マツノヤひと・もよう学研究所

独断と臆見による人文学研究と時評

Let It Be偏向的総論:Can You Dig It?

 まさかの半年ぶりの続編。

matsunoya.hatenablog.jp

 

Let It Beというアルバムを、私はあんまり聴いてこなかった。コンセプトが適当で自然消滅したゲット・バック・セッションを、フィル・スペクターという変態プロデューサーがド派手なオーケストラでアレンジして、ポールの怒りを買い解散の元凶となった。

そういう経緯を「ジェフ・エメリック自伝」とか「コンプリート・セッション」でよく知っていたから、個人的にはこのアルバムを聴くよりは「マジカル・ミステリー・ツアー」を100回聴きたいし、「イエロー・サブマリン(ソングトラックじゃない方)」のほうが価値があるとまで思っていた。レット・イット・ビー・ネイキッドとか、アンソロジーとか、バレット・テープスやA/B Roadなどのブートレグのほうが好みだったまである。

 

しかしながら、とある日に「アイ・ミー・マイン」を聴いたことによって評価は一変した。これはフィル・スペクターが好き勝手作ったものではなく、しかるべき「演出」のためのオーケストレーションなのである。

 

アメリカやGBから遠く離れた日本では、ロックというのはある程度舶来のシュミであって、音楽雑誌やライナー・ノーツなどの「神話」とともに味わい、鑑賞することが求められる(フレンチ料理とか茶道とかに通ずるものがある)。しかしながら、その「神話」と音楽的な「評価」がごっちゃになると、ジョンが憎い、ポールは嫌いなどという理由で安易に駄作と決めつけてしまうことになる。音楽理論とかコード進行とかで聴くのもなんかズレている(ビートルズ当時もグスタフ・マーラーの曲進行と重ねる評論家がいた)。もう前の記事で何を書いたか忘れてしまったが、そういう「神話」や「理論」を取っ払って、新たな邪推と偏見で聴いてみよう、というのがこの記事の趣旨である。

 

総論 

このアルバムは、ビートルズを育てたジョージ・マーティンや、ストーンズなどで実績を積みつつあった新進気鋭のグリン・ジョンズではなく、他でもないフィル・スペクターが完成させることで意味があった。そもそも、ビートルズじしんが掲げた「原点回帰」という方針が迷走したのは、彼らがティーン・エイジャーのときに触れた「原点」はロックンロールだけではないのである。フィルの「ウォール・オブ・サウンド」をはじめとするコーラス・グループやオーケストレーションもまた原点であって、エルビスチャック・ベリー由来のラウドなパフォーマンスにこうした「演出」が加わることで、後世のロックに新たな方向性が与えられたのではないだろうか。正直、曲にいらん手を加えられて怒っていたポールも、「ジェット」や「死ぬのは奴らだ」などはLet It Beなしでは生まれなかったと思う。

しかも、この音楽はただのできた曲の寄せ集めではなく、崩壊するバンドを描いた「映画」の「サウンドトラック」という性格を見落としてはならない。「ハード・デイズ・ナイト」とか「ヘルプ」とか「イエロー・サブマリン」では、ビートルズが曲を提供し、マーティンとかがスコアを書いていたのが、ここで初めてビートルズの曲単体で劇伴として成り立つようになったのである。「マジカル・ミステリー・ツアー」の失敗は、おそらくビートルズのマネジメント、そして曲だけでは映画の流れに重要な「演出」「脚色」に、彼らの経験が足りなかったことを意味している。

そこを補ったのが、フィル・スペクターのMGM映画みたいなあの仰々しいアレンジだったのだ。このアレンジゆえに、エルヴィスや若大将的なアイドル映画、ミュージカルだったり、プロモーション・ビデオやライブ映像というものの萌芽にあった60年代から、ドキュメンタリーやノンフィクション的なミュージシャンの「映像」を生み出すことに成功した、という意義があるのかもしれない。Let It Beなしでは「ボへ泣き」もできなかったかもしれんですな。

もちろん、そうしたソングトラックとしてのLet It Beとはべつの、「ゲット・バック・セッション」の残骸としてもこのアルバムは面白い。ポールの当初の「ワンマン」的には、アメリカ受けを狙った「ウエスト・コースト・ロック」っぽいものを目指していたのだろうし(レット・イット・ビーとかワインディング・ロードはイレギュラーな曲目である)、ジョージはくすぶりながらも「サムシング」や解散後につながる垢ぬけたサウンドを生み出しつつあった。リンゴは映画内で「オクトパスズ・ガーデン」をジョージやジョンと協力して生み出すさまに、後年の楽曲提供につながる人柄のよさ、スター気質が現れている。そしてリンゴのドラムがなければビートルズじゃない。

問題はジョンである。「ヘルプ」以降のジョンはスランプで暗中模索している感がある(もともと後ろ向きでヘタレな作風だったが)。そうした苦悩、シンシアやヨーコとのすったもんだに、明らかに成長しつつあるポールやジョージの曲を手伝わされては、ジョンでなくとも「ふざける」「不貞腐れる」「皮肉る」くらいしかできないだろう(ゲット・バック・セッションではジョンの得意なルイス・キャロル譲りのユーモアセンスを活かしづらい)。

サイケデリックロックやフォークからワイルドでラウドな、しかし垢ぬけつつあった70年代のロックへの過渡期にあって、ポールやジョージはわりと素直に流行に乗った曲を書くが、ジョンはインドに取り残されたかのような「アクロス・ザ・ユニヴァース(アルバムのは68年のテイクに手を加えただけだが)」や田舎っぽ~い自嘲的な「ディグ・ア・ポニー」をぶつける。それでも、ルーフトップのパフォーマンスは貫禄であるし、なんだかんだ言ってバンドの大黒柱だ。「ドント・レット・ミー・ダウン」などのひねくれながらも素直な曲は、たぶんジョンが脱皮したかった商業的なラブソングからメッセージソングへの完全移行を促し、バンドがなし崩し的に取り組んだ「アイ・ウォント・ユー」や「スターティング・オーヴァー」など終生続くジョン色、熱狂的ファンを生み出してしまうカリスマ性の復活が見て取れる。

 

つまり、Let It Beは、例えるならばフィル・スペクターの作った醤油豚骨ラーメンであり、ネイキッドはそうじゃない普通の醤油ラーメンを出したつもりが、鶏ガラを出してしまったわけである(しかもCCCDで)。つまっているのかわからないが。