マツノヤひと・もよう学研究所

独断と臆見による人文学研究と時評

「染中」時代の自覚

 新型コロナウイルス肺炎は、新時代の「戦争」を我われにもたらしつつあるように思う。

 

 ここまで至る現代日本の前史として、第二次世界大戦「戦後」の時代は、バブル崩壊から阪神淡路大震災東日本大震災を経由した「失われた20年」で一区切りを迎えた、と考えてもよい。日本人の思考のパラダイムも、個人の生活の量的、質的向上のために政治に参画するという志向から、景気や災害から生活を防衛するために政府の対応を要請するという志向へと、徐徐に移り変わっていった。そこに、少子高齢化の進行、グローバル経済の進展と観光立国構想、そして対外孤立主義等々と、さまざまな要因が相俟って、目に見えない戦争の構図を形成していく。

 これは国家主導で化学兵器核兵器で敵国を蹂躙する、近代的かつ国際法的な戦争ではない。国家はむしろ舞台装置に退き、武力なくして人を殺しかねない戦争である。すなわち、国内外の対立構造が「情報」を引き金に煽動され、必要とする物資や金融が行き渡らなくなる事態である。

 国内の経済的、政治的対立が内戦を引き起こすのはままある話である。国際間の戦争もまた然りである。しかしながら、現在進行中の現象は、グローバルな「情報」の循環によってどこでこうした閉塞が起こるかわからない、さながら無差別爆撃のような状況を呈している。

 現にフェイクニュースやファクトチェックという、「染前」あれほど叫ばれていた問題提起が、この騒動によって雲散霧消してしまったのである。出所不明な情報がネットニュース、ソーシャルメディア、マスメディアとロンダリングされ、国の政策決定にまで影響を及ぼす。棚上げにされた情報のクオリティの問題は、ウイルス感染対策のみならず、「染まる」こと全般、ことに情報利用という「染中」時代の生存を脅かすこととなるだろう。

 

 ここで気がかりなのは、日本人の戦争観が70数年前のままストップし、いびつに増幅され浸透していることである。現に社会が「コロナウイルス憎し」と、鬼畜米英のように被害者ぶり憎悪を募らせたり、自粛、閉鎖、疎開という統制へと傾きつつある。「戦い」という声も聞かれるが、我われが立ち向かうのはウイルスではなく、サーバーから世間へと、野放図に解き放たれた情報なのである。

 戦中からまるで更新されず残った精神論、高度成長期の東京一極集中に端を発する日本全体の政情にかんするマスコミの無関心、現代的な老人対若者、東京対地方等々の対立煽りが脅威となる。政府の出す指針を待ち信じていても、大戦の二の舞を踏むだけである。

 

 前時代考えられてきたような「悪」との戦争ではないのである。「良かれ」と情報を拡散する行為こそが事態を悪化することを見据え、しずかに染後の社会を思い描きながら行動することが求められるだろう。

生の終着としての道具と道具への執着としての生(フェティシズム)

 「史実」とはいったい何を指すのだろうか。考古学的な発掘がすなわち歴史的な実在を証明するのだろうか。科学的な年代測定で有史以前の世界を描くことが出来るのだろうか。多くの論考は「史実」かどうかに拘るが、その拘りの淵源を追究する研究者はあまりにも少ない。

 

 科学的な研究は一種の演劇である。これを一概に虚構であるといいきるのはナンセンスであって、物語ること、演ずること、扮することが「実在」たりえるのである。考古学的な発掘、民俗学な見地は、数多のコピー、ヴァリアントのなかのひとつの実在を指し示す。ただしそれが研究者が探し求めるような原初の「実在」であるかは、物語への没入という「信仰」、そして物語が受け手に約束する社会的な「信用」といった別問題との混同をひきおこす。

 

 語源や神話といった個々の物語と、言語の成り立ちを同列に扱うのもこうした混乱につながる。言語は人びとが交わるために混じりあうものであり、純粋かつ一意的な概念や相承関係を夢想するのは、実在の研究ではなくもはや実在的に物語ることにすぎない。

 たとえば、日本語の起源について論ずるとき、研究者は日本語を「かたる」。ある時代の、ある地域の日本語の生成についてかたることは可能だけれども、他の学問との連関は、(参考文献とかの引用を除けば)不明瞭だし、決して望まれてはいない。それでも、日本語についてかたるかぎり、同様の実在的な日本語研究者の審判にさらされるのである。

 そうなれば、日本語という通史的物語にまつわる深読み、荒唐無稽さ、不毛な詮索をふくむ議論のうちに、その論考が本来実現したかった学的探究が損なわれることとなる。「史実」のフィルターで濾し取られる(大概はこの過程が研究とみなされる)実在的な物語と、物語の実在の研究はかように似て非なるものなのである。

 

以上の物語観をもってすれば、出土品や遺跡、そして史料や美術として研究され、いまなお我われの傍らにあって欲望の顕現に一役買う「道具」が担ってきた社会的な意味合いを解することができよう。

 古くから、衣食住のさまざまな機能として植物や動物を利用するため、道具が用いられている。それらはわれとなんじの生死の境界を画定するがために、聖性を持ち続けているのだ。生の終着(determination)としての道具は、擬人化を経て執着の対象に供される。それらは模倣と消費が続くことで、そうした終着としての認識が和らぎ、不特定多数の欲望の代替品としての役割を獲得する。

 以上のメカニズムの代表たる存在が貨幣、そしてその基礎となる数や文字記号である。摩耗した役割から終着としての役割を見ればそれは奇怪な呪術にほかならない。しかしながら、視点を変えれば、貨幣や文字記号が単なる事物の「かわり」としか認識されていないのが却って問題なのである。それらは本来、物語られ、演じられ、扮する「身代わり」「変わり身」の道具として、生死のはざまに潜んでいたはずなのだ……

「知性」学の現在のために

 植民地時代、ヨーロッパの国々は陸上海上を問わず区画し、みずからの領土を拡大していった。「探検し、地図上に線を引く」冒険譚と地政学によって、国際政治が展開されることとなる。

 その後の戦争、独立、グローバル化によって、地理上の国境はなくなるかのように喧伝された。しかし孤立排外主義の蔓延、そしてコロナウイルス肺炎による「封鎖」に見られるように、それはひとときの幻想にすぎないのである。表面的なコロニアリズムは政治的努力で克服しえても、社会的なシステムや、精神や理性や美といった個人的なメカニズム、そしてそれらの根本に在る人文学、学問が停滞しているからである。

 

 人文学は啓蒙理性の普及により宗教や信仰から切り離されたことで、存続する基盤は脆弱なものとなっている。「大学」「アカデミズム」の外に知られることのない叡智は、学問に社会の循環をはなれた孤立排外をもたらすことで、さらなる物好きの趣味へと堕している。出版もマスメディアも学問を見捨て、実際的な知による営利を追求するようになっては、「高等教育」という栄誉だけが実質社会と学をつなぐ架け橋なのである。

 高等的な知識のもとに群がる、ソーシャルネットワーク上のつながりとてその誹りをまぬかれえない。世間の耳目を集めるような「バズり」中心では、新奇に見えても旧弊で不確実な情報が氾濫することになる。

 それでは、なぜ人文学は食えないのか。一般的に社会に必要とされる物質的な技術や知識の習得が優先され、思弁的な精神や理性、美の研究は二の次だと考えられている。それだから、というべきか、たかだか二百年程度の流行ものにすぎない、「民族性」や「国民気質」、「天才」、「心」といった精神の虚構に手間取ることとなる。

 美や理性において精神の優劣に拘泥し、その中で病的な精神を排除する差別的なシステムがまだ通用する。それどころではなく、人文学研究自体がこの蒙昧にとらわれている。こうした精神のブラック・ボックスの中身を予想するのにこだわる傾向は、しぜん学びにおいても外界の交流に着目しない内向きの風土を作り出す。精神の分析等々による、歴史的「起源」「根源」というフィクションは、いくらでもこじつけられるのである。営為、交流の歴史こそ求められるべきだと、私は考える。

 

 私は精神や心は「ある」「なし」ではなく、その表現の背景に潜む「隠喩」をたどる必要があると考えるし、「隠喩」の背景にある人びとの交流の諸相を探究したいと思っている。外形としての言語構造も内容としてのロゴスの権威や信仰も、分け隔てなく書物から探り、口承時点の「グローバル性」(従来人類学的に捉えられてきた「普遍」)として観たいと画策している。

 その先駆けとして、伝承の類型がなぜ生まれたのか、風土環境や天文歳時などの信仰の背景を考えたり、心とされるネットワークの起源にある詩的文学、労働歌謡や錬金術、呪術などの再解釈を行ってきたわけである。避けてきたオカルトや大語族、安易な民間語源や民族同源論に陥りがちではあるが、これらの領域をアップデートすることで見えてくる事象があるのだと思いながら、読書の日々を重ねている。

 ちなみに、最近のトレンドは仏教西アジア起源論と密教錬金術です。

伝説リバイバル考:オオクニヌシ、祝融、海洋交易

 前日に引き続き、斜め読みの成果を。

 

 大国主祝融、蚩尤の関係性については、梅原猛がもう創作で行ってしまっているらしい(何を考えても二番煎じになるのは悩ましい)。それはともかく、八十神のような兄弟神を持っていた祝融や蚩尤の記述、そしてかれらの先行者である薬祖神農と、オオクニヌシの治療神たる性格(国主=くす、くず)の類似は、中国南部、朝鮮一帯の医薬(くす)、鍛冶(金くず)の連関を見据えるばかりでなく、遠方との交易を通じた説話の連環を感じずにはいられない。

 

 祝融、蚩尤が伝達されるにあたり、日本では主に2系統の信仰、祭祀に分化したと私は考える。前に述べたように、それはオオクニヌシという国造りを担う巨人と、スクナヒコナという賢明な小人といった、「万歳(漫才)」の源流たる祭礼である。

 ひとつは弓月君(融通王)などが伝達した祭祀芸能、融=熊(ユウ)にまつわる信仰である。かれらは隈地に居住し、自らをクマノ、クマソ、オシクマ、オオクマといった武人に擬し、猟や戦乱を演じたのだろう。この系譜を継ぐと考えられる弁慶は、熊野別当を父に持つ。伝説の猟師磐司磐三郎の影に隠れたマンジ、ムチという巫女への崇拝も、ここに入れてもよいように思う。

 もうひとつは石神崇拝である。磐座やミシャクジ(杓子や杓文字が宛てられることもある)、道祖神歓喜天、田の神、山の神、庚申待などの習慣が混在する「石」の崇拝は、おおくが陽根や女陰を擬したものである(大分単純化しすぎかもしれぬが)。これは単なる猥雑な崇拝ではなくして、おそらく薬や金属を錬成する器具、一般化すれば、「臼と杵」への信仰である。

 以上の信仰と、諏訪のカエルにまつわる神事、そして因幡の白兎の説話から断片的に類推するに、「月」と仙薬の錬成にまつわる伝説が祝融オオクニヌシスクナヒコナ崇拝の背景にあるのだ。団子や餅を供え、モチ月を鑑賞したり、月マチをする習慣はここに起因する。

 なぜカエル(アシハラノシコヲの名前は、蛙の名称なのではないか)とウサギが月で霊薬を搗いているのかといえば、より上位の捕食者「蛇」の脱皮、再生を促すためであろう。しかも夜刀神のような角の生えた蛇である(鬼のような見た目の角大師のモデルがあるのではないかと考えている)。吉野の蹴抜塔などは、山伏が蛇として再生を追体験する場であった。嫦娥に象徴されるような巫との交歓を通じ、武士や皇族は王としての「癒し」の力を手に入れるのだ。

 これらの信仰の様態は、ただ日本・朝鮮・中国に存するものではない。海伝いに、インド洋、紅海、地中海を経て、イベリア半島ケルトの地まで広がる信仰があると思う。「貝」が染料にも貨幣にも食料にも用いられるような経済圏の、黒い女神の崇拝である。そこのつながりから見れば、日本語タミル語説も、案外的を射ていたのかもしれない。

 たとえば熊と狩の女神、アルテミスなどが念頭にある。しかしながら、黒い女神の崇拝は、母子神、八幡神神功皇后や山姥と金太郎などと比較しなければならないのかもしれない。それでも、神功皇后が石を括り付け出産を遅らせたように、石や蛇や狩りや鍛冶には近接した信仰のように思う。もしかしたら、「邪馬台国」(宇佐にあったという説を目にし、思わず首肯してしまった)の女王の伝承も、魏晋南北朝時代の女神崇拝の一変種だったのではないだろうか。

 

 そしてそれは、海人が故郷においてきた妻子を懐かしんだ、労働歌の幻影なのである。農民の祖先祭祀や、ギリシャ、ローマ、オリエントからシルクロードを旅する父子の威厳ある神の法と、対比することができるだろう。

伝説リバイバル考:水神としての詩人と蛇神

 ことばは境界をつくりだす。ことばによってかたどられた事象は、それが伝達、伝承されるかぎり永遠の記憶となりうる。ゆえにことばを用いる祭祀儀礼は(もともとは同調(Harmony)を必要とする労働が原型なのかもしれないが)共同体の中枢としてさまざまに活かされ、書き留められることとなった。

 やや時代が下ると、「抒情詩」「叙事詩」「叙景詩」は国家の形成とともに共通のトポスを獲得し、祭祀の場をはなれ、一般的、通俗的な物語へと変化していく。それに伴い、語られる対象も「理想的な」神話の神々から、いつ、どこを生きたのかが明らかな歴史的人物や、無名の「民衆」「妖怪変化」へと移っていくだろう。しかしながら、それは全く異なる物語の型を創造するものではない。交易路に沿って形成され、なにがしかの存在を物語るという「劇的な」行為は、そうしてさまざまな変貌を遂げながら受け継がれていくというのが、当研究所の『伝説リバイバル考』のスタンスである。

 

 ここでは、歌人・詩人が古代の祭祀階級の面影を残しているものという推測は(おそらく当を得たものと思うが)あえて避ける。しかし、大陸の詩祖である屈原李白、日本の歌人のはじまりともいえる人麻呂が水死したという伝承は、たんなる荒唐無稽な作り話などではなく、たとえば最古の和歌を残したとされるスサノオが海神(暴風の神)とされ、川の象徴たる大蛇を退治するといった伝説の系譜を引いているのではないだろうか。そして祭祀とかかわりがあったであろうその伝説は、蛇女や遊女とされた河の女神とほんらいはセットとなっていたのではないだろうか。西洋のメリュジーヌ伝説の韻文ともかかわりがあるのではないかと、私は考えている。ケルトやゲルマンの古伝説や、十字軍時代のペルシア文化との混淆を想定している。

 ここで思い出されるのは、落語の「千早振る」である。在原業平の歌の民間語源解を通じて語られる物語は、遊女千早が落ちぶれ、以前振った元相撲取りの豆腐屋竜田川のもとに「おから」を物乞いに来るが、断られ井戸に入水を遂げるという筋である。無知の滑稽さで覆い隠してはいるが、水神の巫たる遊女と歌人の恋、そして死をこの歌と結びつける解釈は、江戸時代以前からあったものかもしれないと私は勘ぐっている。落語は聖職者、祭祀者の説教から生まれた話芸である。その道化的笑いの中には、権威たりうる聖性が見え隠れするのではないだろうか。

 火のないところには民間語源は成り立たない。上に触れた「人麻呂」が「火止まろ」に通じ、火伏の神とあがめられてきたのも、こうした河の神々との同一視があるように思う。片目がつぶれていたと信ぜられてきたのも、目疾み⇒雨止みを基に反映されたものと考える。さらにこれらの俗解には下地があり、河の神のもつ性格が、たんなる農耕や治水のみならず、砂金採りや山からの物資の運搬を担う動脈たる「川」として、鍛冶などの崇拝を受けていたためでないかと推察する。かくなる崇拝は、水剋火、火剋金、金生水等々の五行理論のもとである程度の合理化がなされた。人麻呂が石見(金)で水死(水)したという伝承は、こうして成り立ったのだ。

 はるか後代の歌人西行が、女子供から歌をこき下ろされ退散するという「西行戻し」の伝承も、こうした水神崇拝の名残ではないかと思う。サコ(迫)又はサカ(逆)という地名が先にあって、そこには波ないし川が逆流した事実があったのではないか。または砂金(イサゴ)にまつわる可能性もある。その災害ないし交易の記憶が、西行の口碑として象徴的に語られてきたのではなかろうか。

 以上、長々と述べ来ったが、何らの実地調査はなく、井本英一や大和岩雄、吉野裕子白川静、そしてシェーファー『神女 唐代文学における龍女と雨女』などから築き上げた妄想にすぎない。しかし微力ながら祭祀から文学への変化への考察に資するのではないかと思う。

 

追記:和歌と変若水、ワッカの関わりも捨てきれません。若宮や愛護の若も実は河川の崇拝が根底にあるのかもしれない。そしてその影に差すのが「松」への崇拝であります。また、「河(かは)」と「恋(こひ)」、「古井(こゐ)」の語呂も恋愛歌と河川のつながりに存しうると思います。

 行き過ぎでしょうが、ヘファイストス(鍛冶)とアプロディーテ(欲望)、クピド(キューピッド、恋)の関係性は、西欧の恋愛詩の源流もこうした河川祭祀、遊女による売春にあったのではないかと考えさせられます。キューピッドの矢と、賀茂の神の丹塗りの矢まで比較すると、木村鷹太郎的な誇大妄想なのかもしれませんが……

 

伝説リバイバル考:古代中世詩劇史論稿

とりあえず、ブログ開設以降の思考をまとめてみる。

 

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ポスト・オリエントの二つの交易路

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オリエント・ペルシア・インド北部・チベット・中国北部・朝鮮(シルクロード

ケルトゲルマニア・エジプト・アフリカ・ギリシア・ローマ・インド南部・東南アジア・中国南部・朝鮮(海上交易の可能性)

アフリカの説話も、オリエントやエジプトの神話の影響を受けているではないだろうか。

共有される情報(神話で表現されうるもの、隠喩)

農業、狩猟・漁撈、養蚕(絹糸)、金属精錬(錬金術)、祭祀芸能、酒造、政治・宗教

大黒天=オオクニヌシについて

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 純粋な神道や仏教といったフィクションではない「神仏習合」の実態を調査。「インドの知識は僧侶などエリートのもの」という先入見を脱し、海上交易などによる信仰のグローバル化をかんがえる。

 大己貴(オホナムチ・ダイコキ)という名称から展開されたであろう神話の推測。シヴァ神との習合は、たんなる語呂合わせではなく、医術神、マツロワヌ神、来訪神(まれびと)としての性格を考慮したものと考える。密教的な隠喩のネットワーク(たとえば南インドの医術など)が、道教を経由して(文字を介さず)広まっていた可能性。たとえば、万歳(オオナムチとスクナヒコナという組み合わせは、太夫と才蔵の原型に思う)や巫女(イチ、イタコ、「コマチ」もそうかもしれない)、唱聞師(大黒)といった芸能による伝達があった。

 奈良・平安時代の「グローバル社会」と、仏教説話について。行基(ギョウキ)や空海(クウカイ)の井戸掘りや宣教は、大国主(クズ、コシ)大己貴(ダイコキ)による国造りが「リバイバル」されたものなのではないだろうか。狩人や漁民といった非農耕民との交易や対立の記憶が、やがて「鬼」への畏敬へと変貌する。

 「角大師」。アレクサンドロスの「角」にまつわる説話や、モーセの「角」のような伝承は、ただの神格化や読み間違いではなく、遊行する「狩りの神」のような神話の習合を想起させる。医薬の神でもあった神々の悪魔への頽落は、性的乱倫などの象徴となる(魔女狩りの前段階)。

天神

賀茂氏秦氏の「雷神」と、菅原道真の「天神」の関係。「松王」という従者と、春日明神の「影向の松」。マツやモチの依り代としての役割。雷光と蛇。来迎や頼光の説話も考察すべし。

 

太子信仰 

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 仏教は広義の太子信仰である。王子が流浪して真理を得るというすじがきが、北インドローカライズされ、シルクロード海上交易の知を統合する。さらに、対州(単なる向こう岸から、彼岸)への渡し守への畏敬。旅は地獄という異界の隠喩となる。葬儀にかんする「清め」も考えられる。清める過程は、例えば金の採掘や砂金採りなどと重ね合わされ、「死体の黄金への変化」という説話を拡散する。錬金術への展開。四大元素エーテル、虚空などの概念を整えながら、「地獄」という精錬設備を形作っていく。中国土着の葬儀体系「儒学」、錬成体系「道教」との相克。

「化かし」考

狐狸にかんする崇拝。伯夷・叔斉、稲荷、玉藻の前、ルナール(ライナールト)狐、狐憑き。江戸時代の稲荷説話の原型を、ある種の国際的信仰と(絹交易に起因すると)考える。

サルにかんする崇拝。説話で出てくる「孫」はまごではなく、猴猻(さる)としての祭祀芸能者を指すのではないか。申楽、えてこ、いたこ……電光としての神(申)。河童駒引考のように、サルと水神、馬の組み合わせは多い。

蛇崇拝と、川に身を投げる詩人や巫女。屈原柿本人麻呂李白は、ある程度合理化された川への崇拝である。ディオニュソススサノオ以来の詩と酒との関連。

陰陽五行説

 農耕祭祀と結びついた五行。起源は戦国時代以前にもさかのぼりうるのではないか。土をQuintessenceと考えれば、水、木(風)、火、金(地)は四大元素とほぼ一致する。北辰(北極星)信仰との連関。天文学と方位である十二支との習合。それは、農耕と交易がこよみや風土への感覚を鋭敏とした結果である。

  十二支の動物と地形を結び付ける考え方もあったと思われる。虎御前や牛尾山といった地名は、アイヌ語にも保存されているのではないか、という考えを以前まとめた。(アイヌ語「起源」ではない)

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「ことわざ」や「慣用句」は、古代の信仰がこうむった変化であるし、古代中世の恋愛や戦闘を詩に表す潮流は、密教などの錬金術と切り離して考えることはできない。「西遊記」や「八犬伝」は中野美代子高田衛による研究があったように思う。「平家物語」や「太平記」などを、こうした方面から研究できないだろうか。

古代篇

叙事篇

ホメーロスとヘシオドス

聖書

詩経

神話群

抒情篇

ギリシア・ローマの恋愛詩

詩経と予言詩

叙景篇

唐詩

歌枕と枕詞

万葉から古今、新古今へ

中世篇

叙事篇

軍記物語

変容する神話と信仰

抒情篇

吟遊詩人と恋愛詩

道教神仙譚

 

叙景篇

驚異・奇跡譚

伝奇

有用性と消費、そして聖性についての考察

「人類学」的な思考で歴史や社会をごたまぜにして文化を論ずるのはあまり好みではないのであるが、すこし論じてみたいテーマがある。ゆくゆくは共時性や通時性を考察しうるものではないかと思うのだが……

 近代科学はおもに近世ヨーロッパの貴族、商人や地主たちによって意味が組み替えられてきた呪術の末裔である。近代に「未開」とされたその他の地域の呪術の思考と異なる点は、空間や時間をはかる尺度が徹底して抽象的な数や記号に置き換えられてきたというところに尽きる。数学的な秩序以外に意味をもたない数で計量し、記号により関係を論理的に表すことが、地域や時代を問わない普遍的学問としての科学を生み出した。

 ただしそのぶん、かつて支配的であった「呪術」がもっていた祭祀的要素、儀礼的要素が複雑に分化し、社会や歴史を総合的に把握することが難しくなってしまった。「精神」にかかわるような、数量化できない非科学的な問題は粗略に扱われざるを得ない。さまざまなせめぎ合いを経て、「消費社会」として構築された現代は、かくして長い間放置され、分化してきた呪術の「聖性」「権威」を統合し継承している。オカルトな疑似科学新興宗教の流行は、「見えない」科学を呪術へと再編して万人に分かりやすく共有する運動であるといっても過言ではない。その時に「有用性」と「消費」が関係してくる。

 

 近代以前の感染呪術錬金術道教は一般的に、金や仙薬の「聖性」を、身体や富への「有用性」とみなしている。それをもとに、数々の隠喩が形成され、物語や仕来たりとして伝達、伝承される。伝達される地域、伝承された時代のあらゆる事象が、それらとのネットワークによって語られるのである。ある神話の記述が、天文的な知識とも、農耕祭祀とも、精錬技術とも、王権の隠喩とも受け取れる。それは呪術の有用性すなわち聖性を権威として機能させてきた「社会」のあり方を暗示する。

 そして「聖性」の前に、数々の「消費」が存在する。この消費社会でもっとも有用なものは、貨幣や財産を多く貯蔵し、熟練した労働力を備え、勤勉かつ欲求に抑制のきく人間である。しかしながら、日常はそうした社会的な価値を摩耗させながら進行していく。浪費家、犯罪者、病人など、さまざまな類型によって消費が聖性へと関連付けられるだろう。社会における人間どうしの仲立ちとなる貨幣の流れや量も、それにあわせて変化していく。

 近代以前の呪術にも社会的な価値の消費は存在したように思う。物質も人格も、ある程度の適格性が追求され、階層秩序(ヒエラルキー)を構成した。そして仲立ちとなる米や金、タカラガイといった具体的なものから力や気、マナといった具象的なものが取引される。これらは仲立ちとしての計量可能な貨幣や数の確立につながった。

 「消費」を円滑に行い、有用性=聖性を滞りなく維持していくのに必要なのが「契約」であろう。自然に生じた消費に、「わけ」を付与し分かち合うことによって、社会に参与する人びとそれぞれに役わりが生まれる。役わりに応じた消費を課すことで、社会の安定がはかられるのだ。祭祀や儀礼などがそのロゴスの一端を担う。

 

 文化の学究にあたっては、消費や聖性によって紡ぎだされた網目、条理を解きほぐすことは容易ではない。されど言語と物語文化の連関への思惟が、その隔たりを埋めると期待している。