マツノヤひと・もよう学研究所

独断と臆見による人文学研究と時評

伝説リバイバル考:水神としての詩人と蛇神

 ことばは境界をつくりだす。ことばによってかたどられた事象は、それが伝達、伝承されるかぎり永遠の記憶となりうる。ゆえにことばを用いる祭祀儀礼は(もともとは同調(Harmony)を必要とする労働が原型なのかもしれないが)共同体の中枢としてさまざまに活かされ、書き留められることとなった。

 やや時代が下ると、「抒情詩」「叙事詩」「叙景詩」は国家の形成とともに共通のトポスを獲得し、祭祀の場をはなれ、一般的、通俗的な物語へと変化していく。それに伴い、語られる対象も「理想的な」神話の神々から、いつ、どこを生きたのかが明らかな歴史的人物や、無名の「民衆」「妖怪変化」へと移っていくだろう。しかしながら、それは全く異なる物語の型を創造するものではない。交易路に沿って形成され、なにがしかの存在を物語るという「劇的な」行為は、そうしてさまざまな変貌を遂げながら受け継がれていくというのが、当研究所の『伝説リバイバル考』のスタンスである。

 

 ここでは、歌人・詩人が古代の祭祀階級の面影を残しているものという推測は(おそらく当を得たものと思うが)あえて避ける。しかし、大陸の詩祖である屈原李白、日本の歌人のはじまりともいえる人麻呂が水死したという伝承は、たんなる荒唐無稽な作り話などではなく、たとえば最古の和歌を残したとされるスサノオが海神(暴風の神)とされ、川の象徴たる大蛇を退治するといった伝説の系譜を引いているのではないだろうか。そして祭祀とかかわりがあったであろうその伝説は、蛇女や遊女とされた河の女神とほんらいはセットとなっていたのではないだろうか。西洋のメリュジーヌ伝説の韻文ともかかわりがあるのではないかと、私は考えている。ケルトやゲルマンの古伝説や、十字軍時代のペルシア文化との混淆を想定している。

 ここで思い出されるのは、落語の「千早振る」である。在原業平の歌の民間語源解を通じて語られる物語は、遊女千早が落ちぶれ、以前振った元相撲取りの豆腐屋竜田川のもとに「おから」を物乞いに来るが、断られ井戸に入水を遂げるという筋である。無知の滑稽さで覆い隠してはいるが、水神の巫たる遊女と歌人の恋、そして死をこの歌と結びつける解釈は、江戸時代以前からあったものかもしれないと私は勘ぐっている。落語は聖職者、祭祀者の説教から生まれた話芸である。その道化的笑いの中には、権威たりうる聖性が見え隠れするのではないだろうか。

 火のないところには民間語源は成り立たない。上に触れた「人麻呂」が「火止まろ」に通じ、火伏の神とあがめられてきたのも、こうした河の神々との同一視があるように思う。片目がつぶれていたと信ぜられてきたのも、目疾み⇒雨止みを基に反映されたものと考える。さらにこれらの俗解には下地があり、河の神のもつ性格が、たんなる農耕や治水のみならず、砂金採りや山からの物資の運搬を担う動脈たる「川」として、鍛冶などの崇拝を受けていたためでないかと推察する。かくなる崇拝は、水剋火、火剋金、金生水等々の五行理論のもとである程度の合理化がなされた。人麻呂が石見(金)で水死(水)したという伝承は、こうして成り立ったのだ。

 はるか後代の歌人西行が、女子供から歌をこき下ろされ退散するという「西行戻し」の伝承も、こうした水神崇拝の名残ではないかと思う。サコ(迫)又はサカ(逆)という地名が先にあって、そこには波ないし川が逆流した事実があったのではないか。または砂金(イサゴ)にまつわる可能性もある。その災害ないし交易の記憶が、西行の口碑として象徴的に語られてきたのではなかろうか。

 以上、長々と述べ来ったが、何らの実地調査はなく、井本英一や大和岩雄、吉野裕子白川静、そしてシェーファー『神女 唐代文学における龍女と雨女』などから築き上げた妄想にすぎない。しかし微力ながら祭祀から文学への変化への考察に資するのではないかと思う。

 

追記:和歌と変若水、ワッカの関わりも捨てきれません。若宮や愛護の若も実は河川の崇拝が根底にあるのかもしれない。そしてその影に差すのが「松」への崇拝であります。また、「河(かは)」と「恋(こひ)」、「古井(こゐ)」の語呂も恋愛歌と河川のつながりに存しうると思います。

 行き過ぎでしょうが、ヘファイストス(鍛冶)とアプロディーテ(欲望)、クピド(キューピッド、恋)の関係性は、西欧の恋愛詩の源流もこうした河川祭祀、遊女による売春にあったのではないかと考えさせられます。キューピッドの矢と、賀茂の神の丹塗りの矢まで比較すると、木村鷹太郎的な誇大妄想なのかもしれませんが……

 

伝説リバイバル考:古代中世詩劇史論稿

とりあえず、ブログ開設以降の思考をまとめてみる。

 

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ポスト・オリエントの二つの交易路

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オリエント・ペルシア・インド北部・チベット・中国北部・朝鮮(シルクロード

ケルトゲルマニア・エジプト・アフリカ・ギリシア・ローマ・インド南部・東南アジア・中国南部・朝鮮(海上交易の可能性)

アフリカの説話も、オリエントやエジプトの神話の影響を受けているではないだろうか。

共有される情報(神話で表現されうるもの、隠喩)

農業、狩猟・漁撈、養蚕(絹糸)、金属精錬(錬金術)、祭祀芸能、酒造、政治・宗教

大黒天=オオクニヌシについて

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 純粋な神道や仏教といったフィクションではない「神仏習合」の実態を調査。「インドの知識は僧侶などエリートのもの」という先入見を脱し、海上交易などによる信仰のグローバル化をかんがえる。

 大己貴(オホナムチ・ダイコキ)という名称から展開されたであろう神話の推測。シヴァ神との習合は、たんなる語呂合わせではなく、医術神、マツロワヌ神、来訪神(まれびと)としての性格を考慮したものと考える。密教的な隠喩のネットワーク(たとえば南インドの医術など)が、道教を経由して(文字を介さず)広まっていた可能性。たとえば、万歳(オオナムチとスクナヒコナという組み合わせは、太夫と才蔵の原型に思う)や巫女(イチ、イタコ、「コマチ」もそうかもしれない)、唱聞師(大黒)といった芸能による伝達があった。

 奈良・平安時代の「グローバル社会」と、仏教説話について。行基(ギョウキ)や空海(クウカイ)の井戸掘りや宣教は、大国主(クズ、コシ)大己貴(ダイコキ)による国造りが「リバイバル」されたものなのではないだろうか。狩人や漁民といった非農耕民との交易や対立の記憶が、やがて「鬼」への畏敬へと変貌する。

 「角大師」。アレクサンドロスの「角」にまつわる説話や、モーセの「角」のような伝承は、ただの神格化や読み間違いではなく、遊行する「狩りの神」のような神話の習合を想起させる。医薬の神でもあった神々の悪魔への頽落は、性的乱倫などの象徴となる(魔女狩りの前段階)。

天神

賀茂氏秦氏の「雷神」と、菅原道真の「天神」の関係。「松王」という従者と、春日明神の「影向の松」。マツやモチの依り代としての役割。雷光と蛇。来迎や頼光の説話も考察すべし。

 

太子信仰 

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 仏教は広義の太子信仰である。王子が流浪して真理を得るというすじがきが、北インドローカライズされ、シルクロード海上交易の知を統合する。さらに、対州(単なる向こう岸から、彼岸)への渡し守への畏敬。旅は地獄という異界の隠喩となる。葬儀にかんする「清め」も考えられる。清める過程は、例えば金の採掘や砂金採りなどと重ね合わされ、「死体の黄金への変化」という説話を拡散する。錬金術への展開。四大元素エーテル、虚空などの概念を整えながら、「地獄」という精錬設備を形作っていく。中国土着の葬儀体系「儒学」、錬成体系「道教」との相克。

「化かし」考

狐狸にかんする崇拝。伯夷・叔斉、稲荷、玉藻の前、ルナール(ライナールト)狐、狐憑き。江戸時代の稲荷説話の原型を、ある種の国際的信仰と(絹交易に起因すると)考える。

サルにかんする崇拝。説話で出てくる「孫」はまごではなく、猴猻(さる)としての祭祀芸能者を指すのではないか。申楽、えてこ、いたこ……電光としての神(申)。河童駒引考のように、サルと水神、馬の組み合わせは多い。

蛇崇拝と、川に身を投げる詩人や巫女。屈原柿本人麻呂李白は、ある程度合理化された川への崇拝である。ディオニュソススサノオ以来の詩と酒との関連。

陰陽五行説

 農耕祭祀と結びついた五行。起源は戦国時代以前にもさかのぼりうるのではないか。土をQuintessenceと考えれば、水、木(風)、火、金(地)は四大元素とほぼ一致する。北辰(北極星)信仰との連関。天文学と方位である十二支との習合。それは、農耕と交易がこよみや風土への感覚を鋭敏とした結果である。

  十二支の動物と地形を結び付ける考え方もあったと思われる。虎御前や牛尾山といった地名は、アイヌ語にも保存されているのではないか、という考えを以前まとめた。(アイヌ語「起源」ではない)

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「ことわざ」や「慣用句」は、古代の信仰がこうむった変化であるし、古代中世の恋愛や戦闘を詩に表す潮流は、密教などの錬金術と切り離して考えることはできない。「西遊記」や「八犬伝」は中野美代子高田衛による研究があったように思う。「平家物語」や「太平記」などを、こうした方面から研究できないだろうか。

古代篇

叙事篇

ホメーロスとヘシオドス

聖書

詩経

神話群

抒情篇

ギリシア・ローマの恋愛詩

詩経と予言詩

叙景篇

唐詩

歌枕と枕詞

万葉から古今、新古今へ

中世篇

叙事篇

軍記物語

変容する神話と信仰

抒情篇

吟遊詩人と恋愛詩

道教神仙譚

 

叙景篇

驚異・奇跡譚

伝奇

有用性と消費、そして聖性についての考察

「人類学」的な思考で歴史や社会をごたまぜにして文化を論ずるのはあまり好みではないのであるが、すこし論じてみたいテーマがある。ゆくゆくは共時性や通時性を考察しうるものではないかと思うのだが……

 近代科学はおもに近世ヨーロッパの貴族、商人や地主たちによって意味が組み替えられてきた呪術の末裔である。近代に「未開」とされたその他の地域の呪術の思考と異なる点は、空間や時間をはかる尺度が徹底して抽象的な数や記号に置き換えられてきたというところに尽きる。数学的な秩序以外に意味をもたない数で計量し、記号により関係を論理的に表すことが、地域や時代を問わない普遍的学問としての科学を生み出した。

 ただしそのぶん、かつて支配的であった「呪術」がもっていた祭祀的要素、儀礼的要素が複雑に分化し、社会や歴史を総合的に把握することが難しくなってしまった。「精神」にかかわるような、数量化できない非科学的な問題は粗略に扱われざるを得ない。さまざまなせめぎ合いを経て、「消費社会」として構築された現代は、かくして長い間放置され、分化してきた呪術の「聖性」「権威」を統合し継承している。オカルトな疑似科学新興宗教の流行は、「見えない」科学を呪術へと再編して万人に分かりやすく共有する運動であるといっても過言ではない。その時に「有用性」と「消費」が関係してくる。

 

 近代以前の感染呪術錬金術道教は一般的に、金や仙薬の「聖性」を、身体や富への「有用性」とみなしている。それをもとに、数々の隠喩が形成され、物語や仕来たりとして伝達、伝承される。伝達される地域、伝承された時代のあらゆる事象が、それらとのネットワークによって語られるのである。ある神話の記述が、天文的な知識とも、農耕祭祀とも、精錬技術とも、王権の隠喩とも受け取れる。それは呪術の有用性すなわち聖性を権威として機能させてきた「社会」のあり方を暗示する。

 そして「聖性」の前に、数々の「消費」が存在する。この消費社会でもっとも有用なものは、貨幣や財産を多く貯蔵し、熟練した労働力を備え、勤勉かつ欲求に抑制のきく人間である。しかしながら、日常はそうした社会的な価値を摩耗させながら進行していく。浪費家、犯罪者、病人など、さまざまな類型によって消費が聖性へと関連付けられるだろう。社会における人間どうしの仲立ちとなる貨幣の流れや量も、それにあわせて変化していく。

 近代以前の呪術にも社会的な価値の消費は存在したように思う。物質も人格も、ある程度の適格性が追求され、階層秩序(ヒエラルキー)を構成した。そして仲立ちとなる米や金、タカラガイといった具体的なものから力や気、マナといった具象的なものが取引される。これらは仲立ちとしての計量可能な貨幣や数の確立につながった。

 「消費」を円滑に行い、有用性=聖性を滞りなく維持していくのに必要なのが「契約」であろう。自然に生じた消費に、「わけ」を付与し分かち合うことによって、社会に参与する人びとそれぞれに役わりが生まれる。役わりに応じた消費を課すことで、社会の安定がはかられるのだ。祭祀や儀礼などがそのロゴスの一端を担う。

 

 文化の学究にあたっては、消費や聖性によって紡ぎだされた網目、条理を解きほぐすことは容易ではない。されど言語と物語文化の連関への思惟が、その隔たりを埋めると期待している。

精神というフィクション――劇的詩学序説

 言語はもともと集団の生、祭祀儀礼のためのもので、個の領域はその派-生である。

 

 自然に適応するための労働や技術のために「詩」があり、そこから空間や時間のための思考、「風土」や「こよみ」の知識の蓄積も生じる。詩のリズムと表現物、そして社会的な関係は、もともと不可分に分かち合われていた。

 

 そこで数々の「劇的なるもの」が生じるのである。詩における「隠喩」という行為は、農耕と金属精錬など、異質な事物をひとつの集団語にまとめあげ、根幹を作り出すわざなのだ。隠喩による飛躍をうずめるために、神話など劇的なるものの想話がおこなわれる。

 

 劇的なるものによることばの境界画定は、おのおのの社会的関係の「欲望」を反映する。つまり隠喩は、その集団の在りように即してかたどられるのだ。擬人化はその端的な作用である。

 

 文字によるコミュニケーションは、劇的な隠喩のかわりに統一的な「精神」を必要とする。欲望は精神、心の作為として理解される。あらかじめ言語に備わった境界を、名前として所有する……これこそ「劇的なるもの」の産物なのであるが、その創造にかかわる飛躍は「原始的心性」として徹底的に作為として把握される。

 

 「精神」は論理や物理、心理といったいくつかの名前のネットワーク、制度や法則で成り立っていると自らを仮想している。「劇的なるもの」も、ある人間の作為のたまもの、言うなれば身体や脳神経の作用によるものだと錯覚する。すると言語はそれらを代理表象する仲立ちにすぎない。

 

 「劇的なるもの」は、人間の作為の「根源」を探究する学問に拡散され、「聖性」や「信仰」、それにまつわる「真理」の追究によって再建不可能となる。記号的、論理的に組み上げられた散文はリズムを喪い、表現物を粗雑に取り扱い、社会的な関係を攪乱させようとはたらく。自我という調和をかき乱すあり方は、言語をものにする過程で、なにものかの「詩」を奪取しようとする。最終的には、なにがしかの社会集団の祭祀儀礼に属することで、「劇的なるもの」へと向かっていくことができる。しかしそれを学問において再現することはまずできない。

 

 

 一般的に、学問においては研究対象となるものは研究主体の研究者よりも劣ったものであるという錯覚がなされている。どんなに平等を希求する学問でも、時間的な優劣、空間的な優劣、社会的な優劣をつけずにはいられない。エリートと民衆、近現代と古代中世には、「原始的心性」の壁があるとされている。

 しかしながら、そこにあるのは学問による、研究対象の不完全なネットワークの模倣なのである。研究対象がかつて築いてきたネットワークを再現するには、時間的経緯と空間的関係を言い表すことのできる言語体系、すくなくとも歴史がわれわれによびかける体の「現代への隠喩」「現代への欲望」は必要不可欠である。それを、学問の共同体が永続的に更新することができるかは、わずかな希望にかけるしかないだろう。

道化の権威学、さらけ出し、見られるということ

 Youtubeなどの動画文化の潮流は、すっかり我が国の祭祀芸能の伝統と習合してしまったように思う。前時代のラジオやテレビは、農村儀礼としての「万歳」の来訪や、都市の芸能としての「芝居」とを、同じく都市化で希薄となりつつあった民俗を「大衆文化」なる虚像として現出させた欧米文化を受け入れ、一大公共圏としての芸能、マスコミュニケーションとして大成させた。

 固有の名がなく、役わりとして演じられる「万歳」や「狂言」は、「芝居」を経由して、芸人や役者の個性が賞賛されることとなった。かつて信仰と不可分だった芸能の「世俗性」が強調されることは、役がらや演者の個性、人間性(パーソナリティ)の混同が起こることとなる。公と私、内と外のような、見られない「プライバシー」の領域の保全を求めるのである。こうした意識は、内省的な記録を通じて、近代市民に刻まれることとなった。あるいはギリシア・ローマのストイシズムから立脚するともいえるだろう。しかしそれでも演劇観ありきの反抗なのである。

 劇では道化を演じていても、現実は道化を演じたくはない。そうした人間を古来から制裁してきたのがシャリヴァリなどの民俗文化である。プライバシーをあえてほじくる「炎上」や「晒上げ」のような現代的な運動も、この系譜に属する。しかし社会的な制裁はすでにシャリヴァリのように道化的な恥辱によって罪を清め「帳消し」する作用ではなく、道化を「排除する」意識へと向いている。動画文化も、道化を演じ、生活をさらけ出すように見えて、厳格な公私の線引きを行っている。排除を恐れているのだ。

 「見られ」、生活様式として模倣されるシステムは、偶像とそれにまつわる供犠に似ている。テレビやラジオ、インターネット、スマートフォンという発明は、道化的な人びとの結びつきを繰り返し再生してきた。社会集団の模倣が拡大し均一化するほど、守るべきプライバシー、奪われる自由も増大する。しかしながら、そのわずかなプライバシーや自由はまことに道化的であって、取るに足らない空虚を死守するにすぎないのである。

 プライバシーを守りながら、無意識に集団的なライフスタイルに同調するかぎり、人間はまことに取るに足らない道化である。見られながら、他にまねをされるような権威となる覚悟がある人間は、この動画文化においても生まれないだろう。出版やテレビ、ラジオと同じように、ソーシャルな動画文化においても、新たに権力を生み出すのではなく、古来からの名誉をもつカリスマ、王家や天皇の権威に認められながら、生活様式を攪拌していくにすぎない。

伝説リバイバル考:地名とオノマトペ

 これまで「民族」「渡来」集団居住の証拠と捉えられてきた地名。しかし事情はむしろ逆で、気候条件や地形を「地名」として名乗る(その始まりはオノマトペ擬声語や擬態語があったと思う)集団があり、伝承としてさまざまに分化を遂げた、と考えるのが自然であろう。

 縄文語・弥生語という区分を設け、その他種々の外国語で読み解く向きもある。当然それも参考となる。ただ、そうした集団語は社会的な関係をかえって地名に仮託して、伝承、伝達を(詩などで)かたることで形成された文学をもととするため、深入りすると「物語」の域を出ないおそれがある。とくに、農耕民族や農耕の伝来を一パラダイムとして日本史を構成する史観は、さまざまな技術の史的追跡を難しくした。

 現代の移民問題外国人労働者のように、人びとの「交渉」は断続的に、リテラシーの域外で起こりうるものだと思う。そしてその境域で頻繁に起こるアイデンティティの揺らぎのために、「語り」は必要なのだ。そこを考慮することなしに一緒くたにして人文学研究自体を誰彼のアイデンティティの「語り」に同化させてしまったのは、まことに惜しむべき人文学の愚行であった。今も無邪気なことに続いているのであるが。

 地名の結びつきを、依然述べたニュアンセームごとに考えてみた。もともと間違いは承知の上である。

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K-P/M「クマ・クメ・カミ・カモ・コマ」隈地、窪地

K-S/T「コシ・クス・カシ」丘陵地、崩落地

K-L/R 「カラ・クリ・クル・クレ」屈曲、空洞

「穹窿」「蒲蘆」などの漢語も視野に入っている。山地に囲まれ、あるいは川に「えぐれた」盆地などを指すか。ひょうたんなどを用いて洪水を逃れる説話が中国雲南少数民族にあるという(鈴木健之「葫蘆考」『東京学芸大学紀要』1984年)。日本では桃太郎などの小さ子の来訪があったり、浦島が「亀」に乗って竜宮を行き来する話がある。特に後者の説話では他界への行き来がクローズアップされるが、重要なのは帰ってきたら家がなくなり自分を知る人もいなくなっていたというところである。こうした土地では崩落や洪水などが頻繁に起こった土地の事情を反映しているように思う。

 

S/T-N「シノブ・シナ・セ・チヌ」 風⇒山

P/M-S/T「ハセ・ハシ」風・急流

 P/M-S/T「モト・マチ・ミチ・ハタ・ハト・フト」農村、田畑

 茅渟(大阪湾の旧名)、更科・信濃そして山科など。海沿いの風の激しい地域から山がちで颪の吹く地帯へ。海と山の間を川がつないでいる。山、川、海は自然の境界を作り出す。

 女性の呼称「マチ・ムチ・マンジ」と山村の関係。「山の神」という異称が象徴するように、女性は嫁入りを経て他界との交渉を担う。宮中に仕える女房の名前に地名が用いられるのもこれに関連する。詩歌の文化のなかで、「小野小町」「玉造小町」と衰え、死が隣り合わせであるのも、こうした複雑な文脈――山村における来訪者との交流や祭祀芸能がかかわっているのだと思う。

 「マンジ」から、狩人の始祖磐司磐三郎を思い浮かべたり、オオクニヌシの異名、大己貴(オオナムチ)を連想することもできる。狩人、山伏から分岐したとおもわれる武士は、名乗りのときに武家官位を自称する。刀匠は受領名を名乗り、鬼の子孫を自称する八瀬童子も隠居すると国名を名乗る。力士も国名や名勝を名乗りとする。国という「マチ」の名を名乗ることは、生殺という境界を司る役わりと、境界をもつ国名のアナロジーから生じた、先の官女の名乗りと同様の信仰的文脈があると考えられる。

 名乗りのタブーを背景に、こうした境界システムを取り仕切っていた朝廷は、川を通じて山人と農耕民が交流してきた古俗を連綿と維持してきたのだと思う。

 

S/T-S/T「ワタシ・タイシ・タヂヒ」渡し場、岸

P/M-L/R「マル・ムロ・モリ・ムラ・フル」職工、採掘

S/T-K「サカ・サコ・タカ・ソガ・シュク・スクネ・スクナ」山地、市、宿

「嵯峨」「愛宕」などの地名を想定に入れている。

太子信仰、大師信仰については以前ここに書き散らしたことがある。

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  そこには書かなかったが、太子(または大師)信仰には、「夙」という概念が密接にかかわっていると思う。宿場というシステムにも契約とその履行が求められるし、そこを拠点にする非定住民、舟守や職工たちにとっても契約は生命線であった(「竹取物語」でも、戯画化された形で契約とその不履行が取り扱われている)。山路や河原という不安定な地域では、災害が起こると仕事が立ちいかなくなる。貨幣経済とか信用経済云々というように概念化される前でも、契約を守ることは政治宗教的安定として権威者にとっては一大関心事だったに違いない。

 太子や大師「たち」による契約の超人的履行(黒駒に乗り富士山越え、井戸の掘り当て、未来記やおみくじなどの予言)、そして弥勒阿弥陀の救済思想はこうした実際背景による説話であると思う。華々しい神仏や英雄の活躍のいっぽうで、北欧の「血浴」のようなグロテスクな復讐行為も、また芸能において好まれたと思う。まず歴史として物部氏、上宮王家、蘇我氏の滅亡として上代に取り込まれ、町人たちにとって蘇民将来祇園御霊会の主役となり、曽我の敵討ちが正月歌舞伎の人気演目となったように、芸能文化の中に脈々と維持されてきた。御霊や義理人情といった心性への発展と、職能民の卑賤視というヒエラルキー意識が地域に刻まれることとなる。

 歌(転)、和歌(若水アイヌ語ワッカと関係あるか)、そして西行橋から迫(さこ)を導き、地名と洪水や勧進を考えることというのもやってみたいが……資料が集まるかはわからない。

 

P/M-N「ハナ・ハニ・ハネ・ワニ」土、丹

K-K、N-K「カカチ・カハチ、ナガ」蛇(のような川)

 鰐(サメ)や蛇にかんする伝承は多い。その背景として、前者には陶磁器交易が、後者にはその流通を支えた河川があると思う。因幡の白兎や海幸山幸の説話で「鰐」とされた神々は、おそらくこうした商業民である(大和神話に人間誕生の説話がないことは、職能民と朝廷との関係を説明するために神話が編纂されたという背景があると思う。交易で出会うものは「神」であり、天皇との義兄弟関係によって秩序化される、いわゆる加上説が行われたと考える)異類として認識された職能民は、すすぎ、すすませる住吉三神により清められ、槌、星(つつ)として雲居に詣でたのだろう。

 

S/T-L/R「サル・サラ・シラ・シロ・テル・テラ」城館、寺社

P/M-L/R「ハラ・ヒラ」平地

 平野などの物資の集積地では寺社が栄え、また屋敷がひろがる。そこでは災害や戦乱によって多くの寺や城館が失われてきたのも事実で、古い土地において「更地」というのは多くの憶測を呼ぶ。そこで何かの因縁があって更地になったという伝承が生まれる。たとえば番町「皿屋敷」は、お菊が身を投げる前から千姫の乱行が伝えられる曰くつきの地であった。

 穢れから清めという体系からそうした怪現象を説明するため、「お菊」や姫路城の長壁姫や、座敷童の存在が語られる。その造形には、噂を説話化する巫女などの口承芸能者がかかわっているのだろうが、もともとは「菊理媛」にまつわる信仰が根差していたのではないか、という推測を述べたことがある(糸車を回す音をたてる座敷童と結びの糸を「くくる」菊理媛の接点は「糸」にあると思う。それは近代以前の蚕糸の交易と密接に結びついていたのではないか)。

 近代以前、穢れを払い清める祭祀は、なにより経済、富という偶然的要素と表裏一体だった。穢れが祟りや怪異をもたらすという構図は、祭祀支配と経済支配の概念が分離していくにつれ、「福をよぶ」抽象的な利益へとやわらげられていくこととなる。

 

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S/T-P/M「トビ・トミ・タマ」山、烽火

 「鳥」は蛇と並び神としてポピュラーな表象である。霊魂観においても鳥を魂の化身と考える文化は多い。山海を渉る鳥は、商業という世俗かつ宗教的な行為のシンボルとして好まれたことは想像に難くない。「魂」「鳥見」「飛鳥」と、近畿には鳥と信仰を結び付ける地名が分布する。ヤマトタケル神武天皇叙事詩の舞台となったのも一つだが、山越えや航海という困難な務めを日々こなす人びとが基盤にあったと思う。「とびとびに」「だんだんの」山々を渡るという経験を共有することで、人びとは結びつきを強めた。葛城山系に役行者一言主、そして大師系の寺院が残るが、巡礼と日常の差がさほど開いてなかった時代の、古道が山々に整備され運用されていった実情を反映していると思う。

 

 つらつらと書き連ねてきたが、オノマトペと関係ない与太を多々述べてしまった。大事なのは、地名は地形を反映したものであって、そこにさまざまな日常が反映された結果、まるで絵空事のような神話体系が構築されてきたということに尽きる。しかしながらそれは社会的な諸相を反映したAlternateな「現実」なのである。史的に正しいとはいえなくとも、何らかの発想の源になれば幸いである。

伝説リバイバル考:十二支アイヌ語説

 畑中友次『古地名の謎(近畿アイヌ地名の研究)』(大阪市立大学新聞会)を読んでいる。

 昭和32年の本で、コロポックル先住民説や日ユ同祖論などが平然と出てくる。ともあれ、既存の近畿地名と北海道地名を対照させながら、そこに共通の地形的命名法を見いだす手法は評価されるべきだと思う。とくに「チャシ(交市、砦)」と「茶臼山」の類似は、わたしが長年気にかけていた問題でもあった。

 ただし、アイヌ語も日本語も、当然意味や音韻の変遷があって然るべきである。古代・中世の「地名」は、狩猟や漁労、鉱業と農耕といった、多彩な職能民の交点であった時代を物語る証拠と言うべきであって、特定の「民族」として括られる以前の、不定形で流動的な社会を映している。集団が交わるところには、その社会的関係に応じて雅語と俗語という括りが生まれるだろう。アイヌ語内でもそうした意識で言語が組み替えられてきたし、日本語でも規範によって猥雑から純粋へと言語が組み上げられていった。

 アマテラスやオオクニヌシスサノオなどの記紀の神々も、地名とおなじく口承ではさまざまなヴァリアントがあったのだろうし、外来文化としてとらえられてきた陰陽五行や道教なども、口伝いに融合して日本文化を形成しているという事実は揺るがない。こうした不明確かつ不純とされてきた要素を、排除せずに研究することはできないだろうか。

 アイヌのシャマニズムその雄渾な文化は、彼らが海洋に、また大地に繰り出していた古代中世時代の追跡を必要としている(漢字文化圏とのつながりは見逃してはならない)。その一仮説として、十二支のアイヌ語説(一部古語で代用)を試みに唱えてみようと思う。十二支は、植物の成長過程としてこじつけられてきたが、もとは木星の運行を表したものと考えられる。さらに言うならば、天空と海洋のアナロジーから、「海から陸、陸から海」というイメージがあったのではないか、と踏み込んでみよう。なお、ここのアイヌ語は前掲書の表記を借りたため、正しいかどうかは責任はとれない。

 

子 ね nay ナイ(川、古くは海)

丑 うし usi ウシ(湾)

寅 とら to ト(海) もしかしたら古語ト(門、港)

卯 う o オ(河口)

辰 たつ tap タップ(頂、岬) 砂州を指すのかもしれない

巳 み muy ムイ(静流)

午 うま ma マ(水溜まり) 湖沼?

未 ひつじ pis ピシ(浜) 古語ヒヂ(泥)も考えられる

申 さる shiri シリ(陸)

酉 とり tori トリ(水溜まり)

戌 いぬ wen ウェン(悪い) 埋立て地や河原などの悪所と考える

亥 い e エ(海) ここだけ上手くこじつけられなかった。古語ヰならば井戸から川までの広い流水をさす

 

どうだろうか。陰陽にできるだけ近づけて、海(陰)から陸(陽)へ向かい、陸から海へと還るメカニズムを描いてみた。日本の物語では上流から下流に神の子が降り、アイヌの霊魂観では下流から上流へ神が来訪する、という(『日本人の聖地』講談社学術文庫)イメージが頭の中にある。アマテラスの機小屋に馬を逆剥ぎにして投げ込んだ(水を逆流させ、村を水没させた?もとが水神だけに、津波のイメージが重なる)スサノオや、蒲の穂綿(kam 岩)によりウサギを助けた(河口を開拓した?)、そして猪にみせかけた熱せられた岩に一度殺される(川に身を投げるのはアドニスっぽいし、熱せられた岩は噴火を思わせる。火砕流か)オオクニヌシを通じて、シンボリズムを再考するきっかけになるともいえよう。