マツノヤひと・もよう学研究所

独断と臆見による人文学研究と時評

魂、精神、真理という隠喩:物語ることについて

 魂は実在しない、精神は存在しない、真理は人それぞれだ……という達観した論はまことにありふれている。身の回りのものが、目に見えたり、手近に扱えるような事物でないと安心できない「心性」がある意味浸透してしまっているのかもしれない。

 科学の発達が自然現象をある程度解明し、また経済の発展が自由と民主主義を再生し、人びとを同じ議場に立たせた。しかるにそれらの社会的意義は「分からない」ことを分かち合い、より有用な知を共有するためであるのであって、「分からない」ことを隠蔽し、無関心や冒頭にあげたようなニヒリズムを醸成しながら、大学や議会をだましだまし生き永らえさせることのためではない。世界大戦という危機が学問の基礎にもたらした不確実さと同じような問いを、この世界「感染」の危機に投げかけてもよいだろう。

 

 古代・中世の知的遺産をどのように整理するか。政治的な脱植民地化はなされても、思想の地図には近代に引かれた国境線がいまだに幅を利かせている。どこどこが何を発明したとか、何々はどこそこにしかないとかいう文明史観に抗して、オリエント、エジプト、インド、ギリシア・ローマ、ペルシア、中国それぞれの領域の知が交じり合わないとできない研究がある。

 ユーラシア全土にみられる「真理」の探究のいとなみは、おおくの事物にみられる、「エッセンス」を抽出する生産過程の模倣である。鉱石や香木、あるいは穀物から金属や香料、アルコールなどを発見し、交易し、供犠にささげるサイクルは、精神と物質、宗教と経済といった見かけの区分を作り出しながら、文化を機能させてきた。

 人びとは移動を続けながら、その生業たる「エッセンス」に適した環境をそれぞれ見出し、聖域として運用しつづけている。定住や都市国家という括りはこうした「巡礼」の副産物である。いつしか「エッセンス」自体が社会構造ないし環境に適用され、信仰やヒエラルキーを形作ってきた。その伝達、伝承に役立ってきたのが「ことば」であり、それを記録するための「文字」である。

 

 「物語る」という行為は、「エッセンス」を鋭敏に見出すこと抜きには持続しえない。偶発的に出たことばであっても、意味を持って「しまう」のが物語るという行為なのである。多義性を獲得し、エッセンスが複雑に絡み合うことで生き延びてきた物語はあるが、エッセンスを喪ってしまえばその意味は途絶えてしまう。

 

 学問が不要なものと見なされているのであれば、学問を維持してきた共同体が「エッセンス」抽出において機能不全に陥っていることの証左である。科学や経済が発展することで、「エッセンス」たる事物を苦せずに獲得する安逸をむさぼってきた反動かもしれない。そしてそれは、階層秩序が均一となり、数値化されるものにしか目が向かなくなった社会の如実な反映である。そのような時代に、「エッセンス」は不健全な精神論として先鋭化してしまったのである。