マツノヤひと・もよう学研究所

独断と臆見による人文学研究と時評

言語研究ノート

ことばとは符合することである。そしてその発展として、さまざまな強意の形態がある。それらを列ね、束ねることによって、言語はあるスタイルと構造を獲得する。

個としての領域、主観としてのことばから、客観的な集合体のための言語を確立するには、共同体の歴史と社会とことばとの符合が技術(わざ)として不可欠である。まったく偶然な音と指示対象の合致が、必然的な語源学へと昇華されるために、「かたり」へと向かう欲望、という際立ちが求められるだろう。こうして得られた編み目(コンテクスト)を意図的に緊張させることで、学問は体系的に成り立っているわけであるし、国家や民族、精神に理性という社会的関係群は、まるで身体のようにあらわれ、何事かを意欲し、為すことが可能なのである。

 

神話や説話の型における「意図」強意について

神は比喩の有無にかかわらず「分かち合われる」もの

コピーされ、あそぶ在り方。しかしながら、そこに厳然としたことわりがありうる。対(つい)、番(つがい)なる概念に振り分けられることによって、過剰はそれぞれの向き、偏りを生ずることとなる。それは空間知(風土)と時間知(こよみ)の性質の違い、空間の移動はじつに多くの向きが可能であるが、時間がかかわればほとんど不可逆であるという経験的所見から言語に付与された「見通し」であるといえるだろう。そしてそれは、劇的な身振り、欲望と見通しに操られた「扮技」として人間の意識を形成し、詩的かつ呪術的なことばをあらわすこととなる。たとえば、黄金時代や、黙示というかたちによって。

 

そしてことばは度重なる模倣の末、よみかえられ、よみがえる。