マツノヤひと・もよう学研究所

独断と臆見による人文学研究と時評

文化のネットワークとしてのことば

 これの続き。

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  わたしは「辞典」形式の語源研究にも、「作文」主体の文法教育にも納得していない。以前示した立場として、古典教養は劇や儀礼と密接に関係しており、「集団語」としての代名詞「われ」「なんじ」「それ」が、そうした文脈から解き放たれ個人の書き物に用いられるようになったのはつい最近になっての(とはいえ、有史以来なのではあるが)運動なのだ。

 だから、いま現在われわれが辞典を引き文法書を参照しながら作文をこなし、やがてこうしてソーシャル・ネットワークにて文章のやり取りを行うようになったのはむしろイレギュラーなのであって、そうした通念を古代や中世の言語観に当てはめるのは、あるていど留保しなければならないとわたしは考えている。とくに排撃しなければならないのは「単語」観ではないだろうか。

 辞書では単語ごとに項目を立て、事物の意味を解説する。文法なども、単語はその属するカテゴリーごとに、交換して文章を作ることが可能とされている。言語教育というシステム自体が、この単語の入れ替えのもと信頼がおかれ機能しているといってもよい。さらに(音声と単語の)二重分節や意識内のレキシコンといった言語理論への援用、国語、語族などの境界線の画定など、社会生活に影響を及ぼしている。

 文字主体のコミュニケーションを図るにはこうした単語による言語の管理は非常に適切であり、なによりも学問的な理解はこれなしでは成り立たない。しかしながら、古代や中世のとくに口承から移植された説話や、いわゆる「隠喩」や「語源」の考察を行うときにははなはだ心もとなく映る。ことばというのはさまざまな地域や時代に合った社会集団に応じた隠喩や語源をもっていてしかるべきだし、説話の記録者に創作やレキシコン、パーソナル・スペース観を当てはめるのは、時代錯誤と言わざるを得ない。古典解釈のための辞典や文法書のほかに、言語研究のための集団的儀礼や物語の知識を収録した手引きが必要であるように思う。

 語源研究ではない、という前置きをしたうえでひとつのプランを述べておきたい。文法はそれぞれの国語ごとに扱っている用語も内容もバラバラで、そもそも統一的に言語行為を把握するには役に立たない。単語の語源的研究も、意味は一単語に一つという暗黙的了解のうえに成り立っており、隠喩などの拡がりを感じるのは難しい。

 前者に関して、名詞とそれにはたらく連体節、動詞とそれにはたらく連用節、そして文節や構文にかんする考察、のように幅広い言語の知見を援用して言語行為を考察する試みを企図している(比較文法や比較言語学ではない。国語という近代国家語のもたらす錯覚に縛られたくはないのである)

 いっぽう後者には、「ニュアンセーム(Nuancème)」という概念を導入する(NuanceとSemeionのカバン語)。K(G)、S/T(Z、D)、N、P/M(B)、L/Rのいずれか2つの組み合わせ、そして母音あわせて26章で章立てし、音義説や祖語、音韻変化およびさまざまな書物からの知識を借り、それぞれの言語の伝統のなかでどのようなニュアンスを持って発されてきたのかを総覧していくプロジェクトである。たとえば、M-Rの組み合わせでいうならば、ブルブル、ボロボロなどの擬態語、里や狸といったMreghで再構される漢字音や朦朧といった連綿語、モリやムロで表される地名に朝鮮語アイヌ語でどういう意味を付されてきたか、そして金属史観による地名考察などをまとめる予定である。

 これらのカビの生えたようなわたしの手法には当然問題もあるだろうし、一見せずとも荒唐無稽なことは目に見えているだろう。しかしながら、この試みは、ロゴスとして、また社会的な営為としての言語行為に新たな視点をもたらしつつ、書物や声の文化のネットワークを再発見することにつながると信じている。

隠喩と語源

 語源は基本的に眉唾ものである。とくに即物的、明示的にかたられる「語源」は、たいていがこじつけである。地名などがその典型であろう。それを収集、検証し学問体系にまで昇華するのはまず稀有な大事業だ。言語というのは社会生活の根幹であるため、その正統性と正当性は常に問われるところのものである。

 しかしながら、われわれは日常のなかで「語源」までさかのぼり意識して生活することはない。語源は、特別な「物語」なしでは判然としない。あるいは、各々の淵源というべき特殊な「集団」に思いを致す機会がなければ、言語を共時的、通時的に分析し、正そうと考えることすらないだろう。

 「女房詞」や「コックニー」、「方言」や「外来語」、「隠語」など、近代は国家語の形成過程で、さまざまな集団語を階層化した。方言が波状に分布すると考えた民俗学者たちがその最たる例であろう。文字に残っている史料から再構するならば、宮廷語から中央集権的に武士、商人、農民に言語が模倣されていく、という図式を思い描くのは容易である。かくして、他に類をみない、というより類を求めない「日本語」という規範が生まれ、方言や非容認的な言葉遣いに煩い慣習が生まれた(これは近代国家語ならばほぼ同じ道をたどっているといえる、ただしヨーロッパには印欧語源という緩やかなまとまりがあった)

 そこで、なぜ「ことば」を模倣するかという問いが残る。みずからを他の集団に融即(Participate)させる、なりきるという行為を考察することなしには、語源の表層的な虚構を受け取っているだけにすぎない。わたしはそこに「隠喩」というシステムがかかわっていると考える。

 音声という不明確な伝達手段を文字によって記録する手続き自体が、伝承を権威へと近づけることとなる。その際、さまざまな「他者的要素」が隠喩によって把握される。前世紀に「母権」としてとらえられたような、神殿売春や予言、性愛的要素は、国家的理念や欲望へと塗り替えられ、方言や牧歌といった素朴的な文学技巧は、同様に「黄金時代」「理想郷」といった終末論と表裏一体のイデオロギーへと置き換えられていく。他者の隠喩による同化が、古典教養を形成するといっても過言ではない。

 こうした隠喩の体系は、ローマ=ヘレニズム文学によるギリシア精神の再解釈、詩経儒教による受容、歌垣などの儀礼歌の神話への編纂、古今東西さまざまなムーブメントとして表出している。そして現代にも起こる可能性が十分にある。そしてこの二重の運動が、語源のあらましをせせこましい境界に押し込め、一層錯綜したものにしている。これに抗しようとするわたしの唯劇論的立場は、すでにこのブログで数本述べたので、そこも適宜参照いただきたい。

 

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Introduction to Drasmatica――唯劇論と飛躍

 長年積ん読していたホカートの『王権』(岩波文庫)を読んでいたら、ミトラス教のことについて書いてあったり、「唯劇論」に活かせそうなアイデアを多く見つけた。というよりアウグスティヌスが聖書を「取りて、読め(Tolle, lege)」してしまったようにままある話で、その時どきの興味関心に沿った本選びをできているということなのでしょう。ホカート自身は何か民俗学や人類学的視点に立って世界中の王権やイニシエーションなどの習俗の考察を行っていたようであるが、正直海や陸は壁として隔てるためではなく、行き来するために存在するものである(すくなくとも、べきである)ので、「起源」とはいえなくても、通商路上のこうした儀礼意識の共有はあったと思う。

 オリエントと中国、そしてインド・ヨーロッパのさまざまな文化を同一起源とするのは全き絵空事のように扱われているふしがある。さすがに、川崎真治が唱えるように、シュメール語を音韻変化してどうこうすると日本語になる、というのは飛躍がある。しかしながら従来の騎馬民族史観や渡来史観のような、一時代に異民族が流入して、そのまま対立構造が神話なり歴史に反映する……というのは同じように飛躍を感じるのは、私だけであろうか。畢竟ゲルマン民族大移動というのも、「ローマ帝国衰亡史」のようなドラマによって演出された一種の飛躍なのである。しかしながら、現代の移民問題や外国人労働問題にいたるまで、そうした考えによって生み出されたパラダイムは、後世の人間をずっと束縛することになる。戦争中の捕虜や労働者の取り扱いについて糾弾しながら、外国人実習生についてのドキュメンタリーを美談のごとく放送するテレビは、なんと無思慮なことだろうか!

 現実には、現在われわれが直面しているような、曖昧な「われわれ」という存在、どこから来たのかもしれないマージナルな現われしかいないのである。そこから、皆の信用に耐えるようなドラマを生み出し、歴史として作用させていく熱量と力量を備えた人間が現れるのを待つほかない。

 現代においてもなお、古代や中世とおなじように、カリスマ(賜物)であり、ドラスティックであり、ドラマティックであるところの「劇(Drasmatica)」が求められている。あらゆる人文学、哲学や歴史、言語学や宗教、民俗学について学ぶことは、科学や経済といったPerformanceに屈したDrasmaticaを学ぶことに他ならない。科学や経済というPerformative Actは、かつての王権とイニシエーションのアナロジーのような聖性によるヒエラルキー、聖地や祭祀のバイオリズムなどと同じように、人びとを社会的に関係づける。だれも、東京の地下深くに猿人の骨が埋まっているとは思わず、東アフリカの発展途上の土地を目指すし、ゲノム解析では当人の社会的地位と交友に応じた血縁関係が暴露されると信じている(だいぶ穏当に書けた)。

 しかしながら基本的には、気候を神の所業(Deus ex Machina)、夢を無意識の所為(Es)と捉えたような形式主語やDeponentiaの領域からは一歩も出てはいないのだ。それは、極限的に突き詰めるならば生と死のような「飛躍」を埋めるために、「われ」と「なんじ」の契約や、「それ」による攪乱を思考し、物語っていく「劇」の営みが、現代まで生きながらえていることの証左であろう。

来たるべき労働観の変化:「労働運動」から「労働運用」へ

 新型コロナウイルスによって経済活動が大きく変貌しようとしている。しかも、学校行事や地域のイベント、そして「東京五輪」といったここ1年の動向だけではなく、テレワークや時差出勤など、今まで梃子でも動かなかった慣習的な働き方への見直しをもともなっている。

 この騒動はどのように収束するかは皆目見当がつかないが、こと「労働観」については、不可逆的な爪痕を残すのではないかと私は考えている。経済や労働についてはまるで門外漢ではあるものの、時評として論じてみたい。

 交通機関が不通になっても、通勤客が駅に居並ぶ光景がまだ記憶に新しい中で、「濃厚接触」による集団感染の危機がこうして持ち上がることは、おそらく戦後、いな明治維新以来の陸運と産業のつながりを揺るがすのみならず、われわれが当たり前のように受け入れてきた「勤勉」「禁欲」的な召命的近代職業観を見直す必要が出てくるかもしれない。

 折しもAIや人工知能によって多くの職業が淘汰されると危惧されているご時世である。仮にウイルスの猛威が収まったとしても、今まで通り満員電車に揺られながら職場に向かい、仕事を切り上げた後は深夜営業の居酒屋で酒をひっかけて終電で帰る……という従来の生活様式は、もはや通用しなくなるだろう。

 団塊世代が長い人生を持て余しているのを見れば、戦後の労働慣行としての定年制と年金制は破綻するのは明らかである。労働と余暇、現役と余生という境界(おそらくこうした労働上の明確な境界は、近代国家の「徴兵制」をモデルに築き上げられたものだろう。システム上多産多死を前提としており、これからどうなるかはわからないが、現況にはそぐわない)はますます曖昧となり、「副業」「フレックスタイム」「学びなおし」「テレワーク」など、思想や理論上の啓蒙のみならず、社会全体からの突き上げとして新たな労働観が出現することは間違いない。「就職活動」「社会人マナー」を滑稽な売り物、見世物として消費する就活産業は、いわば近代的労働観の集大成であり、断末魔なのである。

 高度に単純化された労働は、「だれでも」「なんでも」できる労働となる。専門的な負担が減るぶん価値は下がるし、指導的な熟練した労働者とそうでない労働者の格差は今よりもっと広がるだろう。とくに後者の流動性は激しくなるし、前者とていつ人工知能などに代替されるかわからない。労働者が一致団結して資本家に対抗する……という労働運動観では、多様化する労働に対応できないし、会社と労働組合、それぞれのヒエラルキーの格差の拡大、そして二重の支配を受ける弊害がシステム自体の存続を困難にしている。

 こうした危惧の中生活を維持し、リスクを最小限に抑えるため、副業を越えた兼業が社会の主流になるであろう。つまり、就職活動は今までの「椅子取りゲーム」から、まるで資産運用のポートフォリオのような「バスケット」へと変貌するというのが、私の見立てである。「神からの召命Beruf」の成れの果て、「やりがい」「夢」などという漠たるマヤカシでだましだまし働かせる現今の職業観から、少しでも労働者を引き留めるために用意されたあの手この手の「優待」を組み合わせ、主体的に生存していく労働「運用」観が一般的になるだろう。(似たような考えを提唱されている方がおられたらぜひご教示お願いいたします)国の借金はいくら発行してもよいなどという(貨幣の価値を揺るがすことでカネを動かすという意味ではある意味的を射ているとは思うが)幇間まがいの甘言を弄す暇があれば、もっと従来の労働や経済の固定観念を覆すような大胆な論を提示してもらいたいものである。

 なお、「バスケット」の中に組み合わせる労働には、知的労働たる大学の研究活動も当然含まれるだろう。以前「学融」という考えのもとで、地方大学や私立大学の地域社会への統合、そして「学行」なる、大学研究の管理手法が金融システムへの接近するのではないかという未来予想図を述べたことがあるので、そこも参照いただきたい。

 

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Personificationの神話学――唯劇論の歴史

 神格そのものよりも、その神格に帰せられてきた物語のPersonification(擬人、人称化)によって神話を分析するべきではないかという考え。

 

 農耕民族史観、渡来人史観、金属史観、終末論、王権……神話にはさまざまな解釈がある。「特定の社会的階層のための物語」として、神話を合理化しようとするこの近代の衝動は、神話への熱狂が失われた時代において、「学問のために」純粋な神話として保存される大義名分となった。しかしながら、特定の史観に与することは、近代以前の神話の混淆したありよう、全体像なしでさまざまな語り手によって共有されてきた「圏」としての神話をまったく反映していない。こうした多義をもつ人文学への無関心は、ただ一つのイデオロギーに扇動される学者の愚、および活字文化社会も相まって、多様な「語り」のあり方を破滅へと導くこととなった。経済政策や政治情勢の読み取りや、ビッグデータ人工知能の活用にしても、多義を許容する人文学的知の素養なしでは失敗に終わるだろう。

 

 デュメジル印欧語族神格三分イデオロギー、および吉田敦彦の行った日本神話への適用。祭司・戦士・農民それぞれの神や物語群に分類するという考えは、たとえ印欧語族という壁があっても、通商の関係で伝わりうる理にかなった説に思われる。しかしながら、近代の職業観念以前の社会的階層意識は、非常にマージナルなものであったことが予想される。耕す人、戦う人、祈る人は、「下剋上の時代」などとレッテルを貼らずとも、流動的であっただろう。民衆とエリートという区分も必要なくなる。重要なのは語り手と社会の距離を示すことば、すなわち「われ(ら)」「なんじ」「それ」の標示によって神話を考察することこそ、「圏」としての神話、そして歴史のあり方について道理ある説明を行う手立てになる。圏ということばで神話や歴史を語るのは、「公共圏」としての新聞やマス・コミニュケーションが1750年代の英仏ではじめて現れたものではなく、信仰や歴史語りという連綿たる物語の文脈や、うわさや俗説という通常ノイズとして学問的に排除される事象が複雑に組み合わさり生まれたものであることを勘案した上の呼称である。

 聖地や祭りという空間上、時間上の結節点において、人間は社会的に結合してきた。いわば時間、空間、人間のネットワークを再生するいとなみとして、文字化以前の「神話」なる圏が構築されてきたわけだが、そこには集合体をなすための「訣(わけ)」、すなわち契約のあり方が問われることになる。神聖娼婦、予言、およびそれらに付随する「歌垣」などの歌謡文化は、呪術や予祝などという儀礼の形をとって、人びとの社会的関係をその時々において結んできた。「われ」「なんじ」「それ」の立場は、そこに擬せられる人びとを頻繁に変容させながらーー扮する人びとの社会的階層も多様であるが、扮する役わりにおいても多岐にわたる――しだいに刻まれた「仮面」たるPersonalityを生み出してきた。

 それは、転々とする気候をうつすものでもあれば、場所にすみつく物の怪をうつすものでも、特定の王や貴族のすがたをうつすものでもあっただろう。ものごとどうしの結合に、ある価値を持たせた劇(ロゴス)である。こうした劇の多義性は、口伝によって語り伝えられることで、その社会におけることわりを保持してきた。口承がほろべば、新たな物語において似たようなことわりがリバイバルされ、展開してきただろう。禍福をもたらす「まれびと」は、かくして世界各地の文化に維持され、やがて神となった。(本サイトの伝承リバイバル論などを参照。)

 しかしながら、有史以降、文字による共有は、それに固有の時間、空間、人間なしで「普遍」なものとして物語を広めることを可能とした。同時に、「われ」「なんじ」「それ」は、祝祭における契約から、個人的な領域へとしだいに撤退してゆく。最小の「われ」「なんじ」「それ」へと教育が両者の結節点として新たに必要とされ、祝祭や聖地を政治経済の名のもとにあらたに編成しなおす作業が行われた。その過程においてかつての神話は、固有のものを忘却した(いわば類型的な)民話や奇譚として収集され、一定の政治経済圏をもつ国家の根源(騎士道や武士道の誕生、英雄と皇国史観または個人の病理エディプス・コンプレックス狐憑き)という、いわば転倒したかたちで基礎づけられることとなった。

 

 已上の幅広い問題が伏在するため、神話の解釈はけっして一筋縄ではいかないし、把握するためには学問分野の横断が必要となる。そして何よりも、「ことば」の研究を、「国語教育」「個人の言語獲得」などという幻影から解放し、マージナルにある人びとを許容する営みとしての「唯劇論」へと向かわせるべきである。

漢字とその文化圏の研究について――反起源論、そして後藤朝太郎

 漢字の起源という学問分野に興味をもつ人間は多い。かくいう私も、白川静の「常用字解」や「字統」から起源に興味を持ち、藤堂明保の漢字家族論に惹かれたひとりである。その後西洋史学に進んだため、輓近の研究には触れられていないのだが、これらの漢字研究は多くが50年以上前のものであり、アップデートの必要があるのかもしれない。けれどもこの両者以上の鮮烈な論は管見では見受けられない。

 しかし、ここで問題となるのが、「日本人には漢字は他者の文字であり、そのやまとことばへの受容には葛藤があった(だろう)」という論である。維新、戦後の漢字廃止論などの精神的支柱としてのこの漢字コンプレックス。漢字研究は多かれ少なかれこうした視座に影響されている(「文字ありき」に拘るような日本の古代史研究にも影響していると思う)。漢籍、あるいは発掘成果重視のセクト化した研究では、有史以降の漢字文化の全体像は把握できない。カールグレン以来の外国の、たとえばBaxterなどの漢字研究(おそらく音声言語的な、チベットビルマ等との縁戚関係の推定)も気になるところである。

 江戸時代の国学者による韻書の再発見、そして殷墟での龍骨発掘ラッシュにはじまった、白川・藤堂の甲骨文字や上古・中古音の再建による「起源」の追究は、その生涯をかけた研究をもってしてもなお、現在通用している字形や音義のずれを引き起こし、築き上げた定説が覆されようとしている。

 殷代の祭祀用、統治用記号である甲骨文字群と、すくなくとも説文解字以来の「漢字」のネットワークの断裂は、漢字の存在意義を崩しかねない深刻な問題のように思う。同じ形をしていても、全く違う意味や転義のなされている文字は「起源」といえるのだろうか。「爾雅」などの方言や異民族から移入された語彙は「起源」なのか。通常話す、書くよりも特殊な環境ともいえる詩の韻は古代の発音を伝えうるのか。象形・指事・会意・形声・仮借・転注の六書という漢代に仮想された「起源」に縛られてはいないか……連綿たるコンテクストの伝統のある中国文学は、その数千年かわらず伝達・伝承を支えてきたところの「文字」の禍、過剰な執着によって数多の問題点から目を背けてきたと言わざるを得ない。

 この際、「漢字は殷由来、漢民族のもの」という神話は捨て去り、アジアを席巻した文化現象としての「漢字」、その意味と伝達・伝承の変化について考えてみたらどうだろうか。漢字はその成立以降、字形が簡略化され、他の文字と合流し、偏や旁などの部首、声符などの部位に分けて把握されてきた。詩や歴史、さまざまな情報の伝達と芸能の伝承を可能にし、その文化圏は朝鮮、ベトナム中央アジア、そして日本と広がりを見せて、時代や地域を越えた幅広い意味の体系を共存させている。そうした漢字の「現在」を支える原理として、甲骨文字からの遺産、説文からのレガシー、六経の訓詁学、他の漢字圏の文学からの知見を組み合わせ、あるいは各地各時代の音の対比を考察する、そうした漢字研究の交流を、心待ちにしているのである。

 

 余論。白川静藤堂明保・加藤常賢の三大家以前に、「後藤朝太郎(1881-1945)」という漢字研究者が存在した。手許に「男子の本買い」の成果で数冊がある。漢字の音読みによる分類、音韻・甲骨研究、他言語との類縁考察など、かなり踏み込んだ研究をしており、なかでも字音転換の法則は、たとえば「妙、少」のようなM-Sのグループ、「産、薩」のan-atの通用など、10の法則で説明するオリジナリティあふれる所見を載せている。惜しむらくは、その中国通ゆえに戦中にスパイの嫌疑をかけられ、終戦を見ぬまま事故死(暗殺説もあるらしい!)してしまったことだ。

 かれの漢字研究は今日まったく顧みられていないが、国会図書館デジタルコレクションでPDFがDLし放題であることを付記したうえで、その未知数なる学問的価値をここに顕彰する。

 

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唯劇論――情報文化圏交渉比較言語人文学の立場で

  情報文化圏交渉比較言語人文学という長ったらしい名前を冠して自らの専門領域としたのは、高度に専門化して周りを見渡せないほど多岐に分かれてしまった人文学のあり方へのささやかな抗議からであった。もっと簡明な仕組みですべてを把握できはしないか――そうした知的欲求は、オリエントとインド=ヨーロッパ、そして東洋文化のある種の同源性から、刻々と移りゆく時間や空間を「こよみ」、「風土」と捉え改変するメカニズムの考察を経て、ある帰結をもたらそうとしている。

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 以上に述べ来った私の姿勢を、ひとことで言い表すとすれば「唯劇論」である。実体があるとか、はたまたそれが幻であるとかいうのは、視覚以前に(視覚は重要なファクターではあるが)「ことば」による境界づけがあってこそのものだ。「ある」という事象の解明は、一まとまりの空間や時間に跨ったことばによる明確な「訣(わけ、logos)」を思索することこの他にない。しかも、それは文学的に書かれ仕組まれた作為としての「劇」よりもより広範な、劇的で劇症なことばの拗れ、絡み合いが見いだされうる上で、生き生きと我われの前に現れるのである。

 こうした劇を構築するのは、「訣」へと扮するためのさまざまな「面」と「舞台」である。統一された理論を据えるうえで看過してはならないありのままの「個」や「自然」と、集合体として見えるところの「役わり」「ことわり」との挟間に、かくなる「劇」の装置が存在する。視覚偏重、文字言語優位の文化では、劇はもはやことばとは見なされず、なにか実際の個人や団体、およびかれらにまつわる「道具」などの「原理」「力」に帰されることだろう。しかしながら、唯劇論の立場では、明確な――つまり、大文字であるところの――個人や団体は、扮される「役わり」にすぎず、原理、力も筋書きとしての「おことわり(Apo-logy)」にすぎない。そこには不定形で、限界、境域(margin)にあるようなものごとしか存在せず、それらは扮することで、なにがしかを分かち合い「劇的に」あらしめられる。その間際で作用するのが「面」となることばであり、「舞台」となる風土やこよみや社会の階層秩序といった習慣的な知、つまり境界である。

 人間はロゴスを持つ生である。往古の出来事を劇的なロゴスとして再生(revival)することで、戦争や商業、農耕や学問といったほんらい不定形な営為を定型化し、より大きな集団で協働せしめることが可能となる。役わりになりきるという劇的な思考により、「契約とその履行」への信仰が生まれ、現世利益、極楽浄土などを約束する権威、宗教という「ことわり」を作りだしてきた。それらにまつわる語りはことばによる境界付けによって、時間や空間を分断することとなった。

 そしてそのことわりも、社会や歴史の変動により劇の享受層がひろがり、または履行が危ぶまれると、信憑性の希薄な「変化(へんげ)、怪異」へと語りの暴落を引き起こす。修辞的「たとえ」の存在も、語りとその共同体の信のあり方によって大きく変わっていく。近現代の商工業者たちを主体として繰り広げられてきた劇、たとえば「科学知識」や「貨幣経済」は世界の隅々まで広がり、もっとも成功した劇的隠喩(たとえ)であるといえる。それまで各地域を支配してきた神話や伝承などは、「解釈」の名においてそれらに蹂躙された(ようであるが、じつはおおもとの「科学」や「経済」のなかにひそかに再生されている。やはり「名前」で分かたれ、分かち合われているように見えても、もともとは生とはマージナルな営みなのである)。

 

 ことばの文法も、もちろん印欧語族等々の「語源」は数あれど、名詞や動詞の考え方に対象と音声や記号を合致させ、そこに空間的・時間的ひろがり、一種の普遍的な「もの/ことの重み」を考量する(penser)はたらきがあることを忘れてはならない。「面」としての劇的なことばが、舞台や筋書きとしての劇的なものごとを包み込む入れ子構造、「文=多重(モンタージュ)」によって、境域や限界はあきらかに境界づけられ、一応は「あらしめられている」のだ。そこの考察には、哲学、宗教学、民俗学、神話学、歴史学など人文学のあらゆる領域の知を拾い集め、「唯劇論」として再構しなければならない。このブログでは、さまざまな試みによって(人間の「根源」ではないが)書物未生の「劇」のあり方について考察している。

 

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