マツノヤひと・もよう学研究所

独断と臆見による人文学研究と時評

西洋の水銀朱伝承

 インドや中国に比較して、ヨーロッパの古代・中世における金細工や鍛冶の歴史の追跡は困難である。一応水銀によるアマルガム技術は遅くても紀元2世紀のローマに存在していたといわれてはいる。

 思うにそれは金属加工の技術が「悪魔」と結びついていたこと、ユダヤ人やロマ(ジプシー)などのアウトサイダーとの繋がりなどにより記述されることが好まれなかった経緯があることが予想される(私は鍛冶や採掘を担った人びととして、おもにオリエント系の語彙を織り交ぜたペルシアやトルコ系の人びとや、長江流域から紅海地中海を往来したインド系の人びとがいたのではないかと推理している。同時に傭兵や芸能を担うことにより、かれらの持つシンクレティックな信仰、俗にいう「枢軸宗教」の元になったものやクレオール的な言語は、日本語だけではなくアフリカを含め世界的に影響を及ぼしているのではないだろうか)。

 神話学や民俗学も、「原始的な農耕社会」を中心にモノを見ているため、日本と同様に後世「異教の豊饒の予祝」などと解釈された事例が当然あるだろう(そもそも日本の民俗学自体がドイツの民話学や神話学の影響を多大に受けている)。ゆえに本稿の記述は、鉱山などの位置と、日本や中国、インドの事例を基に類推、予測した仮定にすぎない。取り急ぎ蒐集した成果をまとめているに過ぎないので、乱文となっているのをご容赦願いたい。

 

東欧・中欧……吸血鬼と水銀

 吸血鬼はポルフィリン症患者であるという話がある。ドラキュラのモデルとなったヴラド・ツェペシュポルフィリン症とする篠田達明『モナ・リザ高脂血症だった』(新潮新書)を読み、漠然と納得したまま過ごしていた。しかし吸血鬼伝承というのはブラム・ストーカー以前にも中欧・東欧各地に語り継がれており、ヴラドはモチーフの一つにすぎないのだという。ルーマニアトランシルヴァニアの人間は、吸血鬼目当てで来訪する観光客がさながら「日本にニンジャが今でもいる」と信じている外国人観光客であるかのようにウンザリしながら見ているらしい。しかもヴラド3世は国民的英雄なのだから、「織田信長ニンジャ説」みたいなちぐはぐな感じなのだろう。

 この度平賀英一郎『吸血鬼伝承』(中公新書)を読み、真言宗の土砂加持や、馬王堆などの古代中国の水銀による遺体の保存を連想してしまった。前者は白色の砂であるが(錬金術では賢者の石の白色化が可能であり、また日本でも伊勢おしろいなどの利用例がある)、死者に振りかけると死後硬直がとけぐにゃぐにゃになる。後者は液体の水銀であるが、2000年以上前の遺体を劣化させることなく保存することに成功した。

 人間の血を吸ったり、牛馬を襲い乳の出を悪くするという魔女に似た被害も報告されている。血との結びつきであるが、神武天皇の東征ではエウカシの討伐で血まみれになった「血原」の伝承が大和の水銀産地として著名な宇陀に残されている。また、水銀自体がペルシアでは「龍の血」と見なされてもいる。

 吸血鬼が赤ら顔で、生きているかのように体を動かし、枕もとの土を持ち去られると退治されてしまうといった伝承には、前述のお土砂や古代中国の例のほかに、古墳内の朱(ベンガラもあるが)の散布を思い浮かべる。騎馬民族征服王朝ではないが、吸血鬼伝承のひろがるバルカン半島やロシア周辺には、クルガン文化などのスキタイ文化圏や、金細工で有名なトラキアなどの古代文化も多く、すくなくともイランや中央アジアあたりまではステップやシルクロードを通じた交流があったのではないかと推測される。そこからは中国・朝鮮経由でつながりがあってもおかしくはない。

 世界遺産スロベニア・イドリヤ水銀鉱山やマケドニアのパンガイオンなどの金鉱山もあることから、アマルガムによる金メッキ技術が早くから存在し、その副産物として水銀朱を用いた死者の祭祀が行われていたという仮説を立ててみる。または、安直な合理化かもしれないが、工業的な水銀利用の弊害として、人間や家畜に被害が生まれていた(骨のない奇形の胎児も、吸血鬼に結びつけられている)ことも考えられる。吸血鬼の噂がヨーロッパを席巻しはじめた17世紀から19世紀は、工業化の進展により金細工の調度品の需要が市民まで広がっているはずである。東欧の金の産地や水銀鉱床などでそのひずみが生まれていたのかもしれない。あるいは、この地帯に設けられたペスト防衛線で用いられていたと予想される水銀薬の可能性もある。そしてそれは、ユダヤ人や金細工や鍛冶を生業とするロマ(ジプシー)などの迫害に結びつくこととなったのだろうか。

 

西欧……聖者崇拝と水銀

ドイツ

 魔女や狼男(犬頭人)の存在を通じて、東欧の吸血鬼伝承と非常に近い論点を持っている。ドイツにはオットー王朝からつづく古都ゴスラーを擁するランメルスベルクなどの銀の鉱山があるが、水銀が産出したかどうかは不透明である。いちおう近世にはアグリコラの『デ・メタリカ』で水銀について記されている。パラケルスス先行者の幾分寓意的な錬金術を批判的に摂取し、「硫黄、塩、水銀」を主とした人体錬成を論じた。ユングなどの精神医学にも多大な影響を及ぼし、河合隼雄による日本神話の心理主義的な解釈も試みられている。

 

フランス

 水銀については、二コラ・フラメルなどの錬金術を除けばおそらくルネサンス以降の化学研究にしか出てこず、資料としては僅少である。

 フランスには鉱山がないと思っていたが、かつての火山の跡にル・ピュイ(ラテン語の高山、Podiumに由来)があり、そこには「熱病の石」とよばれる巨石信仰があったりする。メリュジーヌ伝説などという蛇女の崇拝は、たとえば中国の竜女などと比較できるなど、十字軍時代の東西交流をうかがわせる伝承に満ちている。また、古代のドルイド信仰に由来する樹木や聖泉の信仰が点在し、その多くが「聖母マリア」に結びつけられている。一方でヴェズレーにはマグダラのマリア(マリー・マクダレーン)の聖遺物があるとされた寺院があり、サンチャゴ・ラ・コンポステラへの巡礼路の起点となった。

 

 ここで問題となるのが「黒いマリア」をはじめとする教会の装飾である。黒いマリアへの崇敬はスペインや南仏に広がり、南仏トゥールーズでは「El Daurade(黄金の)」と冠され崇敬されている。異教時代のイシスやパラス・アテナへの崇拝が流入した、と考えられていたり、錬金術との関係を論ずる文献もある。

 中世から伝わる代表的な金細工としては、聖人が象られ、金で装飾された聖女フォワ(フィデス)の聖遺物箱があげられる。聖人の伝承地からコンクの町へと盗まれた曰く付きの品物である(盗みが成功すれば、聖人の意志とされ正当化される)。これが金鍍金かはわからないが、当時の口碑ではこの聖女は「金や宝石で身を飾ることを求めた」という。

 

 毘盧遮那仏大日如来)とマリア崇敬の交錯といえば、日本のキリシタンであり、形骸化、歪曲されていることに失望した宣教師もいたとのことだが、もともとこれらの「神格」は、たとえばヘレニズム時代のペルシアやアレクサンドリアでは似たような「女神」崇拝だったのではないだろうか。イスパニアや、マッサリアなどのガリア地域では熱烈なマリア崇敬(そして聖女崇敬)として分化し、シルクロードの摩崖仏などではヴァイローチャナとして表現された。

 

 12世紀ルネサンスの時代、フランスにおける「行基」「弘法大師」ともいえる建築・美術の大立者といえるシュジェール(スゲリウス)は、寺院の改築や装飾を進めた。一転して世紀末に南仏を中心にカタリ派の弾圧や異端審問がおこなわれたのは、交易の要衝として王たちに重視されただけでなく、鍛冶などの悪魔的な技術が危険視されたのではないだろうか。

 

 スペイン・イタリア……採掘地と古代錬金術

 イベリア半島はローマ期から続くアルマデンを擁し、イタリア半島ではトスカーナ地方に水銀鉱山があったらしい。前者はイドリヤと並びハプスブルク家の発展を支えたといわれる。両者ともにイスラームとの交易や戦乱による領地奪回により古典の翻訳活動が活発に行われた地域である。ギリシア錬金術のソシモスや、アラビア錬金術ジャービルなどの翻訳により、「硫黄と水銀」の割合によって好きな金属を錬成する、という典型的な錬金術観が生まれた。

 染織の顔料としても水銀朱は用いられたようである(未確認)。

 気になるのは、中国の偽書的な道教文献で、「ローマ(大秦)」が道士達のユートピアのように描写されていることである。それが「秦」という名前に引っ張られた勝手なイメージにしても。なお、ローマ教皇には金の薬としての服用例もみられる。

 しかしながら、実際的な金細工や鍛冶を担っていたのは、スペイン系のセファルディムユダヤ人ではないだろうか。上の地域とくらべて、水銀鉱山などの証拠はあるが、鍛冶などの実態が分からないので、いずれにもましてアヤフヤである。

 

 錬金術と煉丹術、そして仏教や日本神話の一部には「神秘的な和合」やシャクティ(タントラ)、そして「昇仙(ときに白鳥などへの変化がともなう)」などのよく似たイメージが存在する。さらに、各地域の神話に観られるさまざまな類型などをつらつら見るに、交易圏を行き来した「説話」の断片、具体的にそれは「鉱石採掘や鍛冶技術の伝承」がふくまれているように感じるのである。従来これらはおもに農耕の予祝や人間の家畜支配などを説明すると考えられてきた。もちろん、そういう農耕的な発想が採掘や鍛冶に適用されたと考えることができるが、むしろ逆に、狩猟や採掘といった遊牧から、定住農耕社会へのローカライズされた知識が生まれた、とも解することができると思う。そしてそれは、「死と再生」(呪い殺すことと金属の毒性の「無毒化(キリング)」、そして薬効による長寿延命と再生が、季節の再生と同一視されたのだろう)を通じた祭祀芸能の発達や、王や聖職者の権力基盤、そしてノマドとなった鍛冶師や鉱山師の「特権」とも結びつくものであった。これらの中心に水銀朱と金を置くことができるのではないか。