マツノヤ人文学研究所

独断と臆見による人文学研究と時評

工匠文化論:火知りと日知り

 貨幣や政治のシステム、そして文字によるリテラシー、宗教に至るまで、従来の国家と民族中心の歴史観は、いわゆるウェストファリア条約から、1750年代に始まり二度の大戦へと200年弱続く「長すぎる19世紀」において構築されたものである。この間は、王権や宗教権力によって抑圧されていた商工階級が文字による歴史や文学を主導し、迷信に染まっていた信仰と理知的な科学を分離し、民主主義や資本主義経済の様々なシステムを考案した時代であるとされる。

 

 そして、ヨーロッパ諸国が全世界への海洋へと進出し、植民地や博物学的な研究をも独占した。宣教活動によって普及した「紀元」は、地質学・考古学・物理学の進展により、キリスト教の教義を離れ広く用いられるようになった。

 とくに、全世界の国々が躍起になったのが、「商工業革命」「大衆啓蒙」「政治の変革」である。これらは時に生活様式の暴力的な破壊をもたらした。「貧困」「差別」「弾圧」は、文字に乗せられ伝播することによって、かつての「迷信」の時代よりも熾烈な窮状をひとに強いた。迷信の虚妄を排し、商工業が貨幣経済に一元化していくにつれ、贈与や寄進などのかつて共同体を支えていた多元的なシステムが顧みられなくなってしまったからである。

 それまで独立して還流することのできたモノやサービスが、金銭と紐づけされ容易に動かなくなることは、表面的には公平で階級差別のなくなった社会に、除くことの容易でない偏見を植え付けているということと同時進行である。とりわけ多くの変化を被ったのはアジア・アフリカ・アメリカの諸地域であろう。文明史観により「衰退」「未開」とされた地域は、ヨーロッパの先進的な知識を取り入れ(させられ)る一方、宗教的原理主義の台頭、モノカルチャー経済の弊害、汚職政治など、この「19世紀」以来の桎梏に悩まされている。

 破壊されたのは社会的構造のみではない。人文学の研究もまた、様々な制約によってがんじがらめにされることとなった。活版印刷の普及にともない近代的な著者と読者のネットワークが出現したとき、すでに伝統的な経済システム・政治システムは「変質」しつつあった。大航海時代とよばれる現象により、陸の権益を争う王たちと海の商人たちの収奪が同期しつつあったし、生を活写した古典文化の再発見により死を思う信仰は形骸化しつつあった。極め付きは、宗教改革による修道院や教会の破壊、民主主義革命による王権の衰退である。

 それまで維持されてきた儀礼などのシステムは効力を失い、商人や工業人が主導する、科学や経済的に「是とされる」教育による精神の陶冶がそれにとってかわった。科学や経済、国家や民族に細分化された枠組みは、それまでの自由学芸を、科学と芸術のアカデミズムへと変えてしまう。儀礼や遍歴などを通じてギルドの規格化された品物を製造する権利を継承する営みが、レオナルド・ダ・ヴィンチガリレオ・ガリレイといった「天才」による発見を列挙する、精神史の教授へとすり替わってしまったのだ。

 これは日本でも同じで、国学派の主導による廃仏毀釈や、それまでの政治体制の転覆による既存の権威の崩壊と再編制の中で実現したのが、それまで「農業国家」だった日本の「急速的な工業化」である。しかしこれは、職人の遊歴、神仏信仰とのむすびつきなどにより村のすみずみまで行き渡っていたある文化が消滅し、国家や中央集権的な官僚政治・経済に直結した「商工業」へと組み替えることに運よく成功した、と言い換えられるべきなのではないだろうか。しかし、それらは一顧だにされず、民俗学や文筆家が拾い上げることがあっても「迷信」と一蹴され、例えば苦学して海外を見聞し身を興した渋沢栄一福沢諭吉の伝記的事実にはおよばぬものとされたのである。

 

 このブログで取り上げてきた冶金文化や、天文・地理の測量、治水などと説話伝承の類型学を、「工匠文化学」と呼称することにする――ポスト・オリエント学であるし、情報文化圏交渉比較環境人文学とも称してきたこの学問は、錬金術や煉丹術、陰陽道などの、近代科学技術の母胎となったさまざまな知識が、かつて神話伝承などの信仰と切り離せなかったものであり、多くの文学の元となった「語り」――芸能祭祀を介し、その聖性が信じられてきたものと考える。

 

 鍛冶師・大工・採鉱師などの「工匠」たちがいなければ、田畑や住まいに水を引くことも、米俵を蓄える倉や牛馬の小屋も作ること能わなかっただろう。それに「火」の管理、「日」の観察も、しかるべき技能者がいなければならない。しかしながら近代の人文学者は、近代社会の科学技術、そして暦日を恃みとして、古代中世の社会の営為を「豊饒」をただ天に祈る「呪術」と抽象化してしまった。あまつさえ植民地の「未開民族」の習俗と比較検討し、「人類学」として拙速な一般化をしてしまったのである。

 ここには模倣の問題もある。人間の意思疎通は完全ではない。工匠が語り伝えてきた文化も、傍から見た者には理解不能であったり、簡単に仕事を真似されないよう符牒や儀式を難解にした結果、後世の人間に誤った解釈をされることもある。偏見をもった、共同体の外からやってくる研究者に正しく伝わることもなおさら稀だろう。

 

 しかし、伝承に用いられた図像や類型の比較を通じて、ある程度の再建を行うことは可能である。元型心理学が「精神」と解したものだったり、言語類型学や図像学が系統立てて説明した成果を援用することは道理にかなっている。

 なぜ、聖徳太子イエス・キリストも馬小屋で生まれたと伝わっているのか。これに騎馬民族や日ユ同祖論をあてはめるのは荒唐無稽である。しかし、多くの大工が聖徳太子を崇拝していたり、イエスキリストにとどまらずグノーシス主義で創造主は建築家と考えられていたことを加味すれば、仏教やキリスト教をつうじシルクロード上で建築技術が共有されていたのではないか、という推測が可能である。

 木を切るにも石を砕くにも、有史以来は金属器なしではやっていけなかっただろうし、正確な方位や季節を合わせて建築を遂行することが求められる。すなわち、こうした職能集団は正確な情報伝達能力によって文化を受け継ぐことが肝要となる。火を知り、日を知り、聖であること――周囲から畏怖されるだけの武力、財力が、崇拝につながったことは想像に難くない。

 

 中世でも陰陽師が治水に動員されたり、修道院で鍛冶が行われていたり、また高野山と水銀の関係、鉱山や大工の守護聖人など、迷信や精神的活動と考えられてきた信仰の人びとと、工匠たちの技術は近いところにある。しかしそれゆえに、職能集団どうしの対立は激しく、またヒエラルキーの問題から、現代にいたる深刻な民族差別などの遠因となってきたことは否めない。

 

 推論が粗雑で(このブログのように)、史料的にふさわしくないものでも、この「工匠文化」の眼鏡を通して観れば、また違った読み方ができる。 ブログの文章をまとめ、順次史料集を制作していきたい。協力者も募集中である。

 

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