マツノヤひと・もよう学研究所

独断と臆見による人文学研究と時評

眼のシンボル、邪視と癒しと冶金文化

 「産業革命、啓蒙革命によって失われたもの」というと、精神的な荒廃、そして公害や環境破壊というペシミスティックな側面が強調されがちである。これらを克服するために、例えば柳田国男は民俗的な伝承を守り伝えようと努力したし、南方熊楠は鎮守の森の保護運動を進めたし、鈴木大拙は禅や浄土思想など神秘主義の弁護をすすめた。西欧でも同様なロマンティシズムに衝き動かされた人文運動はよく見られる。

 

 しかしながら、こうした保護活動と同時進行で、説話と民俗、産業以前の生業が維持してきた緊密なネットワークが、細分化された学術研究によって断ち切られ、あるいはほとんど全容がつかめないようになってしまった。記憶として消えかかり、散逸しつつあった文化を文字に遺すという莫大な業績はまことに敬服すべきものではあるが、残した宿痾は根深いものがある。

 

 「冶金文化」といまのところ総称している、鍛冶や鉱山師などがかつて有していた鉄、銅の鍛造や鋳造をはじめ、水銀による鍍金や炉にかかわる送風などの知識(たたらや自然の風)、天文観察や土木工事、治水などを含めた技術の総体は、それを伝達、伝承するための語り物などの祭祀芸能と不可分であった。規模そして実情のあいまいな「農耕民俗」としてひとくくりにされ、「かたられる」起源をそのまま歴史に当てはめてしまったところに歪みが生じている。

 

 おぼろげな神話の類型とともに、安楽椅子の上で組み立てられた「農耕民俗」の理論は、「精神」という、きわめて不可解な根源を見い出すだろう。古典教養の指し示す、「素朴で無知な」農民たち、牧人たちへの書生じみた憧憬が、経済や政治にまでまとわりつき、いったい何人の人間を殺してきただろうか?抹殺してきたのは人間ばかりでなく、神話や習俗についての解釈もまたそうである。文化の根底に横たわるグローバリズム共時性が、国境や学問の領野によって分断されてきた時代であったといえるだろう。

 

 さて、本題の「目」についての習俗であるが、日本では鍛冶にまつわる神は一つ目だったり、目を傷つけてしまったといわれている。ギリシア神話の鍛冶の巨人キュクロプスとの共通性はしばし指摘されるところであるが、古代ギリシアと日本という時も場所も遠く隔てたミッシング・リンクを埋めないと、不誠実であると言わねばなるまい。

 

 窪田蔵郎はシルクロードの産鉄技術を探査した。藤野明の「銅の文化史」という著作でも、一帯のブロンズにまつわる技術の変遷が詳説されている。この広域に共通する文化を洗い出せば、鍛冶とともに伝わった伝承の見当をつけることができると思う。

 

 ギリシア小アジア、ペルシアにかけて、盲目に対する癒しについての信仰だったり、逆に邪眼への恐れが点在する。ゴルゴンは目を合わせたものを石化させる。詩人ホメロスは盲目と言い伝えられてきた。壁画に描かれた悪魔の眼は意図的に削り取られる。眉が白く「四つ目」に見える犬が死の象徴とされる。さらに古代中国では巫女の「視力」を際立たせるために入れ墨を施したことが、漢字の字源からも明らかである。

 

 鍛冶と一つ目、あるいは盲目のかかわりについて、炉を見つめ続けて視力が悪化した鍛冶たちを、神の表象に投影したという単純な理由付けだけでは説明が難しいのではないかと思う。炉を運用するにも、自然の風を利用するにも、季節や天候の見極めが肝心となる。天文観察は不可欠なものであっただろう。視力が弱まり星が見えなくなることは鍛冶の頭目にとって死活問題であったと考えられるし、星自体が「目」とシンボライズされたとも推測されよう。兵器が生産される季節に瞬く星々は紛れもなく「不吉」である。

 

 中世教会の装飾におけるユダヤ教の擬人化、「シナゴーガ」も盲目、あるいは目隠しをされていた。これには聖書の典拠があるとされるが、もしかしたらキリスト教社会でユダヤ人が鍛冶を担っていたことにも由来するのかもしれない。聖書内のイエスの癒しにかぎらず、巡礼におけるさまざまな奇蹟にも、盲目が癒される効験があらわれている。私はこれについて、中世の職人のなかには土地土地に「ウェールズ人」や「ザクセン人」と呼称される異邦人の職人が存在したことを含め、流浪の職人たちのなかには目を病んだ鍛冶がかなりいたのではないかと考えている(そして聖職者がプロパガンダを行うのとは裏腹に、かなり境域的にユダヤ人社会と接していたのではないかと思う)。

 

 盲目の鍛冶と、それを補佐するべき邪視を持つ巫女(遊女もいただろう)はセットとなり、次代の鍛冶たちのために知識を授けることになっただろう。地中海に広くみられる叙事詩や牧歌の語り伝えは、のちに「秘密結社」と呼称され、さまざまな霊感主義と憶測を生むことになるギルドによる秘儀伝授へと姿を変えていく。ヘレニズムやシルクロードといった交易が活発になった時代(とくに奈良時代)を介して、これらのオリエント的伝統は琵琶法師と白拍子たちの軍記語りへとローカライズされていった。

 

 そこには「舞」というファクターもある。ヘファイストスをはじめ鍛冶神の足の不具性もよく語られるところであるが、そこにはたたらの鞴を踏む模倣も含まれているのではないかと思う。反閇、禹歩などの道教由来の芸能も然りである(老子西遊記のなかでは鍛冶神として出てくるという、入谷仙介『西遊記の神話学』)。禹王と言ったら降雨や治水に関係が深いとされているが、ことに日本国内では「あめやみ」と「めやみ」のご利益は混同される傾向にあり、また語呂合わせだけでなく悪所の巫女と鍛冶は表裏一体を成すものである。この二つのあいだにはさらに「蛇身・竜」「河や山の境界、境界を維持するための土木治水」などのシンボリズムも介在するが、ひとまず措いておく。

 

 走り書きになってしまい、本題の邪眼についても不勉強で薄くなってしまったが、邪視と冶金文化の行われている地域を重ね合わせてみると面白いと思う。