マツノヤひと・もよう学研究所

独断と臆見による人文学研究と時評

2020-01-01から1年間の記事一覧

伝説リバイバル考:古代中世詩劇史論稿

とりあえず、ブログ開設以降の思考をまとめてみる。 matsunoya.hatenablog.jp ポスト・オリエントの二つの交易路 matsunoya.hatenablog.jp matsunoya.hatenablog.jp オリエント・ペルシア・インド北部・チベット・中国北部・朝鮮(シルクロード) ケルト・ゲ…

有用性と消費、そして聖性についての考察

「人類学」的な思考で歴史や社会をごたまぜにして文化を論ずるのはあまり好みではないのであるが、すこし論じてみたいテーマがある。ゆくゆくは共時性や通時性を考察しうるものではないかと思うのだが…… 近代科学はおもに近世ヨーロッパの貴族、商人や地主た…

精神というフィクション――劇的詩学序説

言語はもともと集団の生、祭祀儀礼のためのもので、個の領域はその派-生である。 自然に適応するための労働や技術のために「詩」があり、そこから空間や時間のための思考、「風土」や「こよみ」の知識の蓄積も生じる。詩のリズムと表現物、そして社会的な関…

道化の権威学、さらけ出し、見られるということ

Youtubeなどの動画文化の潮流は、すっかり我が国の祭祀芸能の伝統と習合してしまったように思う。前時代のラジオやテレビは、農村儀礼としての「万歳」の来訪や、都市の芸能としての「芝居」とを、同じく都市化で希薄となりつつあった民俗を「大衆文化」なる…

伝説リバイバル考:地名とオノマトペ

これまで「民族」「渡来」集団居住の証拠と捉えられてきた地名。しかし事情はむしろ逆で、気候条件や地形を「地名」として名乗る(その始まりはオノマトペ、擬声語や擬態語があったと思う)集団があり、伝承としてさまざまに分化を遂げた、と考えるのが自然…

伝説リバイバル考:十二支アイヌ語説

畑中友次『古地名の謎(近畿アイヌ地名の研究)』(大阪市立大学新聞会)を読んでいる。 昭和32年の本で、コロポックル先住民説や日ユ同祖論などが平然と出てくる。ともあれ、既存の近畿地名と北海道地名を対照させながら、そこに共通の地形的命名法を見いだす手…

文化のネットワークとしてのことば

これの続き。 matsunoya.hatenablog.jp わたしは「辞典」形式の語源研究にも、「作文」主体の文法教育にも納得していない。以前示した立場として、古典教養は劇や儀礼と密接に関係しており、「集団語」としての代名詞「われ」「なんじ」「それ」が、そうした…

隠喩と語源

語源は基本的に眉唾ものである。とくに即物的、明示的にかたられる「語源」は、たいていがこじつけである。地名などがその典型であろう。それを収集、検証し学問体系にまで昇華するのはまず稀有な大事業だ。言語というのは社会生活の根幹であるため、その正…

Introduction to Drasmatica――唯劇論と飛躍

長年積ん読していたホカートの『王権』(岩波文庫)を読んでいたら、ミトラス教のことについて書いてあったり、「唯劇論」に活かせそうなアイデアを多く見つけた。というよりアウグスティヌスが聖書を「取りて、読め(Tolle, lege)」してしまったようにまま…

来たるべき労働観の変化:「労働運動」から「労働運用」へ

新型コロナウイルスによって経済活動が大きく変貌しようとしている。しかも、学校行事や地域のイベント、そして「東京五輪」といったここ1年の動向だけではなく、テレワークや時差出勤など、今まで梃子でも動かなかった慣習的な働き方への見直しをもともなっ…

Personificationの神話学――唯劇論の歴史

神格そのものよりも、その神格に帰せられてきた物語のPersonification(擬人、人称化)によって神話を分析するべきではないかという考え。 農耕民族史観、渡来人史観、金属史観、終末論、王権……神話にはさまざまな解釈がある。「特定の社会的階層のための物…

漢字とその文化圏の研究について――反起源論、そして後藤朝太郎

漢字の起源という学問分野に興味をもつ人間は多い。かくいう私も、白川静の「常用字解」や「字統」から起源に興味を持ち、藤堂明保の漢字家族論に惹かれたひとりである。その後西洋史学に進んだため、輓近の研究には触れられていないのだが、これらの漢字研…

唯劇論――情報文化圏交渉比較言語人文学の立場で

情報文化圏交渉比較言語人文学という長ったらしい名前を冠して自らの専門領域としたのは、高度に専門化して周りを見渡せないほど多岐に分かれてしまった人文学のあり方へのささやかな抗議からであった。もっと簡明な仕組みですべてを把握できはしないか――そ…

男子の本買い 

どう学究につながるかを踏まえたうえで、徒然なるままに買った古書を振り返っていこうと思う。 哲学篇 千葉命吉『現象学大意と其の解明』(南光社、昭和3年) おそらくフッサール現象学に触れた最初期の日本人の著作。著者は大正教育八大主張なる講演会を行…

学融機関論――「学行」構想

これらの続き。 matsunoya.hatenablog.jp matsunoya.hatenablog.jp まえに「学財閥」という、学問的にも経営的にも厳しくなった大学を、地域や企業が銀行とともに再建に取り組み、学生の消費や就職を囲い込むようになるのではないか、という予測を述べた。今…

伝説リバイバル考:太子/大師信仰と劇、そして「ミトラス」

聖徳太子と秦氏の関係、そして秦の始皇帝やユダヤ教、ネストリウス派キリスト教との妖しげなかかわりについては、何冊もの本が著されてきたのでここではあえて論じない。いくら鎮護国家や律令国家、守護地頭といった体制が整えられたとはいえ、古代や中世に…

伝説リバイバル考:オオクニヌシと抽象化される暴力

matsunoya.hatenablog.jp これの続き。 matsunoya.hatenablog.jp そしてこれとも多少関連してくる。 邪馬台国の位置がどうとかいう議論もそうだが、「出雲神話」という観念にとらわれては、神話――芸能と信仰の渾然一体としたもの――を一読者の視点からどうこ…

伝説リバイバル考:お菊・皿屋敷伝説

中世・近世の伝説は古代神話のリバイバルであるという仮説のもと、お菊さんで知られる皿屋敷伝説と、菊理媛≒白山明神の関係を夢想してみる。とんでもな推論かもしれないが。 中世の皿屋敷伝説の初見には、皿もお菊の名前も出てこず、鮑の盃、それも五枚のみ…

学融資本論――客観性と観客性

これの続き。 matsunoya.hatenablog.jp 景気次第ではあるものの、この数年のうちに経営破綻、機能不全に陥る大学や大学院はおそらく国公立、私立を問わず増えるのではないか、と考えている。学生は学生で高校卒業世代が少なくなるだろうし、学費の負担も重く…

歴史総力戦主義について

表題は全くの造語で、歴史にたいするある種の硬直的で閉鎖的な態度、日本史は日本史として、東洋史は東洋史として、西洋史は西洋史として固定観念をもって歴史に取り組むことをさす。ありったけの文献や考古学史料、そして学生や研究者を総動員して、学問と…

情報文化圏交渉比較環境人文学:継承と変容

matsunoya.hatenablog.jp 祭礼……風土(空間)とこよみ(時間) 異界観……交易や地理認識の反照 詩学……語源意識と隣接語群からの借用 汎ユーラシア的移動・交渉と知識集積……物語の発生の総合的考察 「シュメル神話」と「中国神話」の比較(先行研究あり) メソ…

分化する暴力:間名差し論

古来より哲学は渾然一体とした「一者」のようなものを根源として思考してきた。しかしながら、一がなぜ多に分かれるかについては、いまだに「悪」のような分化を仕向ける対向者を仕立て上げ、「一者」への回帰をうながすような筋立てに終始するものも少なく…

英語力とはなにか

世の中には「英語力」ほど珍重されているものは他にないと思う。その事実こそがわが国の英語教育、ひいては言語教育観の貧しさを端的に示している。英語力なる得体の知れぬ力で英語は「話されている」のだろうか。この巷説の裏を返せば、日本語を使うのに日…

ロゴスの探究ーー嗜劇性の人文学体系

ことばという行為によって運ばれる形式と質料については、それを訣ち考えることができない。元来ことばとは、書物に記されるまでもなく、また書字が一般的になっても何者かに効力を強いるために運用される劇的かつ呪術的であった。それを記号や理念型、属性…

年頭所感

相鼠有皮 人而無儀 人而無儀 不死何為 相鼠有齒 人而無止 人而無止 不死何俟 相鼠有體 人而無禮 人而無禮 胡不遄死 (『詩経』鄘風、「相鼠」)