マツノヤ人文学研究所

独断と臆見による人文学研究と時評

研究方針:神話学と錬金術、あるいは家電の説明書はなぜ長く読みづらいか

 現在わたしが取り組んでいる研究を端的に言えば、「西洋錬金術道教煉丹術、および日本神話の比較と、その言語的表象の研究」である。

 

 ここ半年の実験的な原稿から、やっとこさ何か成果ができそうになった。基本的には以下の記事を膨らませたものである。どこか大学で勉強できる環境があればいいのだが、たぶんどこでも受け付けてくれないのではないかと思う。

 

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 従来、錬金術や煉丹術は吉田光邦錬金術』(中公新書)におけるように、単なる絵空事とか荒唐無稽な虚構のようにかんがえられている。一応、前者は化学元素の発見や実験器具の発明に先鞭をつけ、後者はルネサンスの三大発明(火薬、羅針盤活版印刷)に必要な鉱物や植物の知識を用意したという功績が認められてはいる。

 

 しかしながら、古代文明の理知的な学問体系のなかに突如として現れる、黄金錬成や長寿獲得にたいする不可解な欲望と非合理な伝説は、近代精神の勃興の時代にしばしばステレオタイプなイメージをもって受容された。科学とはまったく対極の、迷信である。

 

 そんな中で好意的な評価を与えたのはK. ユングであろうか。個人の意識の向こうにある集団固有の構造、「集合的無意識」は、精神医学の基本として現代思想に見逃すことのできない影響をもたらした。河合隼雄や吉田敦彦は、これらを援用して日本神話を「日本人の精神構造の元型」のように解釈した。

 

 「古代や中世の一見荒唐無稽な伝承は、民族、国家、ひいては人類共通の根源的で精神的なイメージに起因する」とする立場は、これはこれで完成しきった学問の体系である。それでも、私はこの考えが本末転倒というか、何か重大なはき違えをしているように思うのである。

 

 錬金術や煉丹術、そしてその思想的基盤となったグノーシス道教の神話群は、別のパズルの断片なのではないか――そう考え、オリエント、ギリシア=ローマを中心とした西洋古典教養、インド、中国を中心とした東洋古典教養の再解釈を、「ポスト・オリエント学」とか、「情報文化圏交渉比較環境人文学」と称して、資料収集に努めてきた。社会思想史、宗教文化史、交易経済史などが複雑に分化して、全体像が見えづらくなっている現状への反抗という側面もあった。

 

 根本の主張はこうである:錬金術、煉丹術そして日本神話は、水銀と硫黄の化合物、辰砂を用いたメッキ技術を伝承するための説明体系だった。

 

 天平時代、東大寺の大仏はエジプトでも使われていたというこの伝統的なメッキ技術により、黄金で覆われていた。そして平安末期に平清盛によって焼損されたのち、再建されたときも、同じように金でメッキされたという。私はこの技術がいかに伝達、伝承されたのか、という過程に興味関心がある。

 

 その過程でメディアとなったのが「神話」である。かつて「騎馬民族征服王朝説」が脚光を浴びたように、日本神話はスキタイやケルト、オセットなどの遊牧民神話ときわめてよく似ているという。「世界神話学」を持ち出さずとも、大航海時代以前の古代中世もグローバルな交易が繰り広げられていたのである程度は宜うことができる。しかし、わざわざ似たような構造が見られるということは、同じ技術――鏡、ベルトや刀剣の耐腐食にも必要なメッキ技術を伝えるものだったのではないか。

 

 昭和時代の正倉院展などに代表されるシルクロード美術ブーム、日ユ同祖論や黒魔術などのオカルト超古代ブーム、そしてインドやチベット密教、タントラやタオイズムなどの精神世界ブームは、近代西欧文明にはない「エキゾチック」な他者として求められ、学問に深く食い込むことはなかったように思われる。これらはかつては日本文化と溶け込んでいたものであったにもかかわらず。

 

 また昭和的な様式、たとえば温泉街の秘宝館の卑猥な展示物なども、サブカルチャー的な関心から見直されてはいるが、なぜこうした習俗が形成されたか、という問いが見過ごされていることに危惧を覚えている。江戸の春画もそうだが、ただ「民衆の素朴な心性、想像力」で片づけられるものであろうか。それが彫刻ないし図像として残されてきた経緯に、ある種の理知が関与していることは否めない。

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 農耕共同体を中心に語られ、冶金や狩猟、祭祀など、しばし禁忌とみなされる行為を行う人びとがアウトサイダー、アウトカーストと見なされる社会観は、大幅な見直しを求められるだろう。道具作りや集住環境の選定を含めた、「広義の」農耕社会を営むために、農耕民の目に映る異人たちは「先駆者」として必要不可欠な存在であった。

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  その畏敬が、一方では「マレビト」がもたらす恵み、他方では禁忌を犯す脅威として記憶された。近代的な社会秩序は、これらを一瞥して「差別」という枠組みに組み入れた。

 

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 さて、表題に掲げた「家電の説明書」の長さ、読みづらさであるが、おそらくそれは、家電製品開発者とユーザーの距離感、圧倒的説明不足が溝を作るという点で、神話と現代を生きる我われとの関係に似ている。遠い遠い未来の研究者は家電の説明書を見て、描かれている技術を理解できるのだろうか。民衆の精神の発露とか、「集合的無意識」で読み解いたりして。

 

ノート

 イザナギイザナミは鐸(さなき)の神?( 福士幸次郎『原日本考』より)

 

 多賀(たが、イザナギの在所)と熊野(ゆや、イザナミの墓)……水銀と硫黄の産地

 多賀には「丹生」が存在。

 

 融通王(弓月王)、熊、祝融、蚩尤……機織り、とくに染織に硫黄が必要と推理

 

 菊理媛(白山)……鉛?陶器の釉薬皿屋敷の「お菊」は九枚しか数えられない。

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 タガの系譜、愛宕・嵯峨・高野

  ヤマト「タケル」、鬼の高丸

 

 金属腐食を防ぐメッキ技術は、西洋では金の錬成、東洋では不老長寿として解釈された。……辰砂を鳥居に塗り、外丹として服用することの流行。

 鉄 サヒ(松浦佐用姫)

 

 セ(伊勢、風、もともとは自然風を利用して鍛冶が行われていたことに由来)

 道祖神塞の神……猿田彦青面金剛歓喜天(リンガ)

 

 イモ(鋳物、イモアライ)

 

 月待、庚申待(夜通しの精錬作業に由来?)

 

 ナ(オオクニヌシ……大名持、大穴持/スクナヒコナ)ネ(根、稲荷)

 カニ、カネ、カメの伝説

 白鳥崇拝

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 クラ(稚桜、クラ谷)

 

農耕祭祀としての再編

 田は、広く場所を指していた⇒のちに、イネを育てる田に限定

  「土中の生成物」としてのネ、ナから根、稲への変化

 五行十干十二支思想、天文学から植物の生成のサイクルへ

 

 アナロジー、「穀霊」の誕生

 

 雨乞い⇒目病み、片目

  ニフツヒメとミヅハノメの習合、水の神としての竜神、夕立

 

 

 丹生、壬生⇒御傅、子守、隠来(子守)……子育てをする女神

 

 洞窟、河と女神(蛇女)祭祀

  龍退治伝説

 

 水神崇拝

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 雷神、蚕、桑、馬頭観音信仰

  丹塗りの矢による妊娠

 

 ミトラ崇拝、太子信仰……渡守などの労働と、契約

  片岡伝説…死者がダルマ、菩薩など聖人に(黄金変成譚の変形?)

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 弁慶と義経……武士の宗教性

  蹴抜の塔による仮死と再生の儀礼、九人の侍を殺し九体仏(蹴上)建立

   九日を射抜いた羿、ヤマトタケル説話「日々並べて夜には九夜 日には十日を」

 

西洋の錬金術史、中国の道教史、インド・チベット密教史および比較神話学については、まとめ切れていないので後述。