
共通点:童謡っぽさ(誉め言葉)ジョンが嫌いな曲
対比:苦心した末のダダスベり感
ワンポイント:どっちも時間をかけて録ったわりにはロック的ではなくファンの評判は悪い。オブラディ・オブラダはキャッチーでカバーも多いが。クライ・ベイビー・クライはピンク・フロイドっぽいリハーサル・テイクの方が個人的に好きだが、後ろにCan You Take Me Back?およびRevolution No.9が続くアルバムには馴染まないだろう。
変なカウントを入れることで定評のあるジョンだが、ここではI Am The Walrusっぽいカウントを入れている。もしかしたらリバプール時代の囃子唄だった元ネタに近い?
こういう世界観が好み⇒Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band、Yellow Submarine(ジョージ・マーティンの劇伴付き!)
Mother Nature's SonとJulia
共通点:インドに行ってすっきりしたアレンジ
対比:歌詞の韜晦さ、素直じゃなさ
ワンポイント:Mother Nature's SonはChild Of Nature(Jealous Guyのデモ盤)に触発されたのだろうか。しかし、なぜグッド・ナイトは自分で歌わないのに、ジュリアは歌うんだ?
Good NightとI Will
共通点:サイケデリック・イヤー、サマー・オブ・ラヴを通過したこっぱずかしい正統派な「愛」
対比:羞恥心、軽さ
ワンポイント:All You Need Is Loveの後に家族に「愛」たっぷりの子守歌をぶち込むジョン(リンゴに歌わせたが)。とかく移り気な「ラブ・ソング」に拘る(Maxwell's Silver Hammerとかやべーのも書くが)ポール。堂々と歌えるかがこのふたりの根本的な違いである。
Dear Prudenceといい、Juliaといい、このリフ乱用されすぎでは?
Glass OnionとCan You Take Me Back?
共通点:意味深な歌詞
対比:独立曲かそうでないか
ワンポイント:ここに来て最後の最後でポールの曲が足りなくなった。ロス・パラノイアスも、ステップ・インサイド・ラブも、ダウン・イン・ハバナも、ジョージ抜きの年長組ジャムセッションの楽しさが伝わってきて非常によろしい。グラス・オニオンからは、マザー・グースやルイス・キャロルにドハマりし詩集まで出したけど、素直に伝統的な曲を作ることにためらってしまう、素直なジョンのポールに対する複雑な思いが伝わってくる。
こういう実験的なの好き⇒Magical Mystery Tour
ジョンとポール、お前らホントは仲エエやろ!(68年時点)
ビートルズ神話としては亀裂と不和の始まりとしてとらえられがちな「ホワイト・アルバム」。しかし、メンバーの大半が10代からの顔なじみで、5年ぐらい一緒にライブをやって、さまざまなアプローチでアルバムを完成させてきたバンドが、東洋人の前衛芸術家のオバハンがたった一人入り込んだくらいで崩壊するだろうか。
これがビートルズの崩壊というのならば、ライブをやめてスタジオ作業に打ち込み始めた「サージェント・ペパー」も、その契機となった前衛的作品「リボルバー」も、「ヘルプ!」や「ア・ハード・デイズ・ナイト」といった映画用のオーバー・ワーク気味作品も、さらに言うならジョンが喉をつぶすまで半日でレコーディングを済ましてしまった「プリーズ・プリーズ・ミー」だって崩壊の序曲と言えるのではないだろうか。
ポールが自分勝手にセッションしたり、ジョンがある意味生真面目で自省的、優柔不断であるのも、56年の彼らの教会のギグの出会いから兆していたもので、双方十分わかっていたのではないだろうか。
むしろ深刻だったのは、ポールとジョージの間のエゴのぶつかり合いで、ジョンが殺された後くらいまで関係が修復しなかったくらいの生々しさが、「ホワイト・アルバム」には刻み付けられている。クラプトン参加の佳曲「While My Guitar Gently Weeps」は、ポールにギターの邪魔されんためならクラプトン呼んだる!という悲痛なむせびが歌詞の外にもにじみ出ているし、「Piggies」の社会批判はわざとポールっぽくアレンジすることでポールにも向けられているような気がする。
「Long, Long, Long」はわざとうるさいヘルタースケルターの後ろに置くことで被虐感が増しているし、「Savoy Truffle」はストレスでチョコが手放せない心の闇を克明に映し出している。ジョージの曲は全体的に不憫であるが、アビー・ロードの「Something」「Here Comes the Sun」での存在感、そして「All Thing Must Pass」の煌めきを予告するかのような粒ぞろいである(それでも結局、My Sweet Road騒動でケチが付くのは本当に不憫だ)。
ジョージのイライラを追体験する⇒Let It Be、Abbey Road
リンゴの「Don't Pass Me By」はポールに向けられたイライラ・ソングとしては「ジェントリー・ウィープス」に匹敵する佳作だが、現行盤ホワイト・アルバムにおいては異質で、不完全な曲である。もともとアンソロジー3の冒頭インストゥルメンタル曲The Beginningとつなげられる予定で、当初の構想は2018年のデラックス盤で聴くことができる。
Youtubeのコメント欄にあった、「ムーディー・ブルースっぽい」という評価は的を射ている。この曲はこのアレンジによって「完成された」と言っても過言ではない。シングル曲でYou Know My Name(Look Up My Number)をB面にリリースしたら、売れるかは知らんが、カルト的な支持を集めただろう。
のちの「Sun King」がフリートウッド・マック丸パクリといわれるように、革新的と言われがちなビートルズも、同時代の音楽とさほど離れているものではない。しかし、「ホワイト・アルバム」に「ムーディー・ブルース」っぽい曲が挟まるのは異物混入、違和感があるのだ。冒頭のストリングスを没にして、この種々雑多なホワイト・アルバムに浮かない程度に紛れ込ませたのは英断だったかもしれない。
とりあえず、通説のビートルズ神話では、不和の始まりとされるホワイト・アルバムであるが、近年「アビー・ロード」期まで解散する気はほとんどなかったと覆りつつあるように、音楽性の違いに苦戦しながらもこれだけの多様な音楽を「68年に」発表できたことを評価し、楽しんで聴くべきではないだろうか。