マツノヤひと・もよう学研究所

独断と臆見による人文学研究と時評

空想から唯劇論へ:迷妄書き

世界的な交易路と説話のネットワークの研究

 

 共同体が社会生活を営むにあたって、ものごとの「本質」を共有することが重要である。共同体そのものが、「本質」を渇望している。

 いかなる空間(風土、社会)、そしていかなる時間(こよみ、歴史)を生きるか。説話を伝達し、伝承することは、その社会がどのようなネットワークの中で生を営んでいるかをあらわしている。

 説話について、ふたつの混同が見られる。「起源」と「産出」である。現在説話でかたられる起源は、人類の科学的起源、国家や民族の起源と安易に結び付けられて考えられることが多い。テクストがどのように記録されたか、もしくはコンテクストとしてのかたりを踏まえずに、「本質」をかたるメカニズムが単純化されるきらいがある。「一回きりの」遺伝による枝分かれや人類の移動では説明しきれない重層性を考慮しなければならない。有史以来の交流が検討に付されていないかぎり、テクストに書かれていない起源をあれこれと考えることは無謀というほかはない。

 また、社会のはたらきによる産出物が、共同体の本質と一致するように見える場合がある。産出物と本質の過度な混同――なにか「聖なるもの」が作用して社会のものごとを動かす、というかたり口は、近代のある時期まで支配的な言説であった。こうしたスタイルは、スポットライトが当たった「聖なるもの」を解体して考えなければ、共同体の本質について錯覚をもたらすだろう。

 それでは本質とはなにか。本質は基本的に集団労働の産出物、たとえば米やワイン、糸や香料、金属などの純化技術のプロセスから類推され、真理や心、神などといった「個物」として覚知される。雑多なことばや身体、信仰の集合体である社会から見いだされるこれらの個物は、集団労働およびその産出物と密接に結びつき、ことばとして紡ぎだされる。

 かくして「聖なるもの」の軌跡として「かたる」ことが、共同体の文化として生じる。しかしながら、実は説話伝承は、語られるところの「聖なるもの」の営為ではなく、さまざまな集団労働――農耕や染織、鍛冶、商業、戦争、狩猟、官僚制、売春etc...を機能として内在させ、統合する共同体を体現したものなのである。聖なるものの営為は、説話伝承を「再生(revival)」する媒体として、集団労働を模倣する。その結晶が、「うた」「物語」なのである。

 従来「心」「個性」などといった分化が、「うた」「物語」の契機とされている。しかしそれは絶対的な淵源ではない。集団労働の繰り返し行われる模倣にあらわれるほんのわずかな差異が、能動的、受動的な「作為」と認められると、そこに「心の動き」とか、「作者の個性」を見出されることとなる。ひとつの感覚、もしくは間隔の受け取り方として均すものである(いわば「フィードバック」)。聖なるものとそのアニミズムは、社会とネットワークをことばを介して一つの生の時間的、空間的コンテクストに再編することで生ずる。その変形は、あまりにも自然で気づかれることがない。

 伝達、伝承されるという考えからも明らかなように、「ものごとがあり続ける」というイメージが、本質にかんする思惟、うた、物語の立ち上がりに決定的に影響を及ぼしている。その上で本質の追求が被る変容は、さまざまな物語の類型を生み出してきた。

 

研究目標……テクスト、空想から「劇」へ。作者による作為から、非人称的なネットワークとしての社会の顕現。

 

古代以前……オリエント・ヘレニズム・ローマのグローバル

 一ヴァリアントとしてのギリシア文化

 解体する「グノーシス」としてのキリスト教伝承、仏教文化

 近代国家や、宗教性、民族性に引かれた境界線

 説明体系としての4元素説(五輪)、陰陽五行思想、十干十二支

 

カロリング・ルネサンスと古典教養の形成

 唐代、イスラーム、奈良平安文化(泉の信仰、山の信仰、星の信仰、散逸した古典の再解釈)

 オットー朝、十字軍と宋朝(恋愛、宗教説話、呪術の一般化)

 12世紀ルネサンス源平合戦(驚異、地獄、恐怖の誕生)

 

俗語というフィクション

 チンギス・ハン、ダンテ、ペスト……憂鬱、怒りと国家論

 戦争と文学……宗教の失墜と科学の興隆を前に

 表層に躍り出る「商業」……経済思想と深層的な商慣習の忘却

  異界・禁忌・差別の固定観念化、「商業は卑しいもの」という起源譚

 反動としての精神的統治論……心性で統合される民族国家

 

古典教養とその解釈……歴史的「事実」と技術、

 聖性の発露として語られる消費行動……プレ社会経済史であり、ポスト社会経済史

 生の終着としての道具と道具への執着としての生

 エコロジーという再生されたヒエラルキー

 

信仰される環境……洞窟、鉱泉、山、森、河、滝、農地、湿原

精製されるモノ……穀物、草木、金石(鉛・水銀・硫黄)、繊維、酒薬そして肉体、魂

 産出された生成物が、信仰の「見返り」と捉えられたとき、抽象的な「利益」を約束する(契約する)祭祀体系が生み出される。招財や幸運といった現世の抽象的な利益、または楽園、浄土などの異界的、来世的な希望は、複雑化し利害共有の難しくなった社会構造を反映している。内乱などの宗教への矛盾、責めさいなみは、異様に細かい異界観によって表現される。(表裏一体となる技術の往来は「聖なるもの」の所為によって隠匿される)

 婉曲される名称。愛称や指小表現によって、主体は巨人や小人、愚かさといった異形的性質をもって解釈される。面白おかしく誇張された芸能祭祀は、しかしながら、身分社会の役割、分業をもまた活写したものであるといえる。あえて聖なるものをゆがめ、汚すことで活性化させる思考との関連もあるかもしれない。

 

呪術……欲望(性愛、恋)、呪詛、雨乞い、治水、善行、魂

女神崇拝や貴種流離譚(認知)、鳥や蛇などの異形性といった「オリエント」的形質

 神格とその類型

 近代の地政学、古典教養の限界……インドとペルシアとの関係性

 科学以前、「舞台装置(小道具)」としての「モノ」……習慣化される「自然」

 

ことばについての考察

 動詞と名詞へのプロセス 

 一人称、二人称、三人称そして受け手

 モノ・コトについて……比較言語学

 隠喩