マツノヤひと・もよう学研究所

独断と臆見による人文学研究と時評

歴史の夢・ロマン・謎:信用ならない語り手にすぎない、歴史学の直視しがたい現実としての

 歴史に夢とロマンと謎はつきものである。これはいい意味で言っているのではない。プロの研究者でもアマチュアの歴史家でも、知らず知らずのうちに、

●自己投影、アナクロニズム

●勧善懲悪、陰謀史観

●テーマの束縛、専門化

権威主義、タブーの無視

などといった問題を棚上げにして、夢やロマン、謎という虚構で一般読者の関心を惹こうとしてきた。おおよそ社会的な発言力や影響力を得た壮年・中高年になってからでは、学んだ歴史観、そして研究上のインプットとアウトプットを軌道修正するには遅い。

 この弊害は、歴史研究そのものにたいして、研究者とそれ以外の人間のあいだで温度差、認識の隔たりを生んでいる。一般的な認識としては、歴史は大半が退屈な学校教育であり、それと対照的に興味深い娯楽・ファッションとなる時代はごく限られている。

 歴史小説やドラマ、マンガ・アニメやゲームでそれなりに「知っていて」、また奇特なことに歴史教科書で関心をもち、研究したいと考えアカデミズムに踏み入れる人間に突き付けられるのは、膨大な先行研究と学説史などほとんどまとまっていない史料の収集作業である。

 長い研究の道のりの中で圧倒され翻弄されるうちに、テーマは細分化され微視的となり、専門外のプロの歴史研究にはまったくの門外漢である一方、アマチュアの杜撰な史料批判、研究手法の幼稚さにはいら立ち、無視をきめこむようになる。そして、自説の支持を取り付けるため、「夢・ロマン・謎」という糖蜜細工で興味を惹こうとする。それがますます歴史の「全体像」を見えづらくし、「歴史研究は物好きの道楽」という風潮を加速させるものであることを知らずに。

 

●自己投影、アナクロニズム

 限界まで戦う総力戦、伝統的な精神のためなら死をもいとわない「愛国・国粋主義」「ナショナリズム」という19世紀以来の根幹が否定されていらい、歴史はセンセーショナリズムとジャーナリズムの玩び物となってしまった。歴史の視点は、たいていが近代の歴史の主役であった「教養のある近代市民」の裏返しである、「無学で権力に虐げられた民衆」を基としている。この「無学で権力に虐げられた民衆」という他者像がやっかいで、たいていは「教養ある近代市民」たる研究者の顛倒した自己の投影なのである――古代人、未開人、女子供という研究対象、恋愛や感受性、信仰、病理といった非理性的なテーマを解明することは、その研究者の近代的理性の代弁、自己紹介にすぎない。

 インド・ヨーロッパ語族の類似関係は第一次世界大戦の引き金となるドイツとイギリスの対立と表裏一体の「印欧民族」の起源探しであった。アナール派の民衆史・地域史研究は中央の知識人が植民地や地方を統率するきわめて強権的な「近代フランス」という重力ありきで成り立つものであり、ウォーラーステインの近代世界システムは、経済的な覇権国家を自認する(かつての)アメリカの自己紹介、王統譜、王権神授説である。

 言語系統が孤立的で、せいぜい朝鮮・中国が射程範囲の日本古代史学は、研究者のスタンスのいかんにかかわらず、「大日本帝国」の範疇を脱け出ることはないし、南方への関心、世間を騒がせたシルクロード騎馬民族のブームは、太平洋戦争と玉砕、抑留を経験した世代の追憶、慰霊にすぎないのである。

 こうした時代精神が背景にあることを理解しないと、とくに西欧の時流の受け売りに終始する本邦の歴史研究においては、本場で時代遅れになってしまった数十年前の流行を断片的に受容しつづけ、反芻しつづけることとなる。しかも、先に挙げた「他者」、研究対象が、じっさいの歴史上でどう位置付けられていたかということを熟考せず、近現代に創作された概念のもとに囚われてしまう時代錯誤をおこしかねない。

 

●勧善懲悪、陰謀史観

 その最たるものが、物語の「ワク」に歴史を無分別に詰め込んでしまうこれらの歴史観である。虐げられたまつろわぬ民と権力者、という対立は、「全世界的に」ナショナリズムの反動としてもてはやされた感がある。ケルト、魔女、イスラーム神秘主義ヒンドゥー教、サンカ研究……様々な題材がこのメカニズムのもとに消費され、おもに「民族主義」「精神主義」のもと、どこが起源か、だれが歴史を歪曲したのか、という議論に終始している。民族や精神といったアナクロニズムを主語とすると、近代の市民社会においてそれらが勃興する土台となった、産業革命啓蒙思想以前の「社会」のすがたが見えづらくなる。すなわち、農耕文化と金石器文化の連関である。

 どのような風土(空間知)・こよみ(時間知)のもと、人間が往来し(けっして「進歩」「原始人類の移動」という文脈ではない)、治水や灌漑、器物の製作などの分業をおこない、農耕や信仰の渾然一体となった社会をいとなんできたのか――その比較が、民族や精神の障壁によって阻まれている。

 このムーブメントは民族や精神といった概念的なもので示唆されるように、一方向にすすむわけではない。民族対立やイデオロギーの衝突の緩衝地帯では、傭兵や身代金などで簡単に裏切られうるシビアな「境域」の様式が存在し、いわゆる「語り物」、祭祀芸能の世界が生じてはじめて、白黒がつくものである。はじめから「勧善懲悪」「陰謀論」といった語り物の発明品をもとに歴史を解釈しては、人間の営為を理解することは難しい。

 

●テーマの束縛、専門化

 理性・美・精神というのは、虫や動物の擬態や警戒色のように、かつては「境域」で生きる人間の自己防衛のために役立っていた生活様式である。それがいつしか、「伝統」となり、アカデミズムによって研究される「他者」であり、近代精神に排除された反動でたちかえるべき「精神」「民族」という位置づけとなった。大学など学術機関で研究する歴史学徒はよほど緊密に社会を分析しなければ、人間の営為から遊離した精神的・民族的主張におちいることとなる。

 彼らの主張に比べれば、もと新聞記者、もと産業人といった肩書をもつ人間の研究はよほど多様性があり、「地に足のついた」主張である。しかしながら、学術人の研究との同期がうまくいかず、歴史の原動力として前述の勧善懲悪、陰謀史観が再生産されつづける傾向にあるし、もといた産業の常識に特化したピーキー歴史観は散逸しやすく、統合が困難である。自らの意見に絶対的な根拠をつけるため、独自の「言語起源論」をもっている――そのおおくが牽強付会であり、学界からは無視される原因となる。

 

権威主義、タブーの無視

 学閥や学派などの制約は、より安逸な方向へと、人間の知を先鋭化させる。社会的な信用のおける考古学はより古くセンセーショナルな結果を発掘するのが名声や影響力と同義である。他方、オカルト的な「超古代」の研究は、偽書や自国中心主義、捏造などでアカデミズムから嘲笑されるものの、信奉者は数多い。

 これらは別方向の事柄にみえて、問題点は共通している。われわれの多くが、古代と現代をつなぐ、中世や近世のテクストや口頭の説話伝承の意義が無視し、古代、もしくは有史以前という原点と、近現代という結果を短絡させて歴史を把握しているのだ。そのさい援用されるのが、先ほども述べたように「精神」や「民族」の発展史として、不可逆的な進歩主義を遺跡なり史料に当てはめるやり口なのである。

 たしかに遺跡や遺物として出土したモノはアルカイックで過渡的な様相を呈している。しかしながら、本来ならばそれが放棄されるまでの「極相」を示しているはずなのである。そして偽書は、正史の剽窃であったり、現代人からは常識外れの荒唐無稽な世界観である。古代に書かれたと称して、近代に編纂されたものも数多い。それでも、それが人びとの間でなんらかの事実を証する「語り」として通用していた、「意義」を考えるのが研究者の責務なのである。これも言ってみれば、神仏習合が放棄される前までの「極相」を示していた史料なのである。

 たとえば、「太子伝説」がある。京都の太秦・伏見、大阪の四天王寺、宝塚の中山寺、生駒・葛城の山陵地帯など「物部氏伝承」が残る地に、磐座や舞台建築などとともに聖徳太子古史古伝が残っている。この伝説群を、支配者である王権が先住民を虐げていた事跡とするとき、「境域」的思考は失われ、さらに古代から現代まで説話伝承を担ってきたが、蔑視をうけやすい舞楽などの「祭祀芸能」や「冶金文化」などのタブーを看過した精神史、民族史が出来上がることとなる。じっさいのところはどうなのだろうか。個人的には、農耕の前段階の天地の観測や治水灌漑技術、冶金文化に付随していたミトラス的な伝承が、ときの支配者のすがたを借りて顕われているものだと考えている(ここで「ミトラス的」とするのは、ペルシアやローマの「ミトラス」とは、冬至春分などの太陽を観測する技術としては同源かもしれないが直接的な文化の影響をおしはかるのはナンセンスだと考えるからである)

 こうした問題点を熟考することを放棄し、「トンデモ理論だ」とあざ笑い、非難することはたやすい。点つなぎのように遺跡や遺物、史料をならべ、日本国民の精神史、民族史とカバーを付けて売るほうが楽で実入りもいいのだ。「ビジネスで差をつける」「成功者、ヨーロッパのエリートはみんな学んでいる」という集団心理をくすぐるキャッチフレーズを付けたらもっと売れることだろう。

 

 しかしそうした商業的成功があっても、長期的にみれば、歴史学がマイナーな分野で、文系学問の削減に抗えない脆弱なスタミナしかもたない現状を克服することはできない。もてはやされる統計やAIなどの最先端技術のように、歴史学が社会の維持に益するビッグデータ編集術のように、現代社会への適応を遂げるには程遠い。もう、ヨーロッパが進めてきたような「人間中心主義の克服、環境と技術の調和」という依然ルネサンス以来の人間対自然の影響下にあるような次元ではないのである。

 人間が自然のなかで、どう異化されて(=活かされて)きたのか、という情報の集積が、歴史なのだ。それを知らずに、SNSをいじくり回し、ほんの小さな常識、狭い人間関係の中に生き、その無知のままに住環境の悪化著しい都市を大量生産するような愚は自省されなければならない。これらを克服するのが、人文学の復権の最大の目標である。